箱詰めランデブー

時刻は朝7:38
睡魔と戦っている。

眠い、眠過ぎる。今なら歩きながらでも眠れてしまいそうだ。寝ぼけ眼の中、踏み外すことのないように駅のホームへと繋がる階段を一段ずつゆっくりと登っていく。
ホームに出ると目が眩むほどの明るい日差しが出迎えてくれたのだが、睡眠時間三時間足らずの今の自分には些か刺激が強すぎる光だった。

「(あれ、もしかして杉元くん)」
額の傍に片手を上げ日除けを作る。ようやく陽の光以外で視野が形成されていくと少し距離の空いたこの場所からでも目を引く目鼻立ちの整った横顔。そしてそれを更に目を引くものへ仕立てあげている要因であろう大きな傷が目に入る。



「(あ、やば、目合っちゃった)」
慌ただしく流れる朝のホームの時間と人混みの中で私と彼の間に流れている空気だけが止まっているように錯覚する。目を奪われるとはよく言ったものだ。視線が彼の元へと独占され、ばちりと目と目がかち合う。慌てて知らない振りをしようとするも、時すでに遅し。目を逸らす前に満面の笑みで手を振られてしまっては無視出来るはずもなく、ぎこちなく手を振り返す。これで他の人に手を振ってたらくっそ恥ずかしいやつじゃないか…!?思わず後ろを振り向いて確認しようとするがそれよりも数コンマ早く「苗字さん」と名前を呼び、あちらの方から近付いてきた。よかった、どうやら私に手を振っていたのは勘違いではなかったらしい。目に見えてやるのもおかしいだろうと思い頭の中でホッと胸を撫で下ろす。電車の到着を待つ待機列の先頭付近にいた杉元くんはこちらの姿を確認するや否や、躊躇うことなく歩み寄って来た。わざわざ並んでるのを抜け出してまで来なくてもいいのに。つくづく奇特な人だなと若干引きながらもおはようございますと小さく会釈して返す。

「おはよう。苗字さんっていつもこの駅から通ってたの?」
なんと説明したらいいかわからず少し言葉を詰まらせる。本当は昨日の内に帰り、普段通り自宅から出勤する予定だった。それが、オタク友達と鑑賞会をしていたら思いのほか推しカプ討論が白熱してしまい終電を逃してしまった結果、朝帰りでそのまま友人宅の最寄り駅から出社するようになってしまった。ということをどう伝えればいい。

「あー、いつもは徒歩なんですけど」
「だよね。俺いつもこの駅から通ってるけど○○さんのこと見かけたの今日が初めてだったからさ。」

「昨日は友達の家に泊まったんですよ。話してたら盛り上がってしまって…」
「へぇ、楽しかった?」
「それはもう!久々に会えた子だったし趣味も合うので…今日が休みだったらもっと話してたいくらいでした」
「えーそんなにぃ?よっぽど楽しかったんだね…」

「ところでそのお友達って男の人?」
「…違いますけど」
にこにこと人当たりの良い笑顔を浮かべていたかと思えばその表情からすっと温度が消え、ワントーン程低くなった声で問われる。その切り替わりの速さに内心怯えつつもそんな事実は一切無いので「そんな警戒せずとも私に目を掛ける趣味の悪い男の人なんて貴方くらいのものですよ」と思いながら静かに否定する。

「…そっか」
まず一夜を共に出来るような間柄の男性なんて私の狭い交友関係の中に存在するわけもなく。私と朝方まで語り合える男の人なんているわけないじゃないですか。同じジャンルが好きな腐男子ならともかく。そう口にしようとした言葉も乗車案内のアナウンスの声によって妨げられてしまった。

「この時間込むんだよなぁ」
「俗にいう通勤ラッシュってやつですか」
「そういうこと。潰されないようにね」
杉元くんが並んでいた列を抜けて再度最後尾に並び直したにも関わらず、私たちの後ろには何人か人が並んでいた。


「す、すいません、すいません!」
乗り込んだ所まではよかった。乗るだけでも結構な密集率を感じていたのに「これ以上は中に踏み込めないだろう」と限界を感じても尚、後ろから「もっと詰めろ」と無言の圧。という名の押す力が収まることは無かった。ギリギリまで持ち堪えていたがこう無遠慮に押されてしまってはバランスを崩すのも時間の問題で。自分が乗車の邪魔になっていること、悪意はないものの必然的に周りにいた人を押し退けてしまった罪悪感。いろんなことへ向けての謝罪の言葉もぎゅうぎゅう詰めのこの箱の中では誰の耳にも雑音としてしか認識されていないんだろう。


「(やば、倒れそ…!)」
このままだと前に居る杉元くんに体を預ける形になってしまう。なけなしの筋力でプルプルと震えながらも耐える。ちくしょう、満員電車に乗るのにこんな体力が必要だとわかっていれば常日頃から身体を鍛えていたのに…!そんな後悔も虚しく、通勤上級者向けの揺れ動く箱は通勤クエスト初心者の私に更に苦行を強いて来た。
すし詰め状態な箱に蓋をするように電車のドアが閉まると発車の衝撃でガタンと大きく揺れる。

