活字を頂く攻防戦



昔から探偵ごっこをするのが好きだった。
もちろん自分が探偵になろうだなんておこがましいことを考えたことなどないが、ただテレビでミステリーをやっていれば主人公になって謎解きをしていたり、推理小説を読んでいる間は物語が終わるよりも早く答えにたどり着こうと励んでいた。そんな、本当に探偵ごっこと呼ぶに相応しいことが好きだった。
自分の幸運を自覚してからは更にそれが顕著になったように思う。本の中なら、テレビの中なら、頭の中なら、どんなことが起きても問題はなく、人が生きても死んでも幸福でも不幸でも好意を持っても持たなくても、既に完成された物語たちは普遍であったから。
そして、そんな過程を辿って、身の回りで起きたことを少しだけ歪めて物語を作り、犯人を作り、動機を作り、事件を作り、頭の中で自分だけのミステリーを作っていた自分が、今こうして作家として生計を立てているのは狛枝としてはとても普通のことだと思っていたのだけれど、先日飲みに来た左右田には「日頃からとかつまりお前、あの島にいるときもストックありまくったってことじゃねぇかよ、怖ぇよ」と一蹴されてしまった。逆にスカイプのカメラ越し(まぁ、カメラで写しているというよりもテレビのようなものだけれど)にその話をした七海からは「狛枝君、いろんな言葉がスラスラ出てくるもんね、お似合い…だと、思うよ」と肯定の言葉をいただいた。
そして、ジャバウォック島を出る許可がおり、様々なことがあった後にどういう訳か同居することになった日向からは――。


「ただいま、しぬ」
「おかえり、生きてね」

疲れています、と言葉でも動きでもハッキリと訴えてくる日向が同居中のマンションの自室に帰ってきたのは夜の11時を少し回った頃だった。ここ一週間ほど泊り込みで働いていた彼の顔を見るのは久しぶりだが、一週間で少しだけ痩せたような気がする。それに、心なしか頭のアンテナもへにゃりとして見える。
仕事もひと段落着いていたのでリビングでのんびりとテレビを見ていた狛枝は冷蔵庫からお茶のペットボトルを取り出してコップに注いだ後、一旦自室に戻る。少しだけ散らかった机の上からクリップでまとめられたコピー紙とノートを一冊引っ張り出して再度リビングに向かえばコップの中身を半分ほど消費したまま机に突っ伏している日向がいた。
部屋の中は贅沢に暖房を入れてあるので寒くはないが、体に良くはないだろう。

「日向君、風邪引くから寝るかご飯食べるかどっちかにしなよ」
「…めし」

腕の近くからコップを放しながら問えば、なんともまぁまさに”搾り出した”ような声が返ってきた。
基本的に疲れていても疲れたとは言わないのが日向なので今回は本当に参っているようだ。なんとか体を起こしながら「未来機関が俺の未来を奪おうとしてるんだ、今、まさに今」とぶつぶつと呟いているところをみるに相当限界に近い。

そんな日向の前に部屋から持ってきたノートとコピー紙をぱさりと置いて、ついでに晩御飯のあまりの惣菜(最近のコンビには便利だ)を取り出す。

「ほら、出来立てほやほや新作のプロット」
「なんだっけ、ミステリーだったか」
「まぁ、僕の書く本の割はミステリーだからね」

小鉢に入った惣菜をつつきながらコピー紙をパラパラとめくるその顔が少しだけ歪む。日向君はあまりミステリーが好きではないらしい。僕の仕事に関して難癖つけるつもりはないし助かってるから文句はないんだけどな、と本人から言われているので狛枝からはもうこれ以上言うこともないし、所詮自分のことなんて道端に落ちているゴミ程度の扱いなのだろうし、それ以上の言及も拒否も要求もなかった。

ただ、島にいた頃は知らなかった日向の食に関する問題だけは別だった。

「良いんだけどな、お前のミステリーってなんかこう…変な味がするんだよ」

日向は文字を食べる。
細かく分類すると言葉を食べる。紙に書いてあるものであれば手書きでも活版でもかまわずに食べる。扱いとしては間食に近いメインディッシュと本人はよく分からない表現をしていたが、少なくともジャバウォック島で文字を食べている日向を目撃した者はいなかったので普通の食事だけを取っていても生きていくうえでは問題が無いようだった。
更に本人が言うには「活版よりも手書きのほうが美味い」らしく、更に言えば「人が死んだり、訳の分からん論文だったりはなんか不味い」らしい。
だから、狛枝はこんなご時勢だというのにプロットだけは紙に書くことにしている。最初の頃はパソコンで作っていたものを日向が欲しがったのでこんなゴミで良いのならと渡していたのだけれど、いつしか日向に渡すことが目的になり、ならば手書きのほうが目的の達成になるのではないのかと今に至る。

「お前…この探偵役ソニアじゃないか?」
「違うよ!ソニアさんのような素敵な女性ではあるけれどソニアさんとは書いてないでしょ!」

コピー紙の文字がするすると浮いて日向の口の中に入っていくのは何回見ても不思議だし、自分の書いた劣悪で醜い文字が美味しそうには見えないのだけど、日向は好んで狛枝の文字を食べたいと言ってくれるので複雑な気分で日向の食事風景を眺める。

