嫌いで、痛い

杉元くんの前で失態を見せてしまってから数日。会社に行くこと自体が憂鬱で仕方がなかった。平静を装うために、表情筋を総動員させながら業務をこなすのは骨が折れるものでいつもの倍以上にどっと疲れが襲ってくる。紙のようにぺらぺらのままの弱メンタルな中でも仕事は毎日飽きもせず舞い込んでくる。
そんな地獄の連勤週間をやっとのこと抜け出した休日。
気分転換も兼ねて長年のオタク友達と久々に鑑賞会をすることになり、憂鬱とは無縁のただただ楽しい休日を満喫していた。
お互いの今ハマっているジャンルを布教し合ったり推しのここがしんどいと一時停止と解説を繰り返しながらひと盛り上がりしたあと、手頃なお値段のファミレスに足を運ぶ。


ご飯を食べながら思う存分推しへの愛を語り合っていると不意に「それにしてもさぁ」と話題を切り替えるような一言を口にする。
「名前かわいくなったよね。好きな人でも出来た?」
今の私を漫画の一コマに収めるとしたらきょとん、という効果音が付いているだろう。
心当たりがないわけでもないがかわいくなった覚えはない為適当に流す。
「推しなら減るどころか増える一方ですけど……」
「そういうことを言ってるんじゃないよばかたれ」
名前にもいい加減色恋沙汰が訪れたっていいんじゃない?
「あー…」
私が面白いほどに色恋沙汰に関わりがなかったと良く知る長年の付き合いが感じられることが出来る一言に思わず何とも言えない声が漏れる。
「なにその反応?」
「あーいや、まぁ色恋沙汰は………なきにしもあらずっていうか…」
「はぁ!?なにそれ聞いてない!」
「だって言ってないし…」
「そこは言えよ」
「やだよなんか気恥ずかしいじゃん」
「学生時代から受け攻め解釈違い戦争幾度となく起こして来た私と名前の仲じゃん。言ってよ」
「だからこそだよ!一から十まで知り尽くしてるような昔馴染みにリアルな自分の恋の話とか今更するの痒すぎる。」
「次のチケット戦争助けてやるから!」
「しょうがないなぁ」



「あっは、あっはっはっは!!!待ってやばくない?あの名前が、お、乙女ゲーの主人公レベルにモテてんじゃん!!」
ひぃひぃと呼吸を切らしながらお腹を抑える。
こちとら真剣に恋愛相談をしているというのに。爆笑されるとは何事か。遺憾の意を表すよう眉間の縦じわを深めている間にも肩をふるふると震わせる我が友。
「笑い事じゃないっての」
久々に顔を合わせる友人には一方的に同僚の一人にアプローチされているということだけを伝えた。
自分がどう言う思いを抱いているかは勿論伏せた。
「まじでこういうときどうしたらいいというの…貴女少なくても私よりは恋愛経験あるでしょ教えろ下さい」
「どうししたらいいかって言われてもねぇ」
顔を伏せ、負のオーラを全面に押し出しながら比喩表現ではなく割と本気で泣きそうになっているとカランカランと新たなお客様の来店を知らせるための鈴が軽やかに鳴る。
音に気を引かれて何気なしにそちらへ目を向けるとそこには今一番会いたくない顔が。

「ちょ、気配消して!」
「は?急になに?忍びの里出身じゃないからそんなん無理だけど」
高さのあるメニューを立て掛け向かい側に座る友人と顔を寄せ合う。
「いるから。」
「誰が?」
身を守る兵士のようにメニューを盾代わりにして横目で敵方の様子を窺う。
「さっき言ってた名前を呼んでは行けない人だよ」
「某魔法使いか」
ふざけているように感じるかもしれないが私は至って真剣だ。あの大失態を晒したあげく大号泣までしてしまったあの日以降気まずさに拍車をかけてしまい、また以前のように杉元くんを避け続ける日々を送っていた。
「え、どこにいんの?見たいみたい」
「ちょ、馬鹿!あんま目立つなってば!!お願い、ここのご飯代奢るから!!」
好奇心は猫をも殺す。その言葉の意味を目の前ではしゃぎ倒すお馬鹿さんにみっちりと叩き込んでやりたかった。お昼時を過ぎ、客足も疎らになったファミレスの中でそこそこの声を上げれば否が応でも目線はこちらに向くだろう。
嫌な予感はやっぱり的中し、絶対に避けられない戦闘必須イベント発生。バッチリと目が合ってしまった。

手を振りながらこっちへ近付いてくる杉元くん。おわった。なにもかも。
「え、なんかすごいイケメンが手振ってんだけどあの人じゃないよね?」
「ううん違う。あの人、知らない、私」

