01. 異端者(29/37)
とにかく今は出来うる限りの情報を集める。その意志とともに、今度は意図的に二人の会話を傾聴しようとしたのだが、そんな折、マリさんが「あ」と短く声を発した。なにやら買い忘れがあったらしい。
いくらかの押し問答の後、レミオルさんが買い物へひとっ走りしてくることになった。自分が買ってくると頑として言い張った彼に、最終的にマリさんが折れたのだ。そして彼は文字通り、走って買い物に向かった。
さて、レミオルさんはいなくなった。つまりいまがこの茂みから抜け出すチャンスだ。彼がいなければ立ち聞きがばれることもない。そ知らぬ顔で出て行けばいいのだ。マリさんは私のことなんて知らないんだし。
とはいえレミオルさんのマリさんに対する気持ちを知ってしまった。それゆえの情報収集を決意したばかりだ。
こんな早々にせっかくの機会を放り投げるのか。いや、情報なんて探ろうと思えばいつでも探れる。待て待て。もし二人で駆け落ちなんてされたらまたゼロから『魔道書』を探さなくてはならない。…けど……。
ひとり悶々としていると、突然、なんの悪戯か一陣の風が吹いた。そしてマリさんの肩掛けを攫い、それを私の頭にパサリと被せて行った。
当然マリさんは自分の肩掛けを追う。なんせ真後ろの茂みに落ちただけだ。きっとすぐに目的のものと、それと同時に私のことも見つけるだろう。一体何と言い逃れしたものか。
だがマリさんはこちらへやって来なかった。代わりにドサッと、何かが倒れる音がした。
驚いて立ち上がった私が見たものは、ベンチの横で転んでしまった、とても可憐で淑やかな女性だった。薄く染まった頬に影を落とす長い睫毛をゆっくりと持ち上げ、こちらを見上げる。大きくて真ん丸の瞳だけは、おこがましいながらもほんの少し私と似ていて、しかし青と真紅の美しいオッドアイだった。
見つめ合った私たちの間には、しばしの沈黙が流れた。が、ハッと我に返り、地面に伏したままのマリさんに手を貸した。
「大丈夫ですか?」
「はい。す、すみません…っ」
耳まで真赤に染めて恥らう彼女は、私の肩と、おずおずと歩み出たラズの背中を借りて立ち上がり、ベンチに座った。
尻尾まで垂らして随分しおらしいラズを怪訝に思ったが、そういえば彼は人見知りなのだった。
「えっと、これ…」
私は椅子の正面に回り込み、飛ばされてきた肩掛けを差し出した。しかし目の前のマリさんを直視できない。彼女が可愛すぎるのだ。同性の私でも、こうしてあらためて向き合うと赤面してしまう。レミオルさんが惚れるのも大いに頷ける。
ひとり自らのつま先を意味なく見つめながら納得していたのだが、差し出したはずの肩掛けがいくら時間が経とうとなくならない。怪訝に思って顔を上げた。
「あれ?この肩掛け、貴方のですよね?」
「え…?あ…はい!」
指摘されてマリさんは慌てたように手を出した。しかしその手は明後日の方向の空を掻く。
あまりに彼女の指が目的に辿り着かないものだから、私はその手をとって肩掛けをしっかり握らせた。細くて白くて、今にも折れてしまいそうな指だった。
「これです。薄桃色の肩掛けです」
「あ、ありがとうございます」
「お安い御用です」
お礼を言うときの視線で確信した。おそらく彼女は目が悪い。ほとんど見えていないようだ。一歩横に移動すれば顔は着いてきたから、たぶん人の気配とかで位置は分かるのだろう。しかし歩こうとすれば先ほどのように転んでしまうのだ。
全くレミオルさんはよく彼女を置いて買い物に出た。でも、だからこそ、少しでも早く戻ってこようとあんなに全力で走って広場を出て行ったのかと納得する。
「どうかなさいましたか?」
「あ、いえ…」
「でも元気が無さそう」
マリさんは私の手を手繰り当て、そっと包んだ。心地よい温かさだった。
「私の目が見えないのはもうお気づきですよね?けどそれゆえか、他のものは見えるんです」
「他のもの…?」
「はい。だから貴方に元気が無いのが分かるんです。私でもよろしければご相談に乗ります。どうして見知らぬ相手にと、思われるかもしれませんが、それでも吐いてしまえば楽になることもあるんですよ?」
私は指先を優しく掴まれ、マリさんの隣へ座るよう促される。導かれるままに腰を下ろしてみたものの、何を話せばいいと言うのだ。いまの私の悩みを打ち明けれるわけないではないか。
レミオルさんを首都へ連行しなくてはならないんですけど、どうやら彼、貴方にお熱っぽくて、このままでは着いて来てくれそうにないんですよねー。どうしたらいいと思います?
いやいやいやあり得ない。聞けるわけがない。
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