死因 胸焼け

ついにこの日が来てしまった。
「すげぇ、外観まで凝ってんなぁ」
ホームページに載っていた写真と同じく、西洋のお屋敷のような外観の建物の前に立つのは普段のスーツ姿ではなくラフな服装の杉元くんと推しくんカラーを基調とした服で着飾った私。遊園地のアトラクションのようなものに見えているか純粋に感嘆の声を上げていた。そんなかわいらしい反応を見せる杉元くんの横で私はもう既に息切れ、動悸の症状に襲われていた。ここに推しくんが来たという事実だけでもう泣きそうだ。サノくんのようなあの強面な男の子がこんなメルヘンチックというかかわいらしいお店に大好物の甘い物を食べたいがためにわざわざ主人公を誘うなんて…尊さのあまりはぁー、と情けない声を上げながら口元を覆う。

推しの世界と融合した空気を存分に取り込みながら余韻に浸っていると急に現実世界へ引き戻す一言が横から割り込んできた。
「それにしても、「次」がこんなに早く来るとは思わなかったなぁ」
少し含みのある言い方が心臓を突き刺す。前回杉元くん曰く「デート」だったらしいあのお出かけから余り日が経っておらず、遠回しに「もう貴方と一緒に出掛ける機会なんて訪れないと思いますけど?」という意味を含んだ言葉を投げつけてしまったこともあり、今日一日過ごす中でいつかは絶対指摘されると思ったがこんな序盤にふっかけてくるとは。
 
「返す言葉もございません……」
「えぇ…なんでそんな今にも自刃しそうな侍の顔してんの?」
申し訳なさと自分の欲に打ち勝てず自分の意思をころっと変えてしまえる自分の軽薄さに土下座したくなりながら肩を落とす

「杉元くん、よくこんな誘いに乗ってくれましたね…」
直接お誘いしようとしたときは緊張のあまり、から回ってあんな誘い方をしてしまったから後日冷静な頭でLINEを送った。落ち着いた精神状態で送ったはずなのだがあとからその文面を見返すと、とてつもない長文で綴られた推しへの熱意とどうしてこうまでしてそのお店に行きたいのかという理由がずらーっと並んでいてとても冷静とは思えなかった。
誘っておいて言うのもなんですか杉元くんにはどう転がったも良い事がないというか…むしろ負荷しかかからないと思うんですけど、と零すと
「んー…訳がなんであれ、片思いしてる人から誘われたんだ。断る理由なんかないだろ?」
「さ、さいですか…」
さも当然であると言いかねないようなトーンであっさり返されてしまうあーだこーだ言うつもりも失せてしまった。
つくづく私と杉元くんは正反対な人だと思う。私は自分が行きたいと思ったものにしか行きたくないし自分の好きなものにしかお金を掛けたくない。たぶん一生この人と価値観が合うことはないんだろうなと思うと私と彼の陰と陽の典型みたいな人間がよくここまでつるむようになったなと少し笑えてくる。

「ま、次のデートが恋人同士のやつじゃなかった。っていう点では少し残念だったかな」
「そ、そういうのいらないですから!」
早く行きましょう!と恥ずかしさを誤魔化すように中へ入ることを促すとくすくすと笑う声が数歩後ろの方から聞こえた。ほんとに、なんというか…彼の思惑通り、彼の思うが儘に転がされているような気がして居心地が悪い。


──────────
「いらっしゃいませ、カップル一組ですね」
「い゛っ……はい」
いざ言葉にされると衝撃が強い。業務的で人当たりのいいやんわりとした素敵な笑顔を浮かべる店員さんとは対照的に顔の筋肉が強ばる。
煌びやかそうな外観とは少し違い、中に入ると普通のファミレスと大差なく、少しかわいらしい感じの色味で飾り付けられているなというような印象を受けた。自分たちの他に並んでる人たちはいないものの目で確認できる席はほとんど空席がないくらい繁盛しているようだった。いかにもリアルを充実しながら過ごしているであろう人種の群れに気後れしそうだったがここまで来て逃げ出すのもなんだと思い後退しかける足を引き戻し、両足をぴしりと揃える

「ありがたいことに大変繁盛しているんですが、某アプリゲーム内で当店のパンケーキが取りあげられるようになってから更に込み合うようになってしまいまして…」
「そ、そうなんですねー」
心当たりがありすぎて愛想笑いすら上手に浮かべられない
「カップルのためのお店というコンセプトで運営してるんですが本来の目的でいらっしゃったお客様にサービスを提供することが難しくなってきてしまっている状態なんです。」
「あー…」
かく言う私たちもそっち目的ではありませんごめんなさいお姉さん!そんなことを口に出来る訳もなく脳内でジャンピング土下座をかます。
「そのためご来店時には本当のカップルか証明していただく決まりになっているんですよ。」
「証明、といいますと…?」
嫌な予感がしながらも下から様子を窺うように小さく問う。
このとき私は、にっこり、とした表情を寸分も動かさず淡々と告げる店員さんが地獄の番人にしか見えなかった。