「偶然だね苗字さん」
小声で「がっつり知り合いじゃん」と若干声を震わせながら呟く友人の靴をテーブルの下で軽く蹴ってみせる。

「あー…休みの日に会うなんてほんと偶然ですね。」
おひとりですか?と尋ねる前に後ろから何処かで見たような男性が一人。
(確か、会社で何回かすれ違ったことがあったような……?)
名前が喉の奥まで出かかっている気もするが如何せん仕事上お話したことのある人くらいしか会社の人を覚えられない私は途中で考えることをやめた。
「おい杉元!勝手に先行くなって」
ぷりぷりと怒る坊主頭の男性を見ても「ああ悪い。居たのか」と悪びれもなく軽く流すあたりわりかし親しげに話す様子を見るにお友達なのだろう。
「へぇー、この子が例の…」
「あんまジロジロ見んなよ、シライシ」
失礼だろ。と苦言を呈する杉元くんの言葉で名前がようやく出てきた。白石さん、そういう名前の人だったのか。思い出せなかったものを消化出来て少し気持ちがすっきりしたが、それはほんの一瞬のことだった。

「そういえば前に写真で見たあの子に雰囲気似てんな」
あの子、と聞いた時。何故か私は氷漬けにされてしまったかのように動きがピタリと止まり、指の先から体温が徐々に徐々に消えてなくなってしまった。
(さむい、)
そう思った時には耳鳴りがして、「これ以上聞きたくない、聞いては行けないと」耳が、体が、危険予知をしてくれているのかもしれない。なんて、非現実的なことを思い浮かべる。
「名前なんだっけ、あのーほら!…そう、梅ちゃん!梅ちゃんだったよな?名前」
小骨が取れたと言わんばかりにもやのかかった答えが綺麗に思い出せたおかげかすっきりと表情を明るくする白石さんとは裏腹に杉元くんの表情は険しいものに変わっていく。
「やめろ、全然似てねぇよ」
にこやかな杉元くんの面影は一気に消え去り不機嫌な様子を隠そうともせず全面に負のオーラを纏う彼の珍しくやけになる態度が妙に気に掛かる。白石さんのもやが晴れた代わりに、今度は私にそれが伝染ったらしい。

(『梅ちゃん』って誰?)
話の流れや意味ありげな彼の言動を深読みするに『好きな人』、と考えるのが妥当だろう。

(嗚呼そうか、)
なんだ、やっぱりそうじゃないか。私みたいなやつ、杉元くんに好かれるはずがなかったんだ。
私のようななんの取り柄もなく、どちらかと言えば悪い所の方が目立つ人間がなんの理由もなしに、杉元くんのような素敵な人に好かれるはずがなかった。
所詮私は替えのきく代物で。私を通してその「梅ちゃん」さんを見ていたんだ。
杉元くんは私を好きなんじゃなくて「私を通して見ることが出来る梅ちゃんさんの面影」に恋心を抱いてしまったんだろう。
(そうか、そういう事だったのか)
そう考えれば全ての辻褄が合う。
中々嵌らなかった最後のピースが綺麗に収まるような感覚。腑に落ちすぎて逆に気持ちが悪かった。


「名前?」
心配そうに此方を見つめる友人が名前を呼ぶ声に意識を引き戻される。

「…ああ、ごめん。ぼーっとしちゃってた」
「苗字さんこいつがごめんね?梅ちゃんって言うのは、」
「すみません、私たちこれから用事があって。お先に失礼します。」
「え、あ、うん」
「ちょ、ちょっと名前…!」
伝票を素早く手に取り ちゃんの腕を引いて半ば強制的に話を中断させ、お会計に向かう。
心の中で友人にごめん、と謝り足早に店の外へ出る。軽快な鈴の音にお見送りされたはずなのに、ちっとも良い気分にはなれなかった。




「ごめん、ほんとごめん、」
「名前、」
友人の手を引いたまま随分と長いこと早足で来てしまった気がする。自分勝手な行動をして振り回してしまった私はただひたすら謝罪の言葉を繰り返すことしかしなかった。
「ごめ、っ!」
でもこれ以上声を発し続けたら涙が止めどなく溢れて来てしまうという確信があった。これ以上面倒くさい厄介者になりたくない。溢れ出しそうなものをせき止める術がわからなくて駄々をこねる子供のようにしゃがみこみ、みっともない表情を隠すように腕の中に顔を埋める。
「とりあえずうち来なよ、」
「うん…」






「名前はさ、杉元くんのことが好きなんだね」
テーブルの上にことりと置かれたカップと共に柔らかなトーンでとんでもない一言が降りてくる。暖かさを可視化させる湯気とともにココアの甘い香りが鼻腔を擽り、先程まで荒れきっていた荒んだ心がじんわりと柔らかさに包まれて行く。
失態をこれでもかと言うくらい見せたというのにこんなにも優しく寄り添ってくれる親友を持てて私は幸せ者だなと思いながらその優しさを甘んじて受け入れる。
「まさか、好きじゃないよ。」
何度も自問自答を繰り返し、否定し続けてきた。その問いかけが友人から出てくるとは想像しておらず、心臓が嫌な音を上げながら軋む。戸惑いを表に出さず妙に冷静に答えられた自分がどこか恐ろしい。私が杉元くんを好き?身分違いの恋もいい所だ。私と彼を天秤にかけた時、絶対に均衡が保たれることは万に一つもないのだから。