「わっ!」
「おっと、」

限界を迎えていたところを車内の揺れと人の波に押されてしまっては持ち堪えられるはずもなく、「耐えろ自分の足腰!」と叱咤する意志とは反対に思いっきり杉元くんに抱き着く形になってしまった。慌てて離れようとすると背中に手を添えられ逆に身体を寄せる形になってしまう。
「待った。無理に離れなくていいよ、支えないから辛いでしょ。」
「や、でもこの体勢、しんどくないですか?」
「あー…………大丈夫」
人の波に揉まれて私たちはいつのまにやら反対側の壁の方まで来てしまったようで。いくら杉元くんの背中が電車のドアにもたれているからと言って、私の全体重がかかった状態を数十分保ち続けるのは厳しいだろう。ぴたりとくっついてしまっている体勢に少しどぎまぎしながら控えめに尋ねると何とも反応しづらい回答が返ってきた。ちらりと自分の目の位置より高い場所にある杉元くんの顔を下から覗きみると長い余白付きの言葉と共にそろりと視線を横に流されてしまった。

「大丈夫じゃない奴ですよね今の間?」
「いやいや大丈夫だから」
無理に体勢立て直そうとして転んだりしたら大変だし、怪我するよりは数分この体勢を我慢する方が利口だと思うよ。
確かにそれはそうだ。こんな中、身体が倒れたりなんかしたらそれこそ周りの迷惑になりかねない。それでも杉元くんが大変だろうと気にかけるも私を支える背中の手は退けられる気配もなく…今日もところは大人しく従っていた方が自分の身にもなるだろうと思い不服ながらこの密着した状況を受け入れようと腹を括る。
スーツにファンデーションがついてしまったら行けないと杉元くんの胸元と自分の頬間に壁を作るよう両手を滑り込ませる
「(あ、れ…)」
スーツ越しに触れる彼の心臓がとくりとくりと足早に動いているのがわかる。人の鼓動と言うものはこんなにも簡単に伝わってしまうものなのか。
規則正しいリズムで刻まれていくその音が心地よく、圧迫感のある満員電車の中のはずなのにまどろみの世界へといざなわれてしまいそうだ。眠気に誘われゆっくりと瞼が下がりかけていたときに頭上から「ん゛んっ」と咳払いが聞こえた。とくり、とくり、と生を刻む心地の良い心音をもっとよく聞きたいと思うあまり、無意識のうちに耳を胸に寄せすぎてしまったようだ。
「ごめん、流石に離れてほしい…かも、」
「えっ、あ、!?っご、ごめんなさい」
「ああ、いや、別に嫌だったわけじゃないよ、むしろ役得で嬉しいんだけど」
ただ、ちょっと照れくさくて。
口元をもごつかせながらそう言う彼の姿に釣られて顔に熱が集まってくる。場所が場所なら壁に頭を打ち付けてしまいたかった。本当に、なんなんだこの人は。今のは完全に気を抜いていた私が悪い。完全に。あまりにもぼーっとしすぎた。それは謝ろう。でもあれだけ小っ恥ずかしいアピールやキザな言葉を散々並べておきながら私が少し触れただけで照れるか?私には杉元佐一という人間の価値観がわからない。本当に馬鹿みたいだ。こんな人混みの中で顔を真っ赤にして照れる彼も、それに釣られて彼に負けないくらい顔を赤く染める私も。

ああくそ、狼狽えるな。今ここでドキドキなんてしたら杉元くんに伝わってしまうじゃないか。轟々とレールの上を走るけたたましい音が鼓膜を揺らしているはずなのに不思議とどくん、どくんと心臓が脈打つ音の方が大きく聞こえてくる。煩く聞こえているのは私の心が暴れているせいか、それとも、布越しに触れている手の平から伝わる彼の鼓動のせいか。

どくん、どくん、
がたん、ごとん、
こんなに騒々しい揺りかごの中じゃ、微睡むことすら出来ないじゃないか。










──────────
結局あの体勢のまま最寄りの駅まで耐え抜いた私だったが一体どんな顔で杉元くんと話したらいいかわからずお礼もそこそこに改札を出て駆け出す勢いでその場をあとにした。

いくら早足で歩いたとしても同じ時刻、行先は同じ。どう頑張ってもエレベーターや社内ですれ違う確率が高いと途中で気付き慌てて近くのコンビニへ駆け込む。火照った身体を冷やす為の飲み物とちょうど今日発売だった少年向け週刊誌を手にしてレジへ進む。先週はすごい所で寸止めされ惨い焦らしプレイを受けている気分だった。時計を見ると出社時刻が迫っておりいつもより時間に余裕のない出勤となってしまい朝イチで本誌を読むことは叶わないだろう。手元にあるのに読めないというのも中々の拷問だがこれも昨日の自分が犯した罪の重さだと己を戒めグッと堪える。お昼休みになったらなにをするより先に本を読もう。そう心に誓い、今日も推しを養う為に弊社へ足を運んだ。