「入店時には必ずキスをしていただくようになっています」

「…は?」
店員のお姉さんからしたら親しくもないクソ女にこんな口の利き方をされる筋合いはないとぶち切れものかもしれないが今はそんなこと構ってられない。一応言っておくが今のは怒って出たものではなくあまりに驚きすぎて気の抜けた声が出てしまっただけなのでそこら辺のクレーマーと一緒にするのは勘弁してもらいたい。傷付くから。
絶望というのはこのことか。あまりの衝撃にふらつきそうになる身体を何とか持ち直す。
「公式サイトにそんなこと書いてありましたっけ…」
「サイトの方には掲載されておりません。」
なにしろここ数日で決められたルールでして…
申し訳なさそうな口調ではあるものの表情は先ほどと大して変わらず。「非リア充はとっとと帰りな」とでも思われているのだろう。
私たちが来る前にどれだけ多くのあんプリ推しの人たちが訪れたんだろう。多くの人数が押しかけなければこんなにもハードな条件は課されないはずだ。旬ジャンルの勢いって怖い。色々な恐れを抱きながら、仕方ない諦めようと杉元くんに声をかけようとした瞬間左頬にふにっとした感覚が。なんだ、今の柔らかくてあったかいものは。その感覚をなぞるように頬に左手を当ててる

「あっ、して頂いた後に言う形になってしまって申し訳ないんですが本当のカップルか見分けるためにも口と口で以外のキスは認められないんですよー」
ほっぺにチューだと友達同士でも出来ちゃいますしね、という地獄の番人の声で今何が起きたのか理解してしまった。顔を見るのも恥ずかしいから絶対に隣に立つ男の表情なんか見てやらない。人前で、頬とはいえキスされるなんて…!爆モテ杉元くんは日常の挨拶的な感覚の軽い気持ちで出来てしまうのかもしれないが、恋愛経験に乏しい私は違う。
顔から火が出るほど恥ずかしいを体現する日が来るとは思わなんだ。しかもやられ損かよ!杉元くんもちょっとは悩むとか戸惑うとかした方がいいと思うな。誰彼構わずそんなことしてたらそのうちセクハラで訴えられるよ?おばちゃんすごく心配!と荒ぶった声を出せずに腹の中に押し留めていると

「ちょっとごめんね、」
幻聴かと勘違いしてしまうくらいかすかで小さな声がぽそりと呟かれたと思えば顔に影がかかる。それと同時にあの日、公園で抱き締められた時に感じた、爽やかで何処か甘さを感じる香りがふわりと鼻腔をくすぐる
文字通り目と鼻の先に近づいてくる整った杉元くんの顔がやけにスローモーションに見えて、目を瞑ることも出来ず見開いたまま息を呑む。

チュッとわざとらしくたてられたリップ音が耳をくすぐる。その甘さを至近距離で受けてしまい耐性の全く付いていない私は棒立ちの状態を保つだけで精一杯だ。少しでも気を抜いたら倒れてしまいそうになる。恥ずかしさと戸惑いと怒りで言いたいことは沢山あるのに言葉で攻撃することが出来ない。

「これでいいっすか?」

「っか、カップル一組ご来店でーす!」
一連の流れがあまりにも出来すぎていたのか店員のお姉さんも少し顔が赤らんでいた。それを直に食らった私の身にもなってくれ。
「行こっか」
背中をポンと押されようやく正気を取り戻す
「いやいやいや!?な、なにして、」
一応誤解のないように言っておくがキスはしてない。あくまでキスする「ふり」だけだ。リップ音こそわざとらしく立てられたものの唇と唇が触れ合ったという事実はない。店員さんが見たのは私の真正面から唇を奪う杉元くんの後頭部。あちらから見れば完全にキスしてるように見えただろう。離れたあとの私の赤面具合も相まって真実味が増したはずだ。

「だから先に謝ったでしょ?ごめんねって、」
「そういう問題じゃねーんですよ!!」
「でもどうしても来たかったんだろ?」
「うっ、」
苦肉の策で俺を誘っちゃうくらいには、と意地悪く微笑まれてしまいぐうの音も出ない。
「なんか、釈然としない…!」
「苗字さんは推しくん?の写真が撮れるし俺は苗字さんの照れたかわいい顔も見れたし結果オーライってことで」
「あー!あー!わかった、わかったから!そういう余計なリップサービス付けなくて大丈夫です恥ずかしい!もう喋らないでください」
「えー酷いー」

