弱くていい

「申し訳ありませんでした」
謝りたくもないのに頭を下げなくてはいけないこの仕事に吐き気がする。頭を下げ続けている間にも頭上からは上司のガミガミとやかましく喚く声が聞こえる。
考えたくもないが、目立ってしまっているんだろうな。これだけ大きな声で怒っていればオフィス内の社員全員の眼差しが此方に向けられているであろうことは明白だ。
目で追ってしまう気持ちも大いにわかるがお願いだから見ないで欲しかった。注目を集めていることも「かわいそうに」と哀れみの目を向けられることも私にはこの上なく耐え難いもので。羞恥や悔しさといった負の感情が入り交じり、立っているだけで涙を零してしまいそうだった。

ただミスをして怒られたから泣きそうになっている訳では無い。まずこの案件自体元々は私が担当するものではなかった。
別の担当者が急病で来られなくなり、プロジェクトに微塵も関わっていなかった私が何故か代役に抜擢され、なし崩しのまま会議に出席した結果、いわゆる弊社の「失態」を露見することになってしまった。結果的には。
右も左もわからぬまま前日に急に案件を頼まれ訳の分からぬ中途半端な状態のまま臨めばおのずとそうなることなんて安易に想像がつくはずだ。理不尽にも程がある。
これは全て言い訳で、全て内容を頭に叩き込めなかった私の容量のなさと急な仕事が舞い込んできても最後までやりきってやろうという強い意志とやる気のなさが悪いんだ。
わかっているからこそ自分の力不足を再認識させられ「自分はこの部署のお荷物だ」という現実を叩きつけられてしまい、みるみるうちに自己評価の最底辺に沈んでいく。

頭を下げながら後悔と自責の念が思考を支配する。

なんで、私はもっと上手く出来ないんだろう。
ほんとに私だけがわるいの?違う、違わない。私のせい、私のせいじゃない。自分を許し、罪を軽くするための言葉と自己否定の言葉が交互にぶつかり、空っぽの胃の中から胃液だけが這いずり出てきそうだった。

「(吐きそうだ、)」
説教から解放され自分のデスクに戻る間も周囲からの刺さるような視線が痛かった。元々猫背気味の身体を更に縮こませ、視線から逃れるようにそそくさと足を前に進める。

デスクに戻ると私より泣きそうな表情をした明日子さんが此方をじっと見つめていた。その優しさが今の私には何より辛くて目を合わせることを拒否してしまった。
「名前、」
そのあとにはきっと「大丈夫か?」そんな言葉が続いたのだろう。
「ごめん、ちょっとお腹痛いからお手洗い」
腰掛けるために引いていた椅子をデスクの下に再び潜り込ませ、その場を立ち去る。逃げてしまった。ごめんね明日子ちゃん。今優しい言葉をかけられてしまったら、私は確実に涙をこぼしてしまうから。いい歳の女が怒られたくらいでみっともなく人前で泣くなんて、いい迷惑だろう。鬱陶しいったらありゃしない。人からめんどくさいやつだと呆れられたくないと無意識下に怯えながらかつかつと履きなれたパンプスの踵を鳴らしながら歩みを進める。

部署を足早に後にしてトイレとは逆方向に足を進める。逃げ込める場所に当てなどない。ただ、あの場所ではないどこかへ行きたかった。
「っ、」
自分の所属する部署から離れた廊下を意味もなく早足で進む、俯いていた顔を無理矢理上に上げ周囲に人の姿が見えないことを確認すると、堪えきれなかった涙がじんわりとにじみ、視界にもやがかかる。
今頃どのフロアでも皆業務に勤しんでいるんだろう。
自販機の真隣にしゃがみ込み拗ねた子供のように身体を縮こませる。
社内で声を上げて泣くことも出来ず、音を押し殺すように涙だけを静かに零そうとすると、その反動で鼻がみっともないほどぐしゅぐしゅと鳴る。

情けない。はじめて大人に怒られた幼稚園児でもあるまいしと自分自身に呆れていると此方に静かに近づいてくる足音が一人分。
「…なん、ですか、っ」
しゃくりをあげながらそう短く言うのが精いっぱいだった。ぼやけた視界を無理矢理クリアにするため目元を袖で拭う。ハンカチを持ち歩くような女子力はあいにくだが持ち合わせていない。
「よかった、見つけられて」と眉を下げて笑う杉元くんの息は少しだけ弾んでいた。
なにも良くなんてない。見つけてなんか欲しくなかったのに、

「そんな座り方したらパンツ見えちゃうよ」
「お構いなく。こんな時間にここを通る人なんて一人もいませんので心配ご無用。あとは杉元くんがこの場から離れてくれれば完璧です。」
いつものように言葉をオブラートに包む余裕なんてものは今の私にはなくて。直接的にこの場離れることを促すも当然の如く流され、杉元くんは私の真似をするように同じような体勢で隣にしゃがみ込むことを選んだ。

