好きです先輩

「苗字、居るか?」

「…基先輩?」
長らく聞いていなかった久しい人の声に飛び起きた勢いのまま起立すると自分を探す先輩の視線と交わる。やっぱり、聞き間違いじゃなかった。基先輩だ。珍しい人の来訪に驚きながらも嬉しさが勝ってしまい、歩く速度も自然と早まる。自分の席から離れ、先輩の近くまで駆け寄ると「業務始まる時間に押しかけてしまってすまんな」と小さく謝罪される。

「いえいえ。基先輩、お久しぶりです。しばらく海外出張じゃなかったんですか?」
「早く片が付いて予定より早く戻ってきたんだ。あと苗字、呼び方。」
「あ、すいませんつい。」
「いや。俺は構わんが、変な噂でも立って迷惑するのはそっちだろう」
「お気遣いなく。むしろ私みたいなのと噂立てされて困るのはそっちじゃないですか?それよりはじ、あー、月島さん、久々にご飯連れてって下さいよ」
「なんだまた金欠か」
「なぜバレたし。いや、ちょっと金欠で…三食おにぎり生活送ってるんですよ。今も訳あって昼飯食いっぱぐれてしまったんですけど基先輩の御尊顔を拝めたのでお腹いっぱいになりました。一食分タダになった気分です!」
「相変わらずだなお前は…どうせその訳とやらはまたゲームだのなんだのに金注ぎ込んだせいなんだろ?」
「よくわかってますね…ただ、先輩が想像してるような据え置き型のゲームではないですけど」
む、そうなのか。と納得した素振りを見せつつも違いがわからんと言った表情を浮かべる基先輩は正直言ってめちゃくちゃかわいい。ぎゅっとときめきで胸が締め付けられる感覚を耐えるように唇を軽く噛み締める

「こないだ推しくんのガチャで大奮闘して…!まぁ出るまで回したんで大勝利だったんですけどね。というか聞いてくださいよ基先輩、今私のもう1人の推しが本誌で大変な事に、んむっ!?」
「はぁ…わかったわかった。一旦落ち着け」
昼飯の代わりにはならんが腹の足しにはなるだろ。そう言いながらご丁寧に包装紙が取られた棒付きキャンディを口に突っ込まれ、燃え上がりつつあった話の勢いが途中でストップする。基先輩なんでこんなかわいい飴ちゃん持ってるんですかと悶えながら聞くと「後輩から貰った」いちごみるく味なんて甘ったるいもん舐めても秒で飽きるからお前にやる。と素っ気ない返事が。基先輩にかわいいものを与えた後輩さんグッジョブ…!!空腹で飢えきった胃に甘ったるさがじんわりと染み渡っていくのを感じながらその甘さの根源をからころと音をたてながら舌の上で転がしてやる。

「話ならあとでゆっくり聞いてやる。今日の夜でいいか?」
「やった!流石出来る先輩は話がわかりますね」
「ただし。俺は出来る後輩しか連れて行かないからな。」
絶対定時で終わらせろよ。
にっこり顔でそう圧をかける顔には甘さなど微塵も感じられず、やっぱ基先輩は甘いだけじゃ終わらんよなぁと内心肩を落としながら「ぎょ、御意」と顔を引き攣らせて軽く頷くことしか出来なかった。


「ところで、本題はなんだったんです?わざわざうちの部署まで来るなんてなにか用があってのことですよねきっと」
「あぁ、少し聞きたいことがあったんだが…」
言葉の先を濁らせたのは周りの視線のせいだろう。大概の人は隣の部署のお偉いさんが何の用だ、という好奇の目。そして極一部はなんで私のような地味なやつが基先輩から目を掛けてもらっているんだという嫉妬の目。それは別に変なことでもなんでもない。当然の通りだろう。少し怖いことにはかわりないが。それよりも私は特に視界の端でチラつく明日子さんと杉元くんのなんとも言えない二人それぞれ異なった禍々しいオーラが気にかかって仕方がない。

「…場所変えるか」
「そうですね、」
なんとなく話しづらいオーラを感じ取ったであろう基先輩の判断に従いその場をあとにする。すみません基先輩、ただでさえ気苦労が多そうなのに、もしかしたら厄介ごとを押し付ける流れになってしまうかもしれません。あとのフォローが面倒くさいことになりそうだなと乾いた笑いを心の中で溢しながら謝罪する。