目を閉じて顔を近付ける杉元くんの姿が瞼を閉じても暗闇の中でフラッシュバックする。
離れる間際に薄らと開けられた瞳と数秒視線がかち合ったことも、その数十秒にも満たない短い時間の中で小さくふと微笑まれたことも、ぜんぶ、全部、目に焼き付いて離れない。
夢にでも出てきたらどう責任を取ってくれるつもりだ。

「私頼むのほぼ決まってるんですけど杉元くんはなんか食べます?」
「…」
「杉元くん?」
急に黙りこくってしまった彼を不思議に思いもう一度話し掛ける。すると悪戯を思いついたような子供のような含み笑いをした杉元くんと視線が交わり、ぱくぱくと口を動かされる。
それが何を意味するのかわからず眉間に皺を寄せていると幾分かゆっくり動かして見せる杉元くん。読唇術なんて習得してるはずもなくなんとか解読しようと一音一音見逃さないよう口元を目でなぞる。

「(しゃ、べ、って、も、い、い、の、?)」

ああ言えばこう言う。内心少しイラッとしながらも、頬杖をつきながら口の端をくいとつり上げ、悪戯っ子のような表情を見せる彼にテーブルに備え付けてある角砂糖一個分くらいほんのちょっと。ほんのちょっとだけ、ときめいてしまったのも事実で。
「……しょうがないから許してあげましょう」
「ありがたき幸せ」
冗談めかして恭しく頭を下げてみせる姿がなんだかおかしくてふ、と口元が緩んでしまう。
私は推しくんと全く同じメニューのパンケーキとオレンジジュース。杉元くんはコーヒーを。ろくに出番もなかったメニューを机の端へ仕舞い注文の品が来るのを待つ。


「杉元くん、一つお願いがあるんですけどいいですか」
「一つと言わずいくらでも。」
いや別に一個でいいんですけど、と言うツッコミを飲み込み言葉を続ける。彼の言葉を一々気にしていたのでは日が暮れてしまう
「あの、私実は甘い物そんなにいっぱいは食べれなくて…残すのもあれなのでいくらか食べるの手伝って頂けないでしょうか」
「大丈夫だけど…あれ、苗字さんって甘いの好きだったよね?」
「好きですよ?好きなんですけどあんまり多いと甘ったるすぎて気持ち悪くなってしまって…」
ケーキとかもショートケーキ一個の大きさで丁度いいくらいでと苦笑いするとそうだったんだねと優しげに微笑んで返される。どうしてこんな些細でどうでもいい会話でさえそんな幸せそうな顔を浮かべることが出来るんだろう。
「杉元くんは甘いの苦手だったりします?無理に食べなくても大丈夫ですからね、」
私なんかに気を使わず嫌いなものは嫌いって言ってください。
男の人は甘い物を好むイメージがあんまりなくて心配していると「苦手な食べ物基本ないから大丈夫」とあっさり返される
「質より量食えればいいからなぁ」
「杉元くんいっぱい食べそうな感じしますもんね」
「大正解。まぁどうせ食べるなら美味しいやつのがいいけどね」

たわいない話を続けていると「お待たせしました」と言う声とともに目当ての品がテーブルへ運ばれる。
出来たてのほんのりとした温かさとパンケーキ特有のほんのちょっと香ばしくてぽってりと甘い香りが食べぬうちから伝わってくる。

「あ、すいませんフォークもう一つ頂けませんか」
「すみませんお客様、当店はカップルの距離を近付かせるをコンセプトにしておりますのでひとメニューにつきおひとつしかお渡し出来ないんですよ」
「…はい?」
下でに出た言い方で訴えた申し出も無惨にも却下され、にっこりとした愛想笑いで立ち去っていくかわいらしい制服に身を包んだ店員さんの後ろ姿を呆然と見詰める。

ぽかんとした表情をしているとくく、と声を押し殺した笑いが真正面から漏れ出てきた。
「ここまで徹底してるとなんか笑っちゃうな」
「笑ってる場合ですか!」
なにを呑気に、と一人躍起になりながらもとりあえず冷めないうちにぱぱっと写真を撮って食べてしまおうとスマホを取り出す。長々と時間をかけて一番美味しいときに食べないというのも食べ物に対する冒涜になってしまうと思い、脳内に焼き付いている推しのスチルと同じような角度で一枚、パンケーキをメインに一枚だけ手早く撮りフォークとナイフを手に持つ。


