ヘラクレイトス






雪村千鶴は訳あって本来の性(女性であるということ)を隠しており、そのため雲間なく輝く満月のように、平隊士らと話す機会はあまり巡ってはこない。
というのも間違ってもボロが出ないようにと土方の考慮であり、同時に事情を知る者たちが千鶴を監視するといった意味合いが含まれている。
前者はともかく、後者は千鶴への信用が少しずつ得られていることで薄れてきてはいるが、それでも幹部たちとの頻度を比べれば明らかに少ないのだ。
そう、今日であれば沖田とのように。

「あれ…?沖田さんの姿が見えませんが、どうかしたんですか?」

たまたまこの日は一番隊の巡察に同行してした千鶴が、さっきまで居たはずなのに、と周囲を見渡した。

本日はまだ大した事件もなくひどく穏やかな午前で、交代の時間が間近に迫ったため屯所へ戻るところだった。
ところが一番隊を率いるはずの彼がいなくなっている。
千鶴がどうしたのだと近くに居た隊士に聞けば、さぁ、という答えで。
隊士は特に気にする様子もなく歩を進めている。

どうしてそんなに落ち付いているのかと更に問えば、それは最近よくあることだと返ってきた。
巡察中に沖田がふらりと姿を消し、気がつけば戻っていきている。
戻ってきた沖田に隊士が尋ねると「ちょっと面白いものがあったから」と軽く笑い返され、それ以後もちょくちょくいなくなることがあったらしい。
幸い、沖田が居ない間に騒動が起こった事はなく、隊士間では「好いた人でも出来たんではないか」と噂されるようになったとか。
だから今日もソレと同じだろうと隊士たちは「若いって羨ましいなー」とか「俺らの隊長がぁーっ」などと面白おかしく笑い合う。

本当にそうなんだろうか。
千鶴はどこか胸の奥で引っかかりを覚えながら、今まで通ってきた道を振り返った。

「すみません、ちょっと沖田さんを探してきます」

どうにも気になってそう言い隊から離れていくと、後ろの方で「逢瀬の邪魔はしてやんなよっ」と弾んだ声が飛んできた。
何故追うのかと深く追求されなかった事に感謝しながら、千鶴は探す決意をした。



巡察に付いてきたのは音信不通になった父様を探すため、なのだが。
来た道を引き返し探す千鶴の目的はいつの間にか沖田にすり替わっていた。

この行動がもしかしたら無駄骨になるかもしれない、そう頭によぎる。
隊士たちと一緒に戻っていれば「僕がいなくて寂しかったの?」なんてひょっこり彼が戻って来るかもしれない。
だけど、胸の奥で騒いだなにかを見過ごすことができなくて。
気がつけば彼を探そうとしている自分がいた。

どうしてこんなにも沖田が気になるのか、当初は千鶴自身でさえよく分かっていなかった。
初めて会ったとき、土方に夜桜が似合うと思ったのと同じに、沖田には紅の中で笑う姿がとても印象に残った。
命の替えが利かない緊迫した状況のなか、大胆不敵に笑う笑顔がその光景には異様に見えて。
でも飄々とした沖田は、それが当然というように血溜まりの中にいて。
恐怖で自分はおかしくなっていたのかもと過去を振り返るが、何度思ってもその時の沖田は息を呑むくらい、綺麗、だった。

それ以後も何かにかけて、殺す、と千鶴を突き放す淡泊さも沖田を形成する一部だとしか捉えることはできなかった。
畏怖や嫌煙する要因にはならず、むしろ千鶴はどんどん引き寄せられていった。





周囲を見回していた千鶴は、何かに引き寄せられるようにある家屋の隙間に足を踏み入れた。
太陽が昇っている時間にも関わらず、そこは影で埋もれており寒ささえ感じられ。
路地から聞こえる声もどこか遠く聞こえる感覚に千鶴は無意識に唾を飲み込む。

「沖田さ、ん…?」

思わず口から出た言葉に千鶴自身驚いていると、前方にあった塊がびくりと動いた。
桶樽や箒が積み重ねられているのかと見間違うそれは人の形をしており、よくよく目を凝らしてみれば、それは木の板に背を預け座り込んで俯く沖田だった。
下に流れる髪の隙間から覗く目がかち合うと沖田はその表情を変えた。