──────────
仲睦まじ気な雰囲気を垂れ流しながら廊下へ消えていく二人の背を呆然と見つめながら数秒フリーズする。それもすぐに我に返り慌てて書類やファイルをばら撒き悲惨なことになっている杉元デスクへ駆け寄る。「おいそこ、始業時間始まってるぞ」と注意するハゲ課長の言葉なんぞ聞き入れている場合じゃない。

「す、杉元、待て、落ち着け、まだなにもわかっていないんだぞ、早まるな」
どうどう、と今にも暴れ出しそうな猛獣を宥めるように「待て」の声をかける
「やだなぁ明日子さん。俺まだ何も言ってないじゃない。」
「そ、それもそうだな。うん、案外お前が冷静で安心したぞ」
「はは、俺もいい大人だよ?そこん所は弁えてるって」
散らばった紙の山をすべて拾い上げ丁寧に整えるとその丁寧さとは裏腹にばん!と大きな音を立て荒々しくデスクの上へ置かれた。突然の大きな音に思わず肩を揺らしてしまう。何事かと周囲の目線が集まるも、その阿修羅のような圧しか感じさせないそのオーラを目視したものから順に「触らぬ神に祟りなし」と次々に目が伏せられていく。

「ところでさぁ、昼休み終わったばっかだけど煙草休憩行くの、許されると思う?」
前言撤回。全然冷静なんかじゃなかった。へらへらという効果音がぴったりの表情を浮かべながらも口角が全く上がっていない杉元の酷い顔を見ながら自分の額に手を当て長い溜息を一つ。

「…私がなんとか言っておくからすぐ済ませてこい」
「ありがと。ちょっと吸ってくる」
感謝の気持ちを貼り付けて浮かべて見せた笑顔が下手くそすぎる。どいつもこいつもしょうがないやつばっかりだ。いつまでたっても交わりそうにない二本線に頭を抱えたくなる。杉元が煙草を吸いたがるなんてよっぽどダメージを受けている証拠だ。
なぁ名前、早く帰ってこい。隣の部署の月島基とはどんな関係なんだ。

あの名前に好いた人がいるなんて、今までそんな素振りこれっぽっちも見せなかったから驚きだ。私はてっきりこのまま杉元と上手く収まるんじゃないかとばかり思っていたが現実はそう上手くははいかないらしい。

「明日子さん、私の好きな人はね、今とっても会えそうにない距離の所にいるの……」
「基先輩、お久しぶりです。しばらく海外出張じゃなかったんですか?」
あの嬉々とした表情、親し気な雰囲気。そして極めつけに下の名前で呼んでいた。自ら男性と距離を縮めようとしない名前にしては近すぎると感じるほどの心の距離感。
「(まさか…!)」
よくない予想が頭をよぎる。これはもしかしたら、もしかするのかもしれない





──────────

「抜け出したら余計怪しまれるんじゃないですか」
「…それもそうだな」
目を見開いてあからさまな反応を見せるわけではないが「しまった」と表情が語っている。
「月島さん案外天然っぽい所ありますよね」
「…ないだろ。」
そんなところもかわいい…と思いながらにやけ面のままそういうと「そんなこと言うのおまえくらいなもんだ」と秒で否定されてしまった。
「それにしても悪いことをしてしまったな」
少し眉間に皺を寄せてこちらを一瞥する月島さん。「いえ、」と小さく返してみるものの全く心当たりがない。不思議に思っているのが無意識のうちに顔に出てしまったのか、なにがですかと問う前に欲しかった答えがすんなり返ってきた。
「まだ若いんだからこんなおっさんとどうこうなってると波風立てられたら厄介だろう」
「あぁ、そういう…いや、そんな噂立たないくらい社内で私の顔認知されてないと思うんで大丈夫です。逆に月島さんこそ奥さんに心配されません?夜ご飯も外で済ませる挙句女と飲んでたなんて気付かれた日には修羅場ですよ。」
夫婦喧嘩に巻き込まれるなんてごめんなのでちゃんと説明してからご飯連れてって下さいね。と奢ってもらう側のそれではない図々しい態度でそう忠告すると「そんな嫁は帰ってもいないんだが…まぁ今後の参考にしておく」と返って来てぎょっとする。
「えっ、待って月島さんって独身なんですか?そんな亭主関白まっしぐらみたいな顔面してるのに?」
てっきり既婚者だとばっかり…と口を滑らすと途端に頭に激痛が
「それはどういう意味だ?」
「いった!?ちょ、こめかみグリグリせんで下さい!」