「杉元くんなんか嫌いだよ」
自分に暗示をかけるように、自分に枷を、呪いを、ゆっくり、ゆっくり、身に染みこんでいくよう、自分自身に言い聞かせる。現実から目を背けるようにそっと目を伏せ、かわいらしい装飾がついているソーサーでココアを弄ぶように意味もなくくるくるとかき混ぜていると年端もいかない幼い子供に言い聞かせるような声で「名前、」と名前を呼ばれる。
「思いを言葉に出すとね、どんどんその思いが強くなるの。ちょっと思ってただけでも「この人嫌い」って言葉に出したら本当に嫌いになっちゃう。だからね、好きだなって思った人のことはちゃんと口に出した方がいいんだよ。」

「そしたらその人のこともっともっと好きになれるから。」

その考えが当てはまる人はとても恵まれていて豊かな人生を送ってきた勝ち組の人間が歩んできたが故の人生論だ。彼女を傷つけてしまうであろう汚い言葉、暴言が吐き出してしまいそうになって思わず唇をぎちっと噛み締める。
負の部分を避けて通ってきた自分のようなずるい人間には到底当てはまらない。
「はは、なにそれ。長年の付き合いのあんたからそんな台詞聞くとなんか痒いんだけど、」
明るく笑って見せたはずが自分の口から零れ落ちたのは理想とはかけ離れた乾いた笑いで。冗談交じりに笑って見せたつもりだが、それはあくまで「この状況でも笑える私」という心の余裕をみせたいただの願望であって現実はそうは行かなかった。

「好きになんて、なるわけ、ないじゃん。嫌いだよ、杉元くんのことなんか」
上手に笑えなかった。鏡で自分の顔を確認するまでもない。目の前の友人の眉が下がった表情を見れば明らかだ。

杉元くんが嫌い。そんなの嘘だ。嫌いなのは杉元くんじゃなくて自分。素直になれない自分が嫌いだ。嫌いだなんだと言う言葉で誤魔化しを重ねながらもその言葉に勝手に傷付いて悲劇のヒロインぶってる自分が嫌いだ。
結局は怖気ついているだけなんだろう。自分の気持ちからは目を背けるくせに浅はかにも「杉元くんは私を好きでいてくれる」と過信してしまっていたのだ。

『やめろ、全然似てねぇよ』
いつになく不機嫌な杉元くんの様子がフラッシュバックして息が詰まる。
私とは正反対であろう魅力的な女の人の存在に嫉妬する、醜くて、汚い、自分が嫌いだ。
ぎゅっと瞑った目の端からじわりと暖かい水が滲んでいく感覚がした。そのぼやけた視界の中に見たことも無い女性と寄り添う杉元くんの姿がぼんやりと映っていく。嫌だ、早く消えてくれ、目を閉じているはずなのに強く目を瞑れば瞑るほど女性の姿ははっきりと現れる。

彼を思う気持ちが強くなればなるほどどんどん自分がみずぼらしく最低な人間であることが露わになっていく。
やっぱり友人の話は迷信だ。そんなうまい話があるわけがない。
「嘘だよ、口に出すだけで嫌いになっちゃうなんて」
声がみっともなく震える。
じゃあ『嫌い』と口に出せば出すほど胸が苦しくなっている私は何だというんだ
堪えていた目元の熱がじわじわと抑えきれないほど集まってきてしまって「ああまずいな、」と思いながら唇を痛いほど噛み締める。抗いも虚しくついに一筋雫がそっと頬をなぞっていく。

「名前はさ、杉元くんのことが大好きなんだね」

柔らかな甘さを帯びた聖母のような彼女の声で紡がれた二度目の言葉に、私はうなずくことも、首を振って否定することも出来なかった。



出来ることなら嫌いでいたい。嫌いになりたかった。その方が楽だから。
好きになったら面倒臭い。嫌いになれたら、あの人は自分のことをどう思っているんだろうとか、嫌われたら嫌だなとか悩む必要が無い。
それでも嫌いになれないのは、どうしてなんだろう。
私を通して別の女性を見ていた最低な人の事を思って泣く必要なんてないのに。

ここまで自分の気持ちを受け入れられない理由はもう、なんとなくわかっている。

きっと、彼の思い出の一部になることを恐れているから。
恋人でもなんでもない癖に別れることを考えてしまうなんて馬鹿げてる?そう思われても無理はないのかもしれない。それでも私は恋愛上級者の強者じゃないから。
自分が辛い思いをするくらいなら、自分が傷付くくらいなら、中途半端の弱虫恋愛初心者のままでいい。




口から出たのは泣き方のわからないみっともない大人が鼻水や涙が零れ落ちるのも気にせず、半ば呻くような泣き声と、ティッシュも使わずただずびずびと啜るだけのなんとも情けない音だけだった。


Modoru Main Susumu
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