対の言葉





「…っ…!!………!」

音に成らない声ってあるんだと、薄れゆく意識の中で思った。
白く染まる景色に、必至に手を伸ばして叫んでいる貴方がいる。
私を愛していると口ずさんだ唇で。
壊れ物を扱うように私を優しく愛でてくれた手で。
鬼の宿命から命を懸けて守ってくれた身体で。

「………千鶴!…」

応えたいのに声が出ない。
あぁそうか。さっきのは総司さんが私を呼ぶ声で、聞こえてなかったのは私の方。
最後に見えたのは私を千鶴と呼んだ貴方の悲壮な顔で。
大丈夫、私はまだ貴方の傍にいれるから。
だからそんな泣きそうな顔をしないで、…総司さん。
彼の名前を呼ぼうとして、音とならない声で彼を強く想った。
何度も指を絡めあったその手を掴もうと自らの腕を差し出す。
けれど、この手がちゃんと届いたのかどうか知る術は私にはなく、朧げで霞みがかった白い世界に包まれた。







事の始まりは、いつもと同じ黄昏れ時。
僕と千鶴が二人で暮らしはじめて、気付けばもう数ヶ月が経っていた。
羅刹の血が薄まった証拠に日が昇ると活動し、日の沈みを見届けてかり眠りにつく。
大した発作もなく一般の日常に沿って生活することが、小さな幸せであると身を持って実感していたある日。

「ただいまー、千鶴。今戻ったよ」

かつて東の鬼が暮らしていた土地に今いるのは僕達二人だけ。
随分前から荒れていた土地を耕し、ある程度の野菜は育ててはいるがやはり自分達で賄いきれない部分もある。
そのため時折近隣の村へ降りて食糧を調達したり、世間の噂話を仕入れてきたり。
ここで暮らす事に苦痛や不満を感じた事もないし不便だとも思わなかった。
だけどこの時ばかりは、自分だけじゃ手をやく事だってあるんだと痛感しのだ。

「あー疲れた。ちょっと買い過ぎちゃったかなぁ…」

一刻ほど履いていた草鞋を揃えて脱ぎ、肩で支えていた米袋、大豆や味噌等が入った風呂敷を床板に置いた。
村から戻ってくる道中ずっと持ちっぱなしだったため漸く肩の荷が降りたと腕を回していると、一つ足りないものに気が付いた。

―――総司さん、お帰りなさい

毎度、僕の帰宅を知った彼女が駆け付けてくる足音が聞こえてくるのだが、今日に限っては静かなまま。

「…千鶴?何処に居るの?」

玄関に入っても出迎えてくれる人が見えず、僕の脳は都合の良い事に千鶴の幻聴を引き出す。

再度彼女を呼ぶけれど、古ぼけた木板の軋む音や生き物の動く気配が感じられない。
買い出しに出ている間に何かあったのだろうか。
この家には滅多に人は訪れないけれど、…たとえば賊か何かが入って来て怪我を負ったとか、絶対にないとは言い切れない。
行き倒れた一匹の昔馴染みの犬が近くまで迷い込んだのも記憶に新しい。
ひょっとして僕の思い過ごしで、単に家事で手が離せないだけかもしれないが。

「千鶴ー?」

買ってきた荷物はそのままに、知らず知らず早歩きで向かう先は縁側。
もしかしたら朝に干した洗濯物を取り込んでいるかもしれない。
むしろそうであってほしい。
焦る気持ちが、日常生活を送る彼女の姿を求める。

「どうしたのさ、ちづ…!ッ、千鶴!?」

けれど僕が見たのは縁側で座っていた千鶴が、立ち上がると同時にふらりと揺れる彼女の姿。

「千鶴!」

崩れ落ちる彼女を支えるべく差し伸ばした腕が掴んだのは、空気と千鶴の残影。

「千鶴!千鶴!しっかりしてよ千鶴!」

その残影は確かに"総司さん"と僕の名前を呼んでいた。
まるで気の狂ったオウムのように僕は彼女の名前を繰り返し呼んだ。
それでも、抱き上げた身体は何の反応もなく、くたりと重力に従って地面へと吸い込まれそう。
掴んだ細腕に力を込めれば今にも折れてしまう、そんな気もした。

秋の冷たい空気と比例したようなかなりの熱を持つ彼女の額に触れ、浅く早く呼吸を繰り返す吐息を感じながら僕は行動に移った。

(とにかく寝室に運ばなくちゃ)

放置した荷物の事なんて既に頭にはなく、今目の前にある事柄が全てだった。








蒲団を敷く為、腕に抱えていた千鶴を一度壁に預け倒れない事を確認して押し入れから一式を取り出した。
取り出した順に敷けるよう仕舞っていた彼女の忠実(まめ)さがとても有り難い。
人が入り込めるように掛け布団を折り曲げ、最後の仕上げに首枕を置き、彼女を横たえようとして差し伸ばした手がピタリと止まる。

(アレ…熱が出てる時って、着物は脱がした方が、いいんだっけ…?)