要件というのは先日自分が担当した案件についてのことで話はものの五分で終わった。夜の予定も手短に決めお互い足早に自分のいるべき部署へ戻る。フロアに戻ると皆黙々と作業を始めていて、慌ただしいいつもの午後の空気が流れている。
他の社員より出だしが遅れてしまった。ロスタイムを取り戻そうと急いで業務に取り掛かる。その間中隣から視線がちらちらと向けられていたのには気が付いていたがそれに構っている余裕は正直なかった。早く今日のノルマをこなしておかなければ。なにしろ今日の晩御飯がかかっているのだから。恐らくあらぬ誤解をしてるであろう明日子さんには後日改めて説明しとかないとな…そんなことを考えてるうちにも時計の針は止まることなく進み続ける。さぁ、いつもは残業に持ち込み気味な仕事を定時までに片付けるタイムアタックの開始だ。






──────────
「終わった…!!」
基先輩との約束を違えるものかと死ぬ気で終わらせた。シャットダウンのボタンを押し終了の画面を横目に帰り支度をぱぱっと整えていると横から「○○、ちょっと話したいことが」と明日子さんに呼び止める。おそらく十中八九基先輩のことだろう。大方予想は着いていたがその話をすると長くなってしまうと踏んだ私は
「ごめん明日子さん!ちょっと人を待たせてて…怒らせると怖いから急がなくちゃなんだ…!急用だったらあとで電話して貰っていいかな?お疲れ様!」
少し心苦しいが間髪入れさせないよう畳み掛けるような話し言葉で言葉を続け、半ば強引にその場を乗り切る。今度改めて説明するからね明日子さん…!!




ガヤガヤとした大衆居酒屋の雰囲気の中いつものかっちりとした着こなしのスーツのジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めた基先輩のレアな姿を目に焼付ける。
油断したら「へへっ」と気持ち悪い笑いが漏れてしまいそうなくらい自分でも表情筋が緩んでるのがわかるくらいゆるっゆるになっている。そんな様子に耐えかねてか「食いづらい」と先輩からご指摘を受けてしまった。危ない危ない、完全に無意識だった。節度を守って御尊顔を崇め奉らなければと心の中で静かに反省する。


「そんなに似てるのか?その「ハジメ先輩」とやらに」

ビールジョッキを呷りながら薄っすらと眉間に皺を増やす先輩の言葉を肯定するため首を縦に振る
そう。月島さんは似ているのだ。【ハジメ先輩】に。相島ハジメ、別名私の推し戸田左之助くんの旦那に。ハジメ先輩とサノくんは同じ部活の先輩後輩っていう関係性なんだけどあのツンデレな推しくんが唯一でれでれな顔を見せるのが彼で。掛け算的な意味で妄想がはかどってしまう二人なんですよ。基先輩に会うと自分を通して推しくんの気持ちを感じているような疑似体験が出来ていつも勝手にドキドキしてしまう。しかも苗字と感じこそ違うものの名前が同じってもうこれは運命としか思えない。
「それはもうすっごく似てますよ!!ビジュアルも「え、あんプリ実写してたっけ?」って思うレベルでそっくりだしちょっとぶっきらぼうで表情金の動きが少ないせいで人に冷たいとか怖い印象を与えがちだけど誰よりも情に厚くて義理堅くて優しくて、後輩をほっとけなくて、低身長で顔が怖いところとかもう完璧です」
「おい待て、もういい。あと低身長で顔が怖いは余計だ」
「その呆れた眼差しでさえそっくりで最高に興奮します」
「…そうか」
呆れられた後はツッコむことを諦められたような気がするがあまりダメージを受けていない。自分がまだ入社して間もなく、教育係として基先輩にお世話になっていた頃から彼の前ではこのオタク臭いテンションで接していたのだからお互い妙な慣れがあるはずだ。だから大丈夫だろう。たぶん。


「最近は悩みとかないのか」
少し長めに無言の時間が続くとたこわさを口に運びながら目線も合わせずにそう問いかけてきて思わずふっ、と吹き出してしまう。
「やだなんですか、思春期の娘を気遣う父親みたいな切り出し方」
それは先輩からしたら善意100%の気遣いだったらしくムッとしながら
「子供扱いして悪かったな。とっくに成人済みの娘の面倒を見るのは失礼に値することだったかもしれない。今日は大人しく愛娘に奢られてやることにしよう」
すいません、ビール一つ。と早くも二杯目に突入しようとする先輩に慌てて前言撤回する
「や、やだなー、冗談じゃないですか」
悩み、悩みなぁ…。ここ数日は推しイベやガチャの襲来でお財布に大打撃を受けているくらいしか思いつかないな、と苦笑いしながらここ数日の記憶の引き出しを開け閉めしていると端っこの方に鍵が頑丈に掛けられているものに気付いてしまう。この引き出しの中身は、