「お前、それは言い訳だろ」
「そうは言ってもね、日向君。僕の想像力では限界があるんだよ、難解な事件を解く素晴らしい探偵がなんのとり得もない平凡な人間な訳がないし、勿論僕みたいな人間以下の存在である訳もないんだ、そう…つまり今まで存在していた全ての探偵と呼ばれる人たちは才能を持っていたんだよ、それこそ超高校級と呼ばれるような才能を持っていないとね。でも僕はそんな才能をもった素晴らしい人間を空想の中だけで作り上げれるような高尚な頭を持っていないから僕の数少ない自慢でもある超高校級な君たちをモデルにするしかないんだ」
「毎回左右田っぽいやつが酷い目にあってることに関する弁解は?」
「……」
「お前都合悪くなると黙る癖治ってないんだな!」

するすると、流れるように文字を食べる日向は流れるように話も読み解いていく。その能力に果たしてどれほどの意味があるのかは分からないが、少なくとも速読は出来ているように思う。ただし腹は膨れるので上限はあるだろうが。
あ、これ良いな、美味い。とたまに感想を漏らしてくれるのだけれど、それが内容に対する賞賛なのか日向の好みからくる賛辞なのかがいまいち分からないところも、正直講評と言うにも程遠いのだけれど、結局のところ狛枝は日向が美味しそうにその文字たちを食べる姿が見れれば満足なので問題はない。
そして、あれよあれよと言う間に束になっていたコピー用紙は全て白紙へと戻っていた。

「ふう、ありがとな」
「どうしたしまして、売れそう?」
「そこそこ」

なんだいそれ、と取り留めなく続けていた会話に一旦終止符を打って、急須の中の緑茶をコップへと注ぐ。ゆうらりと湯気が立つそれを手で囲いながら一息つく。
話しながらあけておいた桃の缶詰を突きながら、日向は机の端に追いやっていたノートを手繰り寄せ、「こっちも良いか?」と首をかしげた。疲れているからなのか、少しだけ満腹になったからなのか、その子供のような仕草に狛枝の口角が少しだけ上がったまま「どうぞ」と促す。

ノートには仕事とはあまり関係のないメモだとか、一行ずつの日記だとか、本当に何の意味もないような取り止めのない言葉ばかりが書いてある。貰った電話のメモであったり、行き場のない思いを適当にぶつけてみたり、ふと浮かんだ案の覚書であったりもする。
「俺はこっちの方が好きだ」と日向はよく言う。作られたり飾られたりした言葉よりも狛枝の味がそのままするから俺はこっちの方が好きだと、以前言われたときはそんな口説き文句どこで覚えてくるのさとからかったものだ。

「流石に今回は多いな」
「日向君今回は忙しそうだったしね」

狛枝にとっての桃が日向にとってはこのノートであるといって良いらしい。確かに桃を食べる手は完全に止まってノートの文字をするりと食べることに集中している。
たまに日記代わりのメモに反応して「良かったな」とか「怪我、もういいのか?」と相槌を打つことを忘れないのがなんとも彼らしく、それでいて食べる手を止めない辺りがまだ子供らしく、狛枝としてもやぶさかではない。

そんな、先程のプロットよりもハイペースで食べ進められたノートは残り数ページを残したところでぴたりと捲るのを止められた。

「なんだこれ」
「ああ、仕様もないことを書いてしまってね、でも消すのも惜しいから残しておいたんだけど、やっぱり日向君が食べるにはあまりにも陳腐だったから上書きしたんだ」

数十行に渡って書かれた文字を上からぐしゃぐしゃと黒のボールペンで塗りつぶしたそのページは、確かに異様ではあったかもしれない。やはり破いておいたほうが良かったかなぁと思ったがそのほうが不自然だろうと塗りつぶしたのだ。
勿論、内容が陳腐だと言うのは嘘だ。いや、嘘ではないのだが狛枝としては見られたくないことを書いてしまったので、後から見直したら恥ずかしくなってしまい消したというだけなのだけれど。流石に日向も文字ではない物は食べれないだろうと次のページでも言ったら?と平然を装って促したのだけれど。

「うーん、隠されると気になるよな、ミステリー見た後だし」

先ほどまでと全く同じ容量でするすると黒い線を解くように口にいれていく日向に、狛枝は思わず目を見開いた。

「え、ちょっと、日向君、文字以外もありなの?」
「手書きならな、流石に活版は無理だ」

お前、根気入れて隠しすぎだろと塗りつぶした線をまるで麺類のように啜られて、そんなこと聞いてないよ!という反論をするよりも早く狛枝は座っていた椅子から立ち上がり一直線に自室へと向かう。
どうしたんだよ!と日向の声が後ろから聞こえるが無視をして、そのまま部屋に入って鍵を閉める。

あのまま食べ進められて、隠してあった文字が見えてしまえば、「寂しい」だとか「つまらない」だとか「早く帰ってこないかな」とか「会いたい」とか、そんな今時学生でも女の子でも書かないような言葉の羅列たちが見つかってしまうのだと思うと、狛枝はやはりあんなページ破り捨ててしまえば良かったと後悔しても仕切れずに、鍵を閉めたドアにそのままずるずると背を預けたまま座りみ熱くなってきた顔を腕で覆った。

数分後、「甘っ!」という日向の声と、どことなく嬉しそうな日向が狛枝の部屋のドアをなんとかして開けようとして扉一枚ごしの攻防が繰り広げられるのだが、それはまた自分には全く関係のない別の話だと狛江は思いたかった。




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