気付き、築き、傷付き、

「…大事な話って?」
少し目を見開いた気もしたがそれもすぐに細められ、落ち着いた低めのトーンで話の続きを促される
「ずっと黙ってたんだけど、」
すぅっと息を吸い込むとその緊張感が伝わったのか向かい側に座る杉元くんの喉仏がこくりと動くのが目に入る。言うんだ、私は言う、言うぞ…!意を決して口を開くと一瞬にして口の中の水分がどっと奪い取られていくような感覚が。ちゃんと音に乗せて伝えることは叶うだろうか

「私!実は超がつくほどのオタクなの、」
音量調節が馬鹿になり普段より少し大きな声が出てしまったのは大目に見て欲しい。心臓がどくどくと脈打つ音がうるさく目に見えて左胸が動いてるのではないかと心配になる。杉元くんがどんな反応を見せるのかそろりと目線を上げてみると呆気に取られているのかポカン、といった効果音がぴったりの彼の顔が。数秒の空白が嫌に肌に刺さる。空いたままの口が次の言葉を伝えるために形を変え始めたのがスローモーションに見えた。どんな反応がくるんだろう。テーブルの下に隠れて見えないことをいい事に膝に置いた拳をぎゅっと握りしめて身構える。



「えっと、…それだけ?」

「へ…?」
二人分の気の抜けた声が張り詰めた空気を少し揺れ動かす
「そ、それだけって…」
お互いに拍子抜け、といった表情で見つめ合う。私にとっては結構重大なカミングアウトだったんですけど…!と彼と私のことに対する温度差に戸惑っていると、気の抜けた表情の杉元くんが先に口を開いた
「すごい神妙な顔つきで話し出すから何事かと思ったけど」
身構えて損しちゃった。そんなこと気にしてたの?と能天気に軽く笑う姿に胃の奥でなにかが燻ってるようにむかむかする
「そんなこと、じゃ、ない…」
自分でもびっくりするくらいか細い声。心の声が漏れ出たように小さいそれは彼の耳に届いたかどうかもわからない、
「私、ほんとに、杉元くんが私に抱いてるようなイメージのかわいい女の子じゃないんだよ…」

違うんだよ杉元くん、私は、貴方に愛されていいような素敵な人間じゃない。早く、気付いて、早く、早く。私の心が何かに気付く前に。
私の心が傷付く前に。

「休日はほぼTL管理か円盤の鑑賞と録り溜めたアニメとか漫画の消費で時間消えるし、自分の見た目はそりゃ少しは気になるけど、自分はどう足掻いても地味で不細工ってことは分かりきったことで、それは覆ることの無い事実だから世間のいう「女の子」みたいにかわいくなる努力なんてしたことないし、お金も自分を着飾るために使うよりゲームに課金したりグッツ集めるために使っちゃうし、推しの事になると周りが見えないって言うか、テンションが振り切れて気持ち悪いオタク感丸出しになっちゃうし、好きな物のこととなると早口だし、現実より、画面の中の人に夢中だし、推しに恋してるし、」
それから、その、えっと…
言葉に詰まらせていると杉元くんは「全くこの子は仕方ないな」と言わんばかりの何処か呆れた、それでいて少し慈愛に満ちた表情を浮かべながら代わりに言葉をこう繋げた

「んー、俺、漫画少し読むくらいだしそこまでがっつりアニメ見たりとかしないからよくわかんないんだけど。なにかに夢中になれるって、すごく…いい事、なんじゃないかな。」
「苗字さんにも色々思うことがあっての事なんだろうけどさ、自分が好きなものを隠すのって窮屈じゃない?」

きゅうくつ。そう、「窮屈」なんだ好きな事を隠すのは。
その窮屈さを身をもって感じているのは他でもない私で。耐えるように奥歯をぎりりと噛み締める



「それと…これは、惚れた弱みかもしれないけど…さっき今日観た映画の主人公について喋ってた苗字さん、すごく好きだなって思ったよ。」
あの勢いで喋っていた姿が好きだって?主人公の声優さんが昔から好きだった人であることに加えて、前作も履修済みだった私は単純にそのキャラが推しで。それからはもうわかるだろうお察しだ。止まることを知らないのかと言うくらい話し尽くした。
その姿がすごく好きだと?趣味が悪すぎる。にやけ顔を隠しきれず、高ぶった感情を抑えきれないままにただひたすら喋り倒していたあのオタク丸出しの姿が?