「はぁー、」
思わず重く長い溜息があふれてきてしまう。気付きたくなかった。脳裏に浮かんでしまう一人の男の姿を頭の中で恨めし気に睨み付ける。この至福の時まで邪魔してくるというのか
「どうした、」
「いや、悩みの種が脳裏をよぎってちょっと具合が悪くなってきただけなんで大丈夫です」
「大丈夫そうには見えないんだが…救いになるかは知らんが話だけなら聞くぞ」
「一応男女のあれそれと言った類の者なんでお父さんに話を聞いてもらうのはちょっと」
「それは…」
おそらく仕事をする上での悩みだろうと踏んでいたのか何とも言えない顔で「残念ながら力になれそうにないな」と言ってくれる先輩は正真正銘の良い人だ。

「折角の楽しい時間だったのに嫌なこと思い出しちゃったなぁ…」
「あー、その、なんだ…あんまり思い込み過ぎるのも体に毒だ。」
遠慮せずにいっぱい食べなさい。甘いもんでも食うか?
そう言ってわざわざメニューを開いて渡してくれる基先輩。その不器用な優しさが嫌に心にグッと来てしまい無性に泣きたくなってしまう。
「その顔で言われると泣いちゃうっすよハジメ先輩…!」
熱くなる目頭を誤魔化すように推しくんの言葉を借りてテーブルに顔を伏せる。私はこんなに涙腺が緩い人間だっただろうか。お酒を飲んだ覚えはないのに酔いが回ってきたみたいだ。落ち着くまでしばらくこの体勢でいようと心に決めていると不意に頭になにかがぽんと触れる
「…『泣きたいときは思いっきり泣けばいい、無理して笑うなサノ、』」
テーブルに伏せたまま顔だけを声の聞こえる方へ向けると少し照れを含んだ表情の基先輩がいて、頭の上に乗せられた大きな掌がぎこちなく数回動かされる。一瞬自分がどんな状況に置かれているのか理解出来なかった。
「え!?ちょ、先輩なんでその台詞」
今先輩が口にした言葉はゲーム内でハジメ先輩がサノくんを鼓舞するために言ったものだ。目の際のダムが決壊寸前だったのにも関わらずびっくりしすぎて涙が引っ込んでしまった。
興奮のあまり、かっと顔を熱くさせながら呆気にとられていると

「散々繰り返し同じこと聞かされれば俺だって覚えるぞいい加減。」
このシーンのこのセリフがエモいんですよだのなんだのって騒いでたのはお前だろ。表情を大きく変えないもののどこか気まずそうに目線をそろりと空になった皿に目を移す姿を見るに、恐らくこれは基先輩なりの励ましなんだろう。推しについて熱く語る情熱の捌け口がなくてあんプリをよく知らない非オタな先輩にぶつけまくっていた過去の自分反省しなさい、と叱り付けながらもそのうち七割五分くらいは刷り込み教育よくやったぞと称賛の嵐を送る。
どっちの「はじめ」先輩も尊いなと天を仰いでいると「しまった今のもしかしなくてもセクハラになるか?訴えるのだけは勘弁してくれ」と勝手に頭を悩ませているしっかりしつつも何処か抜けてる愛おしい先輩の姿が目に入る。こんな素敵な人になぜ奥さんがいないのか私は不思議でならない。
「はー、やばいハジサノ現実じゃん…私がサノくんになるの申し訳なさ過ぎて自害したいいますぐサノくんの顔面に整形してきます」
「落ち着け」
「これが落ち着かずにいられるかって話ですよ…」
嬉しさを噛み締めると自然と口元が緩んでしまう。こんな良い先輩を持ってサノくんも私も幸せ者ですね、と言葉を溢しながらグラスに残っていた烏龍茶を一気に腹へ流し込むと無言のまま同じようにビールをごくりと呷って見せた。ちらりと盗み見た先輩はいつもの仏頂面でもむっすりとした顔でもなく、ほんの少しだけ口角をあげた穏やかなものだった。

Modoru Main Susumu
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -