例えば僕が、もし君に、

「尾形くん尾形くん!」
この行だけ打ち込んだら喫煙所に行こう。
ヤニ切れが近く集中欲が散漫になりつつあり、きりのいい所で休憩しようと心に決めていたときに呼ばれる。作業の手をぴた、と止めPCから声の聞こえる方向へ目線を移すと普段はここのオフィスに居るはずのない隣の部署で働く女が一人。

「よかったここに居てくれて、ちょっと匿ってくれないか…!」
並んで立つといつも見下す形になるが今は腰掛けた状態のまま首だけをそちらに向けているため必然的に俺の方が見上げる形になる。
承諾も返事も特にするわけでもなく、声を出さずに視線だけで一体何の用だと訝しげに訴えてみると、深刻そうな表情で「いいですか、私は今尾形くんに書類を届けに来た隣の部署からの伝書鳩と言う設定です。だから今ここに居ることは注意されることでは無いしなんのお咎めもなしです」そう早口で言葉を並べ、顔を近付けながらひそひそと話す。
普段杉元佐一の距離感が近すぎるだのなんだの騒いでる割には自分も結構距離感狂ってることをそろそろ自覚した方がいい。今回もどうせ大方そいつになにかしら言って逃亡してきたって所だろうな。


「今回はなにをやらかして杉元から逃げてきたんだ?」
どうせまた下らんことだろうと大方予想をつけながら真意を問いただすために名前をあげて尋ねると「え、尾形くんなんでわかったのエスパー?」となんとも頭のゆるさ全開の言葉が返ってきた。お前の顔見てればそれぐらい簡単に想像尽くっつーの。

「杉元くんのデスクに行かなきゃならないミッションが課せられまして……泣く泣く行ったんですよ。そしたら机の上にバレンタインとかでもないのに女の子達から貰ったお菓子とかがいっぱいあって。だから「流石モテ男は違いますね、女の子選び放題じゃないですか。」って感心してたらなにかが逆鱗に触れてしまったらしい」
「何がいけなかったんだと思う…?やっぱ杉元くんのとこに行くところからかな…?」
今世紀史上最大の謎だと言わんばかりに眉間に皺を寄せて真剣に悩んでいる姿があまりにも滑稽で思わず「ははッ、」と乾いた笑いが零れてしまう。
意図せず嫌味な言い方になってはいるが本人としては冷やかしの意味は全くなく、本当に本気で感心しているんだろう。それが余計に笑えてきてしまう。
相変わらず呆れる程に鈍感、いや、こいつの場合鈍感とはまた違う。自分が好かれているということに気付こうとしていない、といったところだろうな。
本人に悪気はないとはいえ自分の好いてる人間に「他の女に現を抜かしている」と認識されていては奴も面白くないだろう。あれだけ好きだとアピールしているにも関わらず他へ目を向ける余裕がある。選び放題だ、などと思われてちゃ世話ねぇな。こいつから憧憬の眼差しで言われた瞬間の奴の顔を想像するだけでまた更に笑えてくる。


「杉元佐一を弄ぶのは構わんが、なんで馬鹿の一つ覚えみたいに毎度毎度俺のところに逃げてくるんだ。」
ちょっとまって聞き捨てならないんだけど!?いつ誰が杉元くんを弄びましたか!どっちかというとこっちが弄ばれてるんだからね?ときゃんきゃん吠える様子をシカトして「いつも仲良しこよししてる女共のところに行けばいいだろ。」と続ける。人付き合いは苦手と言いながらも申し訳程度に仲の良い友達は何人かいるはずだ。

「無理無理。あんなか弱い女の子の細い身体の後ろに隠れたとして私のデカい図体が隠れきるとお思いか?」
「ほぉ?つまり俺ならそのでかい肉の塊を隠せると?」
「いふぁいいふぁい!!そんなこと言ってない!誰も尾形くんが太ってるなんか言ってないじゃん!男女の体格差の問題を言ってるだけだってば!」
軽く頬を抓ると面白いくらいに伸びた。なんだこれ柔らけぇ、餅かよ。もう一度その感触を堪能しようと一旦下ろした手を再び頬へ伸ばそうと狙いを定めていると両手で自分の顔を包み込むようにガードされてしまった。

「尾形くんはバーサーカーモードの杉元くんの恐ろしさを知らないからそんな無責任なことが言えるんだよ」
「だいたいね、この会社の女性社員のほとんどは杉元くんの対女性魅了バフにかかっちゃってるんだから庇ってもらえるわけないでしょ。皆顔のいい男の味方なんだよ…世知辛い。」