「なっ……どうして、ここに?」

驚き、目を見開く沖田は掠れた声で千鶴を見上げた。
その拍子に露わになった顔貌、それは光りの薄い場所で色素の薄い髪と共に目立ち、口元に付着した何かを際立たせた。

「沖田さんが突然居なくなるから、それで…」
「それで、って君一人で来たの?あれほど言ったのに、まだ自分の立場を理解してないみたいだね」

そう言った沖田はいつもと同じように冷たく口角を引き上げるが、ふと千鶴が凝視するモノに気付いたのか眉をひそめ袖口で乱暴に拭きとる。
拭きとったソレは舌や口唇の赤とも違うが一見しただけでは何か判断できなくなった。
拭ったそれが浅葱ではなく小豆で保護色となったため余計に。

そこで気付く。
沖田の陰に置かれて分からなかったが、新撰組の特徴とも言える羽織りが人目を避けるように丸めこまれている。

見られた、と沖田はその焦燥から要らぬ刺を用意し千鶴へとぶつけた。

「君の行動一つが新撰組に与える影響なんて無に等しいけどさ、知らない所で果てられると迷惑なんだよ。」
「それは…、すみませんでした。でも、沖田さんが急に居なくなったから心配で、」
「僕が居なくなったから?それって遠まわしに僕のせいって言いたいわけ?」
「!!違います!私が勝手に心配しただけ、です。お身体だってまだ本調子じゃ…」

千鶴は未だ立つ気配のない沖田へ近寄ろうと足を踏み出すが、すぐに金縛りに遭ったかのようにハタと動きを止めた。
後ろに結んでいる髪がひとたび揺れ、さらけ出された首元をくすぐるがこの緊張を解く程の効力はない。
それもそのはず、これ以上近づくなと沖田から痛いくらい鋭い視線が投げ込まれているのだから。

「その先は言わない方が身のためだよ。変な噂を聞きつけた浪士が今襲ってきても、君を守ってあげる余裕はないかもしれない」

そしたら君死んじゃうよね、流れる上目は迷いもなく千鶴を見つめ気遣いもなく言い放つ。
下から見上げられる千鶴はぞくりと背筋を這い上がる電気に身体を震わせた。
沖田が言った場面を思い描いて、ではなく、この場で躊躇いもなく抜刀しそうな沖田の気配に。


「…なぁんて、つまらない冗談だって。そうならない為に僕たちが一緒にいるんだし、別に具合が悪い訳でもないし」

張り詰めた空気をぶち壊すかのように沖田は冗談めかして笑う。
いつでも動けるようにと神経を走らせていた手から力を抜くと、丸めていた羽織を手に取り砂を落とすため二三回振り何事もなかったように袖を通した。
そして立ち上がり下肢についた砂も掃い落す。

「戻ろうか、千鶴ちゃん」

緊張が解かれた千鶴は内心の怖れを隠し若干吃りながら、そうですね、と詰まった息も一緒に吐き出し、ぎこちなさが残る雰囲気から脱出するため別の話題を模索した。
それは案外すぐに見つかり、屯所までの帰り道に二人は花を咲かせることになる。






帰り道の途中、千鶴は隣を歩く沖田を見ていた。
先ほどの殺気は嘘だったかのように沖田は談笑する。
だが、歩くたびに見え隠れする袖口の赤い染みがちくちくと千鶴の心を突く様は、まるで赤い染みが忘れないでと言っているようだった。

――君の行動一つが新撰組に与える影響なんて無に等しいけどさ――

沖田が言った事は的確な事実であり、それが分かっているからこそ千鶴は無茶な行動もとれるのだ。
たとえそれが命を軽視するような行動だと言われようとも。

だが自分とは違い沖田は新撰組にとって大切な存在であり、なくてはならない存在なのだ。
沖田の、誰にも知られずたった一人で耐える姿は見るに堪えない。
傍について居たいと思ってしまう。
たとえ本人の意思に沿っていなくとも、それが私の正直な気持ち、一番叶えたい想いだから。

だから、彼が身体の調子は悪くないと言うのなら、私はそれを受け止めるだけ。
病の事を隠そうとするのなら、見て見ぬふりをするだけ。
沖田さんの為に何もしてあげられない心苦しさはたぶん生涯消えないけれど、それが想いを突き通す為の唯一の免罪符なのだから。
これからも私は、周りを、沖田さんを、そして私自身を騙し続ける。

(我が儘で、卑怯者で、…ごめんなさい)




ヘラクレイトス
(ただ一人の意志に従うこともまた一つの法である)
END.



2011.4.21




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