全てをリセットしてしまえたら


あの日からまともに杉元くんと話をしていない。同じ部署とはいえ今回携わっている担当業務が違い、話をする機会が中々ない。話そうと思えば話せるんだろうが杉元くんに自分から話しかけることはまずないからそれが主な原因だろうが。というかわざわざ話しかけようとも思えない。
基先輩のこと、たぶん色々と勘違いしたままだろうなぁ。

杉元くんのことだ、時間を見つけて問いただしてくるのも時間の問題かもしれないなぁ。ガタガタと手元のキーボード叩きながらふと我に返る。

勘違いされたっていいじゃないか、もし彼が「○○さんと月島さんとは付き合ってるんだ」と思っていたところで私になんのデメリットもないはずなのに。むしろもう付き纏われることもなく、女性社員から痛々しいほどの嫉妬の視線を受けなくてもいい。いい事尽くしじゃないか。なのに私はなんで、弁明する場を設けようとした?いや、考えるのはもう辞めよう。無駄な所に頭を使ってはこれからの仕事に集中出来なくなってしまう。

集中力が切れそうになったタイミングで丁度よく昼休憩を知らせるチャイムがなる。助かった、腹ごしらえしてから気持ちを切り替えて、また午後の業務頑張ろう。


「苗字さん、このあと予定空いてたりする?」
頑張ろうと意気込んだ途端その意識を急に折ってくる声が空気を控えめに揺らした。まだチャイムが鳴って数秒しか経っていない気がするんだが、移動してくるのが早すぎやしないだろうか。立ち上がろうとする前に先手を打ってきた声の主の正体はもう見ずともわかる。正直過ぎる己の表情筋が「うわぁ」と言わんばかりに歪んでいないことを切に願いながらそろりと目線だけを上げた。

「えっと、このあとはお昼ご飯を食べる予定があります、けど」
「ふは、」
平静を保ったつもりでたどたどしく言葉を繋ぐと小さく笑いをこぼされる。手の甲で口元を隠したつもりなのだろうか。残念ながらもろにバレてますよ杉元くん。
あからさまに楽しい、といった表情を見せつけられ何故だか妙にそわそわしてしまう。用件があるならさっさと伝えてくれないだろうか。


「俺もこれからお昼ご飯を食べる予定があるんですけど、苗字さん良かったら一緒にどうですか?」
「え、あ、いや、出来れば一人が」
「苗字さんは俺と一緒にご飯食べるの嫌、かな?」
「や、別に嫌ってわけでは…」
「じゃあ決まり。たまにはいいでしょ?ね、」
「は、はぁ」
上手い断り方が咄嗟に思い付かず、流れのまま承諾の言葉を選んでしまう。ああ、また自分のメンタルを削る道を選択してしまった。でもこれは仕方がない、恨むんだったら己のアドリブ力の無さを恨むべきだ。午前中の仕事がわりかしスムーズに進み、軽くなったはずの身体がまた重さを取り戻してしまった気がする。今日は、おいしくご飯を食べられるだろうか。急に靴に鉛が仕込まれたのかと思うくらい重くなった足を引き摺るように進めながら杉元くんの数歩後ろをとぼとぼと歩く。
自分のより大きな背中を見詰めながら「こっそり逃げてもバレないのではないか」と企てているとくるりと後ろを振り向き「苗字さんはなに食べる?」俺も今日は食堂の定食食べようかと思うんだけどなにがいいかなぁという呑気なトーンでにこにこ笑いながらあっという間に隣に並ばれてしまった。

「私は唐揚げ定食、ですかね」
「いいね、からあげ。」
俺も好き。
眩しいほどに綺麗な笑顔を向けられ、目が眩む。

「(ああそうだ、)」
忘れていた、ここの唐揚げ定食には良い思い出がないんだった。しくったなぁ


****

「苗字さんとさ隣の部署の月島さんはどんな関係なの」
「ぐっ、」
テーブルの上に並ぶ揃いの定食、一緒に食べようと言われた手前、不自然に一つ分のスペースを空ける訳にも行かず、ぴったりと横並びで座る。真正面に腰を掛けるという選択肢ははなからない。杉元くんの顔を見ながら食べるのも自分の汚い顔を見られながら食べるのも耐えきれる自信がないからだ。
席に着いて早々、本題をぶつけて来る杉元くんに動揺してしまう。お茶を一口飲んで少し落ち着こう、そう思って口にした所だったから危なかった。
流石にお茶を吹き出す、とまでは行かなかったが喉に流し込む寸前のタイミングだったため危うく器官の入ってはいけないどこかにお茶が滑り込んでしまう所だった。げほげほとせき込むと杉元くんは若干眉間に皺を寄せながらも眉を少し下げ甲斐甲斐しく背中を擦ってくれる。
「そんなに聞いちゃいけない関係だった?」
動揺してしまったのが目に見えてしまったせいか少し引き気味な杉元くんに、慌てて訂正の意を伝える。
「いや、そういう訳じゃないですけど」
ただ、随分ストレートに聞くんだなと思って、
少し口元をもごつかせながら控えめにそう呟く。もし私が杉元くんの立場だったらそう簡単には聞けないだろう