「なんて言うか、いつもよりこう…すごい生き生きしてて。このシーンのこういう所が良いとか、泣けるとか、かっこよかったとか、ころころ変わる表情がすっげぇかわいくて…………抱き締めたくなった」
そう語る杉元くんの顔にからかおうという意思は感じられなくて、これは紛れもない本心からの言葉なんだなと理解してしまいまた胸がぎゅうっと締め付けられる

「だから、自分のことそんなに卑下して見せようとしなくていいんだよ。」
違う、違う、卑下してるんじゃない。事実を言ってるだけだ。
もういっそ心が傷付いて粉々に砕け散るくらいズタズタに罵って欲しい、杉元くんのことを心から嫌いだと思えるくらい酷くして欲しい。そんな思いと、心のどこかで「自分を認めて欲しい」という承認欲求がぶつかり合い、声が震える。
「…気持ち悪いとか、いい大人がそんなものに夢中になるなんて馬鹿馬鹿しいとか思わないんですか、」


「思わないよ」
あ、でもちょっとでいいから推し?じゃなくて俺の事も見て欲しい欲しいなぁっては思うかも。そう言って笑うから私は、どんな顔をしていいかわからなくなってしまった。


「ありがとね」
「なんで、杉元くんがありがとう、なの…?」
ありがとうはこっちの台詞なのに、
「苗字さんのこと、ひとつ知れたから」
「苗字さんのこと自分から話してくれたのはじめてだったから、すごい嬉しかった。いっつも俺が話してばっかであんまり自分のことを自ら話すってなかったろ?」
「だから、ちょっとは心の距離縮まったのかなーなんて。思ったりしちゃったんだけど…それはやっぱ自意識過剰すぎた?」
身長も座高も杉元くんの方がずっと上のはずなのに上目遣いでこちらの様子を伺う姿はガタイの良さと顔の傷に似合わずなんともかわいらしいもので。その様子に感化され肩の力がへにゃりと抜けていく。

「…ありがとう、杉元くん。」
「なんかこんなあっさり受け入れられるとは思ってなかったから拍子抜けしちゃったけど、…なんか嬉しい、です」
「ふふ、これぐらいで俺が苗字さんのこと嫌いになるとでも思った?」
「えっ!?あー、それは、そのぉ…」
なんでこんなにも私の思考をピタリと当ててしまうのだろう。そんなにわかりやすいのかな私って。動揺のあまり視線をさ迷わせながら狼狽えていると
「いいよ、はっきり言ってもらって」
「ただ、俺結構しつこいからさ、」
そこんとこ、しっかり覚えといた方がいいぜ?そう言って時折見せるギラついた目をちらつかせてにやりと口角を上げるもんだからこちらの口角はひくりとぎこちなく歪んだ。