今も息苦しく呼吸を繰り返す彼女に下手な事は出来ないと自分が培った経験を思い出す。

子供の頃、よく病床に臥せていた時は心配そうに近藤さんが頭を撫でてくれたっけ。
近藤さんの何もかも包み込んでくれる優しい笑顔と剣ダコの出来た無骨な大きな手に、病の苦しさも忘れ安心して眠れていたのだ。
人より病弱だった僕は看護される事はあってもその逆は機会があまりなくて。
近藤さんは風邪をひいた事にも気付かないほど元気だったし、男所帯で育った僕に異性の世話なんて期待する方が間違ってる。

でも、夫婦の契りを交わした相手なら尚更そうは言ってられない状態で。
ここには僕一人しかいない上、医者を呼ぶにも千鶴をこのままにしておく訳にはいかない。

(襦袢だけでも大丈夫かな。あと、井戸で水汲んできて…)

結局じんわりと汗ばんだ布は取り払い、桶に張った冷えた水に浸した手ぬぐいで簡単に彼女の身体を拭いた。
大好きな人の着ている物を脱がせ火照った身体に触れるなんて、何の試練かと笑いたくなり緩んでいた帯を締め蒲団を彼女の肩まで引き上げた。

(…ったく、僕も人並みの欲求はあるんだから、襲っても文句を言われるような姿を曝さないでよ!)

さらりと熱に浮かされた髪に触れ、輪郭をなぞる。
僕の手が冷たくて驚いたのか、一時よせられた眉がゆっくりと元に戻っていく。

「ん…………きもち、いい」
(〜〜ッだからそんな事言わないの!!)

平常心平常心、忍耐忍耐、とお経のように自粛の言葉を唱えながら寝室を出て勝手場へと向かう。
と言っても僕が作れるものは限られているが、目が覚めた際に何か食べれるものを用意するためだ。
ドクドクと高鳴る心をごまかし、鍋に米や食材やらを適当にぶち込み火にかけた。

「そ、そうだっ薬。薬はあったかな。どっかに仕舞っていたような気が…」

記憶から探すが、どうにもこうにも薬箱を見掛けた様子がない。
病人を放って自分の家を家捜しする気にもなれず、肝心な時に手元にない石田散薬に八つ当たりしていた。

「あんな子供騙しでも無いよりはマシだろうにその薬さえないなんて。要らぬ所でお節介ばかりだったくせに肝心な時に役にたた」
「吹きこぼれてますよ?」
「ふぎゃああ!」
「そ、総司さん?」
「ーーッッ!!ぷはぁ……なんだ千鶴じゃない、脅かさないでよ…って、ああ!!鍋!」

後ろから声を掛けられまさか死んだ人間が僕に反論する為化けて出てきたと思いました、とは口が裂けても言えず、長いこと火にかけていた鍋を取ろうとする。

「別に脅かしたつもりはなかったんですが…」
「そんなことより起き上がっても――熱っ!」
「大丈夫ですか!?」

直接素手で取っ手に触れてしまい思わず手を引っ込めた僕を心配して、夜着を羽織っただけの千鶴が少し赤くなった僕の指に触れる。

「火傷になる前に冷やした方がいいです。私は今体温が上がってるから…」

千鶴はその指で耳たぶを挟むようにと、顔の横に向ける仕種に僕は素直に従い、空いている方の手で鍋を避け弱っていた火に水をかけた。
そうしてから漸く落ち着いて千鶴の方へ向き合う事が出来た。

「まったく…人の心配するより、まず自分の心配をしてよね。寝てなきゃ駄目じゃない」
「総司さんの姿がなかったので、不安になってしまって」
「うん、僕はちゃんと此処にいるから。早く蒲団に戻ろう?」

何か後ろ髪引かれるものがあるのか、中々寝室へ戻ろうとしない千鶴に対して先程解いた髪を何度か梳いてやる。
千鶴は気持ち良さそうに目を閉じてじっと僕に身を任せ、胸に頬を寄せた。

「甘えん坊になったのかな。一人じゃ眠れそうにない?」

まるで猫が愛情を示すかのような仕種に、愛しさが増して自然と笑みがこぼれてしまう。
熱を共有していく内にほんわかと心までもが暖かくなり、手放したくない想いが積もっていく。

「…はい。もう少しこのままで……。総司さん、」
「ん、何?今ならどんなお願いでも聞いてあげるよ。眠れないのなら手を繋いでてあげるし、次に起きるまでずっと傍にいてあげる。何だったら添い寝でもしようか」
「あ…っと、手を、眠るまで繋いでいて、くれるだけでいいですから」

そんな事でいいんだ、といつまで経っても恥ずかしがり屋な奥さんはその問いに頷き、僕を見上げる。

「まだ言ってなかったですよね。―――総司さん、お帰りなさい」

微笑んだ千鶴から貰った言葉が嬉しくて、僕は笑顔でこう返すんだ。

「ただいま――千鶴」







対の言葉
(いつもの日常でも幸せになれる瞬間は沢山あるんだ)




END.

りん様に捧げます(2010,11,12)





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