お昼休みを知らせるチャイムがなった瞬間朝買った例のブツを取り出す。気分は授業が終わってすぐ弁当を取り出す学生の気分だ。取り出したのは弁当ではなく生きる活力だが。

ご飯を口に入れるより先に目へ先週より先の展開を刻み付ける。


「…………うそだ」

ごちん!と机に頭を打ち付けるとじんわり痛んでくる額。これは本当に現実か?
推しが死んだ。地面に横たわる推し、尋常じゃない出血量。生憎超人主人公補正がかかっていないごく普通なスペックの持ち主である推しのことだこれでは助かることは無いだろう。衝撃を受けたページの次で主人公が推しの亡骸を抱き締め涙を流している。
そのページを読んでも全く実感が湧かず受け入れることが出来ない。嘘だ。これは夢だ。現実なはずがない。急いで【夢の中で推しが死んじゃったんだけど】と友人へLINEを飛ばすとすぐに既読がつき【残念だけどこれ現実なのよね】と残酷な返信が。

「嘘だと言ってよ」
空腹なはずなのに食欲というものが一切湧いてこない。午後の業務が始まる前に何かしら食べなくてはいけないと頭ではわかっていても身体が受け入れる体制を整えてくれず、このまま何かを口にしたら流れに逆らって出てきてしまいそうだ。

職場で泣くまいと必死に我慢してはいるが、机から顔を離すことが出来ない。少しでも顔を上げてしまえば涙が零れ落ちてしまいそうだ。はぁーと長すぎる溜息をつくといつの間にかお昼休みも終了時刻に近付いているのか隣のデスクの明日子さんが戻って来る足音が聞こえた。

「どうした名前、」
「う゛ん゛…ちょっとね……」
「さっきから体勢があんまり変わってないように見えるが…まさか漫画を読むのに夢中になりすぎて昼飯食いっぱぐれたなんて言わないだろうな」
仕事中に腹減ったと泣きつかれてもチョコくらいしか持ち合わせてないぞ。ジト目で睨む明日子さんを上半身を机に伏せたまま目線だけ動かして視界に入れる

「食欲ない…」
「なに!?具合でも悪いのか」
「ううん。食べたくないだけ。食べ物を胃に入れられるメンタルじゃない今…」
「…それは、その…恋の悩みと言うやつか?」
恐る恐るといった感じでこちらの様子を伺う明日子さんになんだか申し訳なくなってしまうがそれを気遣えるほどの心の余裕は今持ち合わせていない。自分自身を保つので精一杯だ。
恋、恋か……ある意味そうかもしれない。恋焦がれている人にもう二度と会えないのかもしれないという焦燥感や消失感はたぶん失恋のそれと似通っている気がする。
「そう、ちょっと年甲斐もなく恋煩いしててね」
はは、と乾いた笑いを吐き出し死んだ目のままそう答えると興奮冷めやらぬと言わんばかりに鼻息を荒くして目を輝かせる明日子さんはなんとも形容しがたいものだった。
「!?本当か、それはその、あれか?杉元となにかあったのか?」
「なんでそこで杉元くん?」
違うよ。と答えると目に見えてがっかりとした表情をする明日子さん。これは私の女の勘なんだけど杉元くんは明日子さんのこと好きだと思うんだよなぁ。明らかに他の女性社員の子より態度が違うし、距離も長年連れ添ってきた熟年夫婦感あるし。なにより杉元くんは私なんかより明日子さんみたいに清廉潔白で清く正しく美しい女の人のが好みだと思うんだ。じゃあなんで私に執着しているのかという矛盾点が生まれてしまうんだがそれはまぁ……考えるのがめんどくさい。ひとまず置いておくことにしよう。これは逃げではない、細かいことを考えるのがめんどくさいだけだ。うん、そういう事にしておこう。


「明日子さん、私の好きな人はね、今とっても会えそうにない距離の所にいるの……」
「なに!?遠距離恋愛なのか?」
「うん、もともと遠距離だったんだけど今海外に居てね…もっと距離が遠くなってしまって、会いたくても会えないんだ……」
住む次元が違うのに紙の中で先に旅立たれてしまっては追いつきようがないじゃないか。こんなにも好きなのに。縮まるどころかどんどん遠のいていく推しとの距離を自覚してしまい気持ちが腹の奥からせりあがってくる。少し声が震えてしまい明日子さんを本気で心配にさせてしまったかもしれない。たかが紙の中の展開でと誰かは笑うかもしれないが推しにとってはそれが一生で私にとってはとても重要なことなんだ。つらい、つらすぎる。この地獄を抱えながら残り数時間を会社で過ごさなくてはいけないのかと思うと吐き気がする。


「苗字、居るか?」
吐き気を力技で溜め息に変えていると午後の始業のチャイムとほぼ同時にこのフロア内で聞こえるはずのない声が遠くから聞こえ、思わず目を見開き立ち上がる。




「…基先輩?」
周囲を見渡し自分の姿を探しているであろう人物の名前を口にすると少し離れたデスクからバサバサと書類やファイルが落ちる音がした。


Modoru Main Susumu
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