「苗字さんはさ、悪くないよ」
「…なんですか?慰めに来たつもりですか?おあいにく様ですがそんな安っぽい慰めの言葉いりませんよ」
なんでそんなかわいくないことしか言えないんだろう。きっと杉元くんは顔面蒼白のままオフィスを後にした私を心配して様子を見に来てくれただろう。意図せず口から出る棘のある言葉から今の自分の余裕のなさが手に取るようにわかってしなう。
「何が目的ですか?見返りを求めているなら早々に帰るのをおすすめします。慰めてもらったとしてもなにも出ませんから」
それともなんですか。弱みに付け込んでどうこうしようとでも考えてるんですか?
自分でも驚くほど冷ややかな声が喉の奥から飛び出てきてこんな声出せるんだと自分自身に感心する。こんなみっともない八つ当たり、したくなんてないのに
「それは残念。弱っているところに優しい慰めの言葉でもかけて、好きになってもらおうかと思ってたんだけどな」
「…卑怯ですね、」
「うん。俺って卑怯でずるくて最低なんだよね」
だから人の悪口とか愚痴とか聞いても全然気になんないの。これっぽっちもね
その言葉の後には「だから何を言ったっていいんだよ」と続いている気がした。ほんとにこの人はどこまでお人好しなんだろう。
優しい言葉を掛けるのは私にだけ?私だけ特別なのだろうか?それとも他の女の人にも今までこんなことしてきたんだろうか、場違いな思考が一瞬邪魔をするがまたすぐに先ほどの会議のことがフラッシュバックし、再び吐き気が襲ってくる。
こちらの様子に怯むことなく淡々と話す杉元くんの顔を見ることは出来なかった。顔を上げたらまた、引いていた涙があふれてきそうだったから。今杉元くんの顔を見たら泣いてしまう、という謎の確固たる自信があったから。

「もう、私にはこの仕事向いてないんですよ。容量も悪ければ仕事もそこまで早く出来るわけじゃない」
「そんなことないさ」
「そんなことある、」
あるんだよ、
また熱いものが目の奥からこみ上げてくる感覚が来てそれを力づくでせき止めるように身体を抱え込む腕にぎゅうと目元を押し付ける。
「もう無理私には出来ない、やれない。まず私みたいなやつに大きな仕事任せるのが悪いんだよ。最初から失敗することなんて目に見えてた、」
「苗字さんは自分のこと評価しなさすぎるんだよ」
「杉元くんみたいに人当たりも良くて、誰にでも分け隔てなく接することが出来て、仕事でもなんでもそつなくこなせる人にはわかんないよ私の気持ちなんて!!」
顔をばっと上げて思わず声を荒らげてしまった。目に入った杉元くんの顔は困ったように眉根を下げていて、「ああ、また困らせてしまった」と自分の落ち度にまた胸を痛める。めんどくさいやつだと思われたくないと思って飛び出してきたのに、これじゃあ自分が毛嫌いしてきためんどくさい女そのものじゃないか。杉元くんの顔を見てられなくてまた顔を腕の中に埋める。

「うん、うん。つらいね」
「つらいなんて、わかったような口聞かないで、」
「うん、ごめん、ごめんね」
「なんで、杉元くんが謝るの…!」
謝らなくちゃいけないのは私の方なのに、どうして杉元くんは謝っているんだろう。
「ごめんなさい、ごめんなさ、」
ごめんなさい、ちゃんと出来なくてごめんなさい。強くなれなくてごめんなさい。私が全部悪いのに謝らせてしまって、ごめんなさい。
「謝んなくていいんだよ、苗字さん。」

「苗字さんが頑張ってるの、知ってるから。頑張らなくていいって言えば言うほど頑張ろうとしちゃうのわかってるから。」
だからせめて、俺の前だけでいいから目一杯泣いてよ。
涙を拭うことも、いつものように近すぎる距離で愛の言葉を囁くことも、執拗なくらい目を見つめることも、彼はしなかった。いつもの遠慮のない距離感はどこへ行ってしまったんだと拍子抜けしてしまう。
とん、と控えめに寄りかかってくる杉元くんの左肩の感触がむず痒い。ジャケットの上から感じるぬくもりは微々たるもののはずなのになぜだかとても暖かくて。軽く預けられた身体の重さを支えているはずなのに逆に支えられているような不思議な気持ちになる。

「苗字さんは間違ってないよ。よく頑張ってるよ」と抱きしめて欲しかった。でも、そう出来るほど親しい関係でも密な仲でもないのは自分が一番よくわかっているはずだった。杉元くんも多分それをわかってていつもみたいに安易に触れようとしなかったし、抱き締めようともしなかった。そうする権利もされる権利も、私たちは持ち合わせていなかったから。

「(でも、それでも、)」
それでも私は触れてほしかった。
それを口にしない私は、どうしようもなく我侭で、情けなくて、意気地無しで、ないものねだりの駄々を捏ねている、年端もいかないそこらのがきんちょと大差なかった。
本当にずるくて、最低なのは私だ。またこうやって杉元くんの好意や優しさに甘えて曖昧な距離のまま全てをなあなあにしている。

「(きっと、いつか罰が当たってしまうんだろうな。)」

あと数分後か、はたまた数時間後には「情けない姿を見せてしまった」と恥ずかしさで消えてしまいたくなる自分の姿が容易に想像出来てしまい、ほんの少しだけ乾いた笑みが零れた。

Modoru Main Susumu
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