「で?苗字さんからあーんしてくれるの?」
「ぐっ、」
やはり、そういうことになってしまいますよね…!ナイフもフォークも一式しかない。二人とも他に頼んでいるのは飲み物のみで、店員さんに頼んでもフォークは来ない。この大きさのパンケーキとなると私一人がどう頑張っても半分とちょっとくらいしか食べられないだろう。それ以上は確実に甘ったるさで吐いてしまいそうだ。
「恋人っぽいことの一つでもしとかないと追い出されるんじゃない?」
「そ、そんなことは、ないと…」
思いたいんだが、
「でも見てよ俺らの周り」
他は皆あーんしてたりイチャイチャべたべたしてるよ?
促されて周りを見渡すとわざわざ隣合って肩を寄せて食べていたり見てるこっちが恥ずかしくなるようなスキンシップをしながら仲睦まじく過ごしている人々がほとんどで。
「いやでも人目につく場所でそういう事するのはちょっと、」
「皆自分たちの世界に入っちゃってるし誰も気にしてないって。逆になにもしてない俺らのが浮いて見えてるよ」

食い気味に紡がれる言葉と熱を帯び、茹だってしまった脳みそのせいで正しい判断を見誤ってしまいそうだ。
「そんな恥ずかしいんなら俺からしようか?」
「っそれは無理です!私からします!」
「そ?じゃあお願いします。」
口を開けた不細工な顔なんて杉元くんに見せられない!焦った気持ちが先行し咄嗟に出た言葉は自分の首を絞める結果にしかならなくて。かぱっと口を開けてしまわれては断ることすら出来ない。ちくしょうここまで来たらやってやろうじゃないか…!そう腹を括り一口大に切り分けたものをフォークに指す。皿から離し宙へ持ち上げると面白いくらいにフォークを持つ手が震えていて情けないにも程がある。ええい、もうどうにでもなれ!恥ずかしさをそのままに半ば目を瞑りながらえいと杉元くんの口へ放り込む。

「…わざと?」
それは無事杉元くんの口の中へ消えていったが少し照準がずれ、生クリームを盛大に口の端に付ける形になってしまった。
「ごごごごめんなさい悪気はないんです」
「だよね。わかってるよ。そんな慌てなくても怒ってないから大丈夫、」
ん、甘くて上手いな。そう言って親指でクリームを拭い、そのまま紙ナプキンではなく舌先へ運んでぺろりと舐めとる仕草がなんだかとても色っぽく見えてしまって。突然の美の暴力に思わず持っていたフォークをかしゃんという音を立ててテーブルの上に落としてしまう

「(顔が良いって目に毒だ……!!)」
刺激の強さに耐えるように歯を食いしばり、その様子がこれ以上視界に入らないようばっと目を真横に背ける

「どした?」
「い、いえなんでも…」
「にしては目線が合わないみたいなんですけど?」
「うっ、」
「もしかして変なこと想像しちゃった?」
っ!してない!!」
「ほんとにぃ?じゃ、次は苗字さんの番な?」
「え、」
手放した一瞬の隙にいつの間にか奪われてしまったのか、先程持っていたフォークが杉元くんの手元にある。
「や、もういいですって、自分の分は自分で食べます!」
「だーめ、今日一日付き合ったご褒美ってことで。ね?」
他人に食べさせてあげることをご褒美と捉えるなんて頭がおかしいんじゃないか、困惑する頭の中で発狂しながら罵倒するもその声は彼に届くはずもなく。パンケーキを切り分ける手は止まることはなかった。

これを食べたら、その、か、間接キス、という類のものにもなってしまう訳で…!!あーんされるという事だけでも耐え難い苦行なのにそんなものしたら恥ずかしさで死んでしまう。断固として口を開けるものかと口をぎゅっとひと結びにしているとちょんと口先に軽く押し当て「口、開けて?」と軽く首を傾げておねだりされてしまう。顔面の良さを最大限に活かした武器で戦うのは卑怯だぞ…!絶対に開けてやるものかと誓った意思も早々に砕け散り、恐る恐る控えめに口を開いて甘さを迎え入れる。舌を撫でるようにふんわりとしたパンケーキの生地の柔らかさも、口の中で溶ける生クリームも、あとに残る苺の甘酸っぱさも、全部が私にとっては甘過ぎて、この一口だけでリタイアしたくなってしまう。


「間接ちゅー、しちゃったね」
「っ!!」
もう、いっそ殺してくれ。
声にならない悲鳴が漏れ、顔からは比喩表現なしに湯気が出てしまいそうだ

「顔、真っ赤だよ」
「すぎもとくん、なんか今日すっごく意地悪です……」
「うん。俺すっごく意地悪だから、」
だから…今、すっごく楽しいよ。そう言って無邪気に笑う顔がキラキラ眩しくて。見ていられなくて。心底憎たらしいはずなのに嫌いになりきれない自分が、確かにそこに居た。

Modoru Main Susumu
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