想いの先にあるモノ 6
それから入学式が始まった。
教員が並んでいる席に学園長の近藤さんや土方さん達の懐かしい顔を確認でき、数多の思い出が頭をよぎり涙が零れそうになった。
そして式の最中、入学式の進行中だとか退場する時にも沖田さんの姿を探したけれど、何故か沖田さんだけ見つからない。
斎藤さんと同じクラスだって教えてもらったから、芋づる式にでも沖田さんが見つかると思っていた淡い期待は見事に散った。
会いたいのに会えない。
近くに居るはずなのにと諦めきれず、入学式の後も校内を探しまわっていた。
馴れない校内を歩き回って、気付けば時刻は13時を過ぎていた。
この無駄に広いと思わせる敷地で2時間は探しており、ほとんどの生徒は帰ってしまい後片付けをしている生徒がチラホラといるだけ。
(玄関で待っていた方が良かったのかも…)
今更ながら自分の突発的行動を後悔した。
そして、ふと張り詰めていた糸が切れて急に身体に疲労を覚えた。
(…ちょっとだけ休憩)
今は誰もいないテラスに来ており、そこには白を基調として並んでいるテーブルとイス、数台の自動販売機。
ガラス張りの大きな窓が解放されており、ベランダにも設置されているイスの一つに腰かけた。
目の前には青々しく生い茂る木々、その上方には真っ白な浮雲。
そよ風が吹き、疲れた身体を癒してくれる。
沖田さんはもう帰ってしまったんだろうか。
そんな不安が頭をよぎった。
お昼を過ぎた時刻、まだ残っている可能性は十分に低い。
でも、なんとなくだが、沖田さんはまだ帰っていない気がする。
気ままだった彼は、たとえ相手が子供達だろうと新撰組、いや近藤さんを侮辱されれば容赦しない人だった。
濡れた髪も気にせず、お風呂上がりで外の空気を楽しむ穏やかな資質も持っていた人だった。
だからこそ、今日みたいに天気の良い日、近藤さんが創るこの空間を見ているのではないかと、そんな気がしていた。
静かな空間、くぅー、とお腹の虫が思いのほか大きな音で鳴った。
(そういえばお腹空いたなぁ…何か飲み物でも)
イスから立ち上がり自動販売機に向かおうとしたところ、一瞬息が止まった。
「クスっ…お腹空いてるんでしょ。飴でも食べる?」
一人だと思っていた場所に、掌にちょこんと置かれた飴玉を差し出しながら立っていた男性。
(――!沖田さんっ!!)
驚きのあまり、声が出ない。
何も言えない私はただ呆然と、久しぶりに沖田さんを正面から見た。
制服に包まれた彼は、ワイシャツの第二ボタンまで開けブレザーを肩に掛けていた。
柔らかな茶色の髪は今も健在で、目にかかりそうな長さが彼の特徴を表している。
吸い込まれそうな翡翠の瞳も、慣れていた目線の高さも、少し意地悪そうな声も、全てが昔のまま。
まるで時代が戻ったかのような錯覚に襲われていた。
「ちょっ…―、どうしたのさ?」
「どう、したって、何が」
「…ココ。濡れてる」
困ったように沖田さんが自分の頬を指す。
その場所に沿って頬に手を当ててみると、確かに水滴が。
なんだろうとその水滴をなぞると、私は知らない内に泣いているのだと知った。
「す、すみません…」
「座って、少し落ち着こうか」
沖田さんに勧められるようにまたイスに座り、待ってて、と持っていた飴玉を私に渡した。
ほんのり体温で温かくなっている飴玉をぎゅっと握る。
包装紙がチクチクと皮膚に刺さる感触がするけれど、全然気にはならなかった。
ガコン、ガコンと音がして戻って来た沖田さんの手には二つの紙パックジュース。
はい、といちごミルクの方を渡されると沖田さんは私の隣、横に並んで外を見るような形で座った。
「…ありがとうございます」
「落ち着いたら飴も食べるんだよ」
そう言って沖田さんはグレープジュースを飲み始める。
透明なストローから、赤紫の液体が口の中に入り、喉の動きから沖田さんの体内へ入っていくのがわかる。
思わず、羅刹の沖田さんが目に浮かんだけれど、振り向いた彼の瞳は赤くはない。
「もしかして嫌いだった?いちごミルク」
「い、いえっ…いただきます」
見つめていた事がバレて、何でもないと頭を振りかぶる。
貰ったいちごミルクは程よく冷えていて、疲れた身体に染み渡った。
ふと、何でこんなに和んでいるんだろうと沖田さんをチラリと見る。
朝に見掛けて、会いたいと思っていた相手が此処にいる。
探しても見つからなかった相手が隣にいる。
会って、話しがしたいと思っていたはずなのに、いざ彼を前にすると上手く言葉が出てこない。
「お金っ、お金払います」
「別にいいよ。ジュースの一本くらい」
「でも…」
「お金を出されたって僕は受け取らないから」
その代わり、と続きそうな沖田さんに申し出を断られ、ポケットを探っていた手が止まる。
「通りすがりの僕にでも話せる事があるんなら話しちゃえば?溜め込んでるのは良くないよ」
泣いていた私に何があったのかは敢えて触れず、そっと話しやすいように諭してくれた。
まだ名前も言ってない私につきあってくれている、その優しさにまた泣きそうになった。
「…昔、恋人だった人がいました」
――ただの通りすがりの人には絶対に言わない。
「ある時、その人と離れなければいけなくなって、でも私はその人と離れたくなかった」
――沖田さん、貴方だから話すんです。
「だから次に会える時、今度こそ一緒にいられるよう願いました」
――私の事は覚えてなくてもいい。
「偶然にも、その人に会うことができて」
――ただ貴方の傍に居たいだけ。
「今でもその人が好きなんだって」
――こんな想いは迷惑ですか?
相槌をうちながら聞いてくれていた沖田さんに、「突然こんな話をしてすみません」と謝る。
だいたい、会ったばかりの人間にこんな話をされても迷惑だろうと思い直す。
この想いは胸に秘めておこう、と決めた時だった。
「その相手って、誰なの?」
沖田さんがじっと私を見つめる。
胸の奥まで見透かされそうな瞳に、今決心したばかりの思いがグラグラと揺れる。
私を覚えている訳がない。
でも、その瞳に期待してしまう。
言ってもいいですか?
今でも、貴方が好きです、と。
今日出会えた運命が、願いに応えてくれたと。
沖田さんは、少し拗ねたように笑った。
「君は言ってくれないの?その相手は僕だって」
そして、「一人にしてゴメンね」と私を抱きしめてくれた。
何もかもが懐かしい。
沖田さんの顔も、声も、腕も、何もかも。
「千鶴ちゃん―」
「…っ、おきた、さんッ」
沖田さんの胸に顔を埋め、離さないと言わんばかりに背中に手を回す。
きっとワイシャツが皺くちゃになってしまうくらい握りしめ、沖田さんも力強く、でも優しく抱き寄せてくれている。
「今度こそ離さない、だから君も僕を離さないで」
「…はいッ…ぜったい、離しません…」
記憶がなかったはずだとか、沖田さんに色々聞きたい事はあったけれど、今はこのまま―。
「私、沖田さんが好きですッ」
「うん。僕も、君の事が好きだよ」
新たな二人の幕開けを心に刻み込むのだった。
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