「俺回りくどいのとかオブラートに包んだまどろっこしい言い方するの苦手なんだよね」
「それは………凄いですね」
そう返すと「なにが?」と可笑しそうに笑われてしまった。凄いよ、常に歪みがない彼を尊敬すると同時に本当に杉元くんは私とは全く違う世界で生きている人なんだという現実を改めて噛み締める。

「ただの職場の先輩後輩ですよ」
今は別の部署になっちゃいましたけど、右も左も分からない新人の頃、基先輩が指導してくれて。そう簡潔に説明すると「そっか」と短く返ってきたから小さく頷いて見せた。

「俺はてっきり、」
「てっきり?」
表情を隠すように口元を覆った手の隙間から小さく漏れた呟きを聞き逃せなかった。てっきり、恋人かと思いました?そう自分でも自意識過剰で攻めた聞き方をしてみようかとも思ったがすんでのところで言葉を飲み込む。



「……いや、学生時代の知り合いかなんかだと思ってた」
「あー、それはなんとなくわかるかも。」
でもあんな先輩が学校にいたら私仲良くなれないと思います。ほら、基先輩いい人だけど仏頂面でちょっと怖いから。
そう言うと話を切り出してから心做しかいつもよりこわばっていた杉元くんの表情がやっといつもの調子を取り戻して来たように感じた。「確かに」と頷きながら笑みを零す彼の姿につられていつの間にか自分の口角が上がっていることに気付けなかった。
「でもあんな気難しいオーラ全開な人ですけど幼なじみには「はじめちゃん」って呼ばれてたらしいですよ」
なんかかわいいですよね、とニヤつきながら言葉を続けると「なんか似合わねぇな、あの人には」と笑って返される。よかった、ちゃんと会話、出来てる。

「かわいいじゃないですか、はじめちゃん。屈強そうな男の人がかわいらしい呼び方で呼ばれてるのギャップ萌えの宝箱って感じがして最高だと思います」
「はは、なにそれ」



「ちゃん付けかわいくないですか?杉元くんだったら「佐一ちゃん」ですね」

「っ、」
一瞬、杉元くん表情が硝子の破片が肌を掠めて行った時のように、微かに歪んだ気がした。

「杉元くん?」
顔色を伺うように覗き込んでみると大きな手のひらで目元を隠されてしまう。真っ暗で何も見えないかわりに、耳に息がダイレクトにかかるほどの距離で
「ちゃん付けして貰えるほどかわいらしい男じゃないと思うんだけど」
かわいいのは苗字さんの方だよと囁かれ、またいつもの口説きモードに顔にいとも簡単に熱を集めてしまう。
目隠しから解放され、目に入った杉元くんの顔はいつもと同じ飄々とした余裕そうな表情で。

「そういうのいいですから!」
用件済みましたよね?冷める前に食べましょう!と両手を合わせるとそれを真似て「いただきます」と綺麗にお辞儀する杉元くんの動作が視界の端の方で確認出来た。

口に運んだ初めの一口は想像していたものより少し、味気がなくて戸惑ってしまう。美味しいはずのものが全く美味しく感じることが出来ない。

「(なんでこんなに胸が落ち着かないんだろう)」
今自分の中を支配しているのは砂糖漬けにされた甘い言葉でも、近過ぎる距離でも、耳に残った熱を帯びた吐息でも無い。あのとき見た彼の表情だけが瞼の裏にこびり付いて剥がれない。画面の中のキャラクターのように何パターンか決められた立ち絵があるわけでもなく、表情なんて数秒で移り変わる刹那のものなのに、何故かあの数秒だけが綺麗にスクリーンショットされ自分の心のフォルダに大事に大事に収められてしまった。早く忘れてしまいたいのにデータごと消去しようとしても勝手に鍵がかけられてしまってそれは叶わない。ゴミ箱に捨てることも叶わずフォルダを覗く度何度でも脳裏を掠めていく。どうして、あんな辛そうな顔をさせてしまったんだろうか

「(早く消えてしまえばいいのに)」
容量を馬鹿みたいに食う彼の姿も、声も、自分の中途半端な想いも。全部アンインストールして、全部なかったことに出来ればいいのに。

Modoru Main Susumu
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