「ア、アハハ、肝に銘じておきマス…」
このままでは彼のペースに呑まれてしまう。そんな気配を感じ、慌てて話の流れをすり替えようとスマホを取り出し慣れた手つきでアプリを起動させる。流石に店内で推しの素敵ログインボイスを垂れ流す訳にも行かないので音量を一番下まで下げ、ゲーム内最大の敵と言っても過言ではないガチャ画面へ。
「手始めにと言ったらなんですが杉元くん、何も聞かずに無心でここを押してもらってもいいですか?」
「お、おう?」
「わ、早速虹演出!?あっ!?えっ、待って待って連続虹なんて初めて見、嘘、あ、まってまってむり」
「え、なに俺なんか不味いことしちゃった?」
画面に映し出されたNEW!の表記に神々しく光る金の枠。これは間違いない。待ちに待った推しのSSRだ。しかもそれが二人分。
「杉元くん…!」
戸惑う杉元くんなんてお構いなしにがっちり手を掴みぶんぶんと上下に振り感謝の意を伝える。
「ありがとう!推しカプ同時お迎えできたよ…!!今日でピックアップ終わっちゃうからどうなることかと思ったけど今までの課金が報われた…!!」
あ、そうだお礼と言っちゃなんだけどここの支払い私に払わせてくれないかな?いいよね?結構長居しちゃったしそろそろ出よっか。完全に自分の中で自己完結し、伝票を引っ掴んでレジへ向かおうとすると待ったを掛ける焦った杉元くんの声が
「ちょ、ちょっと待って、奢ってもらうなんて、そんな事させられないよ」
「?なんでですか。私、推しを出してくれた杉元くんへの感謝をお金で払わないと気が済まないんですけど」
「いや、一応男だし、こういう所だけでもかっこつけさせて欲しいって言うかなんていうか……」
「なんて?」
ごにょごにょと口をもごつかせて話されてしまってはうまく聞き取ることができない。思わず聞き返してしまうと何故か少し照れたように言い淀む杉元くん。
「だ、だからぁ…!」
「あ、もしかして男だからこういうとこでは奢らなきゃ?とか思ってます?そんな気使わなくていいですからね。同期だし、同じくらいの収入はあると思いますし」
「そうだけど、そうじゃなくて…」
「あー、じゃあ次来る時は杉元くんに奢ってもらうって事で!それでいいですよね?ねっ?」
めんどくさくなってしまって半ば無理やり話を切り上げようとすると一瞬空気がしん、となる。そんなに気にかかるようなことを言った覚えはないのだが
「次、があるの…?」
「えっ、」
期待に満ちた少年のような瞳をまん丸とさせる姿とその言葉でようやく気付いた。自然と口に出てしまった事とはいえそれは暗に「また次もデートする機会があること」を意味している。自覚した途端かっと顔中に熱が集まり、急激な体温の上昇にじんわり額に汗が滲む。
「や、ち、違っ!もし!もしですよ!万が一、億が一!また来るような機会があったらの話をしているわけであって…!次が絶対あるとか、期待してるとかそういうんじゃなくて!」
弁明の言葉を思いつく限り並べて見るも、それを口にすればするほど期待してるように思われてしまってる気がする。それが恥ずかしいという気持ちをどんどん助長して行き、軽く泣いてしまいそうだ。
「うん…うん、わかってるよ。」
「もし、また次があったら奢らせてね。」
噛み締めるように頷き「約束だよ、」と言って心底嬉しそうに笑う杉元くんのはにかんだ顔を見ていられなくて「わ、わかったから…!早く行きましょう」なんてまたかわいくない言葉を一方的に投げつけて足早でレジへ向かう。

「お会計1351円になります」
にこりと愛想笑いを浮かべた店員さんが打ち込んだ数字はこれといってキリのいい数字でもなければ高いものでもない。
この時間がこんな値段で買えてしまっていいものか。そんなことを頭の隅で思い浮かべながら随分と使い込んだ財布の中から二枚の紙を取り出してトレーへ置いた。



*****
日が傾き始め、それなりに冷え込んできた夕暮れ時の空気は集まった頬の熱を冷ますのに丁度いい冷たさだ。
「少し歩かない?」と言う杉元くんの提案に特に断ることも無く彼のあとを追う。街灯がちらほらとつき始めた街並みを横目に他愛のない話を続ける。それに時々相槌を打ちながら地面を見詰めているとふと、二人分の影が目に入った。陽の光によって伸びた影でさえ、彼の身長に叶うことは無いんだな。歩いているうち速度が落ちた私を気にかけたのか歩き疲れたしちょっと座ろっか。と言って近くにある公園に立ち寄ることになった


「はい、」
「ありがとうございます」
「コーヒーじゃないから安心して」
プシュと缶コーヒーのプルタブを開ける音とほぼ同時に少し古ぼけたベンチがぎしりと歪む。端に座る私とほぼ真ん中に腰掛ける杉元くん。二人の間にぽっかりと空いたちょうど人一人分のスペースはなんだか今の私たちの心の距離を指し示しているみたいだ。

手に乗せられた暖かい缶飲料のラベルには「ココア」と書かれていた。コーヒーは苦手だと前に話した事があるが覚えててくれたのか。よく覚えてるなぁと感心しながら隣に座る杉元くんの方へ顔を向けると手に持った缶コーヒーをじっと見つめながら少し寂しげに微笑んでいた