尾形くんなら身をもって知ってるでしょ?顔がいい男への処遇の良さ。と同意を促されたので「まぁな、」と短く返したら「否定しないの腹立つわ〜!!」と喚かれた。どう返すのが正解だったんだよ。めんどくせぇとあからさまにため息を一つ。僻みほどみっともないものはない。

「ほら、「書類を届けに来た隣の部署からの伝書鳩」なんだろ?」
伝書鳩は自分の仕事が済んだらさっさと自分の場所に戻るもんだぜ。
暗に「用が済んだらとっとと帰れ。」と煽ると「こんなに困っている人間を見捨てる気ですか!?尾形くんの鬼!君だけが頼りなのに、」と縋られてしまう。
俺「だけ」がと言われてしまっては無下にすることも出来ない。はぁ、という重々しいため息とともに呆れた表情を浮かべながらもこの場にとどまる猶予を与えてしまう。俺ほどお前に対して慈悲深い人間なんていないと思うんだがな?

「一々逃げてくんのもめんどくせぇだろ。」
いっそ俺の女にでもなるか?
お望みならば指輪でも首輪でもなんでもはめてやるよ。
苗字のイメージする普段の「尾形百之助」を崩さないよう表情を繕ったまま少し大胆な告白とも捉えられる言葉を投げつける。
いつもあいつに見せるように面白いくらい顔赤くしたりするんだろうかと高を括っていると表情一つ変えずにじっとこちらを見据えてきた。

「?尾形くんは誰のものにもならないし、なる気もないでしょ。」

妙に癇に障る女特有の甲高い声とは違う、少し落ち着いたアルトの音色で紡がれた真っすぐで疑いのない言葉と視線が心の臓に突き刺さる。
痛い、痛い、
なんだこの痛みは、

なにを今更、解りきったことを?と言わんばかりに見つめられ、なんだかいたたまれない気持ちを隠すため視線を再びPCへ戻す。
「そうだな」と返せればどんなに楽だったろう。
液晶に羅列された文字を意味もなく目でなぞり、文面を思案しているかのように見せるため顎に手を当て人差し指を唇に軽くあてる。
返す言葉がなかった。それはこいつの言ったことが正解だったから。
俺は誰のものにもならないし、なる気もない。

だがな、




お前のものになら、なってもいいと思ってたんだぜ?名前、


だから今のは少し、傷付いたよ。



「此処もそろそろ奴に勘づかれる頃だろ。」
「たまには別の隠れ場所を選ばないとすぐ見つかるぜ?小熊ちゃん辺りに助けを求めたらどうだ。あいつならお人好しだからどうにかしてくれるんじゃないか?」
そう言ってこの場から離れることを急かす。小熊という単語に少し首を捻らせていたがすぐに「ああ、谷垣くんか」と納得した様子を見せる。

「あんま喋ったことないけど谷垣くん良い人そうだし庇ってくれるかも、」
ありがとう尾形くん、行ってみるよ。という言葉とともに苗字が離れていく気配がする。







「待て、」


「…こっちあんま歩きなれてねぇだろ。谷垣のいる場所わかるか?」
迷子になられたら迷惑だからな。喫煙所に行くついでに案内してやるよ、
この行だけ終わらせようと決めていたことも忘れ、埋まらないままの空白を残したまま自分の席を離れる。
自らここを離れることを促しておきながら呼び止めた自分自身に驚く。俺はなにをしたいんだ。内心戸惑いつつ、平静を保ちながらよく切り抜けられたものだと己を褒め称える。文字通り貼り付けただけの笑顔から戸惑いがの色が滲み出ていないかと心配になる

「尾形くんが優しいとか…なにか企んでる?その笑み怖いんだけど」
「馬鹿言え。俺はいつでも優しいだろ」
「優しい尾形くんとか都市伝説級でしょ。見たら幸せになれそう」
「だとしたらお前はすでに幸せもんだな」
ええ、なにそれ?と言いながら楽しそうに笑い、隣を並んで歩く姿がどうしようもなく、俺にとっては満ち足りたものに感じられて。

今はまだ、この生温く居心地の良い温床に浸かっていよう。

時間が許す限り、お前が許す限り。


願わくば、その時間が、少しでも長い時間であるように。



Modoru Main Susumu
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