山南の驚異其ノ壱、転心薬1
「――…フ、フフフ……遂に…此処までたどり着きました…。
全ては明日、今宵はとても待ち遠しくて寝ていられませんね……。フフ、あはは……」
月光も雲に隠れた深夜のある日、蝋燭の火に揺らされた影が笑う。
新撰組頓所の一室から微かに漏れ出る喜悦の宴は、誰にも見咎められる事のないままひっそりと朝日を受け入れていた。
山南の驚異其ノ壱、転心薬
「斎藤君、沖田君、…っと藤堂君に雪村君もこちらに居ましたか。丁度良かった」
「んぁ?山南さんじゃん。なに、俺らになんか用事?」
頓所で木刀を使い激しく打ち合う沖田と斎藤。
その片隅でどちらが勝つかと面白そうに見ていた平助は、何だろうと微かに感じられた気配の方を見やった。
そこには今日も変わらない微笑(狸の皮でも被っているのかと噂されている)を浮かべる山南が立っており、未だ動き続ける二人と地面に座る平助と千鶴を順々に視界に捉えていた。
「ええ、実は皆さんの手を借りたい事がありまして…」
「――、っ総司」
山南の存在に気付いていないはずもない沖田は止まる事なく、前へと一歩踏み込む。
横一線に木刀を打ちつけると、居合いさながらの早さで斎藤がその衝撃を受け止めた。
「っと、…山南さん直々の頼み事みたいだからね。」
ビリビリと神経に残る感触を身に染みこませる自分はつくづく人斬りなんだと思い知る。
残念だけど一君とのお楽しみはまた今度という事で、と十字を描いていた木刀が離され、高ぶってい昂揚感を納めた二人は汗を拭い山南へと向き合った。
「すみませんね、お二人とも…――ですが、協力して頂けるのであれば別の楽しみがあるとお約束しましょう」
にっこりと笑う山南の言い回しに沖田は眼で探りを入れるが、張り付いた笑顔からは何も読み取れず。
具体的に何をと明言しない山南が簡単に失言しない事を知っていたため、沖田は早々に諦め肩をすくめた。
「では、まず場所を変えましょうか」
一体何だと、平助と千鶴は顔を見合わせ、踵を返した山南へと続くべく大きく土を蹴った。
そうして召集されたのは山南自身の部屋だった。
千鶴は茶を用意するため一旦勝手場へと足を運びお盆に湯呑みを乗せ、障子越しに部屋主へと声をかけた。
「山南さん。雪村です、お茶を入れてきました」
「ありがとうございます、どうぞ入ってください」
失礼しますと断りを入れてから部屋の中へ入ると、木机に重ねられた書簡の横にはビーカーやフラスコなどがあり、客を招待することを考慮したのか全ての中身は空だった。
「サンキュー千鶴。総司と一君は木刀片してから来るから先に座っとけよ」
「そう、だね」
千鶴は胡座をついた平助と、山南へ湯呑みを渡すと廊下から近い位置に腰を降ろした。
部屋主より寛ぐ平助とは違い、普段山南の部屋へ入る事が少ない千鶴は居心地が悪いのかソワソワと落ち着きがない様子で。
それを見た山南は立ち上がり、「貰い物ですが、饅頭がありましてね。お茶請けにいかがでしょう?」と、棚から牡丹餅ならぬ饅頭を取り出した。
「へへっ俺ちょっと腹減ってたんだ。皆で食べようぜ」
嬉々とした平助の声と丁度部屋の外からの斎藤の声が被さり、山南は入室を促す。
すると、きっちり身なりを整えた斎藤と手ぬぐいを首に垂らした沖田が現れた。
「斎藤さん、沖田さん、どうぞ」
「すまないな、雪村」
斎藤は湯呑みを受け取り礼を言うと千鶴の隣へ、一方沖田は斎藤と平助の間に座り、山南が持っている皿に目を走らせた。
「都合よくお茶請けがあるのは、山南さんが?」
「ええ、頂き物ですが頼み事をするのに報酬がないのも悪いですし」
「それが今回の報酬という訳ですか。いったい、饅頭一つで頼まれるお願いはさぞ大変なんでしょうね。」
「人にとっては大変な事かもしれませんが…」
言ったでしょう?楽しみがあると、と参謀らしい含み笑みを見せる山南だが、まずは話の前にどうぞ召し上がれと皆に促した。
前金という事か、と斎藤は手を伸ばし、平助は食べてから聞けばいいじゃんと大きく口を開けてかぶりついた。
楽観的過ぎやしない?と呆れ顔の沖田も、食べないんですか?とこれまたネズミにでもかじられたかのような饅頭を持つ千鶴に問われ。
「騙されやすい人達なんだから…」
誰にも聞こえないよう小さく呟き、渋々ながら完食した。
お茶をすすり美味しいなぁと一息つく自分も大概だ、とどこか頭の片隅で思ってしまう。
「それで頼み事というのは?」
皆で菓子を食すことが目的ではないだろうと斎藤が話を切り出すが、山南はそれが狙いだったのだとばかり首を振った。
「今ので半分は果たせました」
「はぁ!?今の、ってただ饅頭食って茶ぁ飲んだだけじゃん」
「えぇ。ですから、もう半分は見事引き当てた方にお願いしようかと」
引き当てたって何を、と説明不足のせいでイマイチ理解しきれない平助の横で、あぁやっぱりねと零す沖田が諦めた表情で天を仰いだ。
全くもって嫌な勘は外れない、身体の内側からザワザワと何かが警報を出してるみたいだ。
「えっと、どういうことですか?」
お人よしの筆頭も不安げに首を傾げ説明を求めた。
そんな彼女とは対照的に、一君は冷静だ。
持って生まれた素因なのか生きてきた環境がそうさせたのかは知らないが、彼は他人に悟られるような動揺は滅多に見せない。
……色恋沙汰は別として。
「ふふ、直ぐに分かりますよ」
さらりと告げられた意味深な言葉に、山南の眼鏡が怪しく光ったように見えたのは、きっと僕だけではないはずだ。
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