「今日一日あっという間だったなぁ」
「…そうですか?」
私にはとても長い時間に感じていたんだけれどどうやら彼は違うらしい
「楽しい時間はあっという間だからね。苗字さんは俺に気使ってたからそうは感じなかったんじゃない?」
「そ、そんなことないです…!ちゃんと、楽しかったですよ」
気を使っていた。というのは図星だ。杉元くんの隣に立つというのは社内でも外でも緊張する。これは歪まない。ただ、…楽しくなかったと言ってしまっては嘘になる。映画を見て感想を言い合いっこしたり、普段ゆっくり話すことの無い世間話をするのも、案外良いものだったからだ。
「ほんとにぃ?」
「ほんとにほんとです」
「ふぅん…まぁいいよ!今度一緒にデートするときはすっごく楽しかった!って言って貰えるように頑張るからさ」
「つ、次があるかはわかんないですけどね」

「あるよ。…絶対に。なきゃ困る」
次行く時は恋人同士のデートになってるかもしれないよ?そう言って勝気に笑う彼の明るさに目がチカチカした。まただ、この太陽を見てしまった時のように目が眩むのはなぜだろう。瞳を閉じても真っ暗な瞼の裏側で光がチカチカと消えず、悪戯に火花を散らしていく。

なんで、杉元くんはこんなにも好意をあからさまに伝えてこれるのだろうか。
どうして、そんなに私という存在にこだわれるのか。
ベンチと端と端の距離だったものが人一人分のスペースにまで縮まった今、ずっと前から気になっていた「なんで、どうして?」を彼にぶつけることは許されるだろうか。

意を決して口を開こうとするとやっぱり緊張しいな弱い自分が邪魔をし、うるさいくらいに心臓が早く騒ぎ立てる。ちょっとでいいから静かにしてよと心の中で自身を叱りつけながら口を開く

「杉元くんは、なんでそんなに真っ直ぐにぶつかってこれるんですか。」
逃げてばかりの私に真正面からぶつかっても、なにも返ってこないってわかってるはずなのに。
「なんで、自分の好意を面と向かって伝えられるんですか?」
「苗字さんを好きだって思ってる気持ちが伝わって欲しいから、かなぁ…」
「それを伝えたとしても私からそれ相応の対価が返ってくるとは思えないのに?」
「恋愛って対価とか、見返りが欲しいからするものなのかな?」
「…わかりません」
わからない、わからないよ。だって、画面越しで描かれてた恋愛は楽しくてドキドキして、誰もが夢見るような胸が踊るものだった。でも現実はそう簡単に行かないんでしょう。相手はデータを新しくすることも出来なければ電源をぷつりと抜いてしまうことの出来ない生身の人間だ。この年になってろくな恋愛もしたことないのかと笑われても仕方がない。それでも怖いものは怖いんだ。ずんずんと思考回路が暗い方向に進んでいき、瞳の奥の方がじわじわと熱を持ち始める。

「苗字さんは、ちょっと深く考えすぎなんじゃない?」
「人を好きになることってそんなに難しいこと?」
優しさで満ちた柔らかな表情も今は涙腺を刺激する憎い敵でしかない。じわじわとせり上がる熱を抑えきった代わりに、今度は声が情けなく震える
「難しいことですよ、」
「なら、試しに俺のことを好きになってみたらいい。」
「は、?なにを考えてるんですか。だいたい、難しいって言ってるのに、そんなの私には」
「無理だって?」
「っそうです、」
「…苗字さんはさ、始まる前から色々抱え込みすぎなんだよ。」
「そんなこと、ない」
「いや、あるね。抱え込みすぎだし考えすぎだ。」

「そんな重々しく感じることじゃないさ。試しなんだから好きになっても嫌いになっても苗字さんのせいじゃない。こんなずるい提案をする俺が全面的に悪いんだから。傷付くのが怖いなら自分が傷付く前に俺の事を思いっきり傷付けてくれたっていい。」
「無理、無理です。私には無理。それに、そんな風に自分の価値を下げるような発言、簡単にしちゃだめなんですよ」
「その言葉、そっくりそのまま返すよ」

自分でも酷い女だと、自覚している。ここまで好きと言ってくれる異性にはもう二度と出会えないかもしれない。
好意をさんざん蔑ろにされて泣き出したいのはきっと杉元くんの方だろうに。彼より先に私の涙腺の方が悲鳴を上げそうだ。
「そもそも、そんなことしたとして杉元くんにメリットなんかひとつもないじゃないですか」
「そんなことないよ。むしろメリットだらけだ。好きでも嫌いでもない、つまり土俵の上にさえ登らせてもらえない今の状況から抜け出せる時点で俺にとっては既に得だ。嫌われるなら俺がそれまでの男だってだけだし、好きになって貰えたらそれこそ儲けもんだ」
な?俺にとっちゃメリットしかないわけ。片目を瞑って飄々と言ってのける目の前の男の前向きさには到底叶わない。対抗しようとする方が馬鹿らしくなってくる。

「なんで、どうして、そこまで簡単に「自分を犠牲にしてもかまわない」、みたいな言い方出来るんですか。」
それが私にはどうしても理解出来なかった。なぜ、血の繋がらない赤の他人の為にそこまで必死になれるのだろう。この際だ、思ったことを全て遠慮なしに投げつけてやろう。自分本位なゆったりとしたものも、真っ直ぐ飛ばない酷く歪んだものでも、どんなに大暴投したボールでさえも、彼は自分のミットの中に収めてしまうのだから。普段の気遣いなんてものは全て取っ払って無遠慮に投げつけると「俺にとってはその質問に答えることの方が難しいな」と苦笑される



「人を好きになる事に理由って要る?」

耳を、塞いでしまいたかった。
迷いのない、凛とした声がハウリングするように嫌に響く。
要るよ、要るに決まってる。私なんかを好きになる「理由」がないと、納得出来ない、
そう伝えたいのにその強い瞳に魅入られ、何も言葉を発することは叶わなかった。一言でも喋ろうものなら目の際の限界までせり上がってきたものが溢れ出てきてしまいそうだ。目をぎゅっと瞑りなにか痛みに耐えるような私の姿を見かねてか「ごめんね、ちょっと難しいこと言っちゃったかも」そんな重く受け止めることないからね。そう言って自分の位置より少し低い所にある私の頭をぽんぽんと二回優しく撫でた。お願いだから、これ以上優しくしないで欲しい。今貴方の優しさに直で触れたら間違いなく私は泣き出してしまう。人前で泣くなんていい大人がする事じゃない。漫画や映画のヒロインだったらさぞ綺麗で美しい涙を落とすんだろうが残念ながら私は違う。これはフィクションの世界でもなんでもない。魔法を掛けられない灰かぶり姫は魔法使いがいなくちゃただの灰をかぶった薄汚れた女でしかないのだから。

それでも、もし、お姫様でもなんでもないモブ女の私が、誰かに愛される道があるのだとしたら?

ほんの少しだけ、その世界を覗いてみたいと、そう思ってしまった。

「わ、かりました。好きになる努力はしてみます。」
喉から半ば引き摺り出すように紡いだ言の葉は今までの自分ではありえなかったような前向きなものだった。長い時間目の前で呆然とする彼と一緒に居たせいでポジティブが伝染ってしまったのだろうか。やはりイケメンの過剰摂取は良いものでは無いな。

「一応言っときますけど!努力するだけで杉元くんのことを好きになるとは限りませんし、その、お付き合いとかそういう、あれじゃないですから。」
全くかわいげのない言葉が右肩下がりの声で紡がれ、あっというまに空気に溶けていく。こうしてまた甘ったれの虚像で出来た小さな逃げ道を作ってしまうことを、どうか許して欲しい。そう心の中で懺悔してると不意にぐいっと腕を引かれバランスを崩す。
「ちょっ!?」
「うん、わかってる」
いつもより格段に近い距離。間近に感じる呼吸。耳元にダイレクトに届く彼の吐息と低くくぐもった声。なにもかもが私の羞恥心を煽る発火剤でしかなくて、体温の上昇を逃れることが出来ない。
「す、すぎもとくん、あの」
私は「好きになる努力はする」と言っただけで「好きです」と言った訳では無い。ほんとにわかってるのかこの人は。振りほどこうにも一向に弱まる気配のない腕の力に全く身動きが取れない。
「ごめん、今だけ。少しでいいから、こうさせて。」
抱き寄せられた胸板は私が強く押してもびくともしなくて、回された腕も自分よりずっと筋肉質でたくましいものなのに、擦り寄る姿はなんだかとても弱々しいものに見えた。
自然と上がりかけた手は途中ではたと止まる。今の私には彼に手を伸ばす資格があるのだろうか。行き場を失った手を自分の側へ呼び戻し、重力に従ってだらりと垂直に降ろす。

その大きくて弱々しい背中に、私から腕を回すことはなかった。

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