想いの先にあるモノ 3







――ッゴホ、ッハァハァ…

一君と平助君と別れて、気付けば僕は相談室前に来ていた。
玄関からここまでに来るには、教室のある棟から渡り廊下を通って学芸棟まで来なければならない。

この学園は広く、一般に生徒達の教室がある学習棟、音楽室や美術室などがある学芸棟、その間には中庭やテラス、食堂などがある。
僕が通って来た渡り廊下は二つの棟を結ぶ通路の一つになっている。

ここまであの子の事を考えながら走ったせいか、全力疾走したわけでもないのに胸が苦しい。
今は相談室前の廊下に片手をついて呼吸を整えようとしてるけれど、中々治まってはくれない。

「はっ、剣道部のエースのくせに」

呼吸一つ落ち着かない身体が恨めしい。
減らず口を吐いても、僕がここまで来る羽目になった原因を思うと、なんだかやりきれない。

花びらが舞う中、髪を押さえる少女。
顔のパーツははっきりと見えなかったけれど、遠目でも確認出来たあの黒髪、纏う雰囲気。
走りながらでも僕の頭は、少女はあの子だと告げていた。
それと同じく、僕の身体はある事を訴えだした。

―なんであのタイミングだったのかなぁ。

元から体調は悪かった、平助君と話してから頭痛はして、あの子を見かけてから…。

「…まさか、ね」

これは確信がある訳じゃないから、まだ誰にも言えない。

ここまで走ってきて、ぐちゃぐちゃしていた頭の中は少しずつ落ち着いてきた。
せっかくだから、源さんに会いに行こうか。
目の前には相談室のドア、その横には相談員の井上源三郎という名札プレートが掛けてあった。

「源さん、いるー?」

軽くノックをしてから相談室のドアを開ける。
すると、淡いクリームの壁に囲まれた少し広めの一室。
片隅に簡単なシンク台、日当たりのよい窓の側には二輪の黄色のチューリップ、中央には木目丁のテーブルと、ゆったりと座れるタイプの椅子が二脚。
他にもデスクや細々としたものがあるけれど、綺麗に整頓されている。
広いと感じたのはそのせいかもしれない。

「おはよう、沖田くん。今日は随分と早い登校だね」
「あははっ、源さんまで…、僕ってそんなに遅刻魔のイメージが強いのかな」
「ああ、いや、そんな事はないが、今の時間帯に沖田くんが来るなんて初めてじゃないかい」

そういえば来た事なかったかも、なんて笑いながら言うと、デスクで仕事をしていた源さんは僕に席をすすめてくれる。

「どうぞ掛けてくれ。何か飲むかい?」
「今日は遠慮しとくよ。あ、でも、お水貰えるかな?走ってきたから喉が渇いてるんだ」

いつもはお昼休みや放課後に来ていて、お茶や珈琲をご馳走になっている時もあった。
生徒のメンタルヘルスケアを行う場所でもあるため、ハーブティーなど簡単なものは常備しているらしい。
僕も随分と利用はさせてもらっている。

「了解した。少し待っていてくれるかな」

僕はすすめられたように椅子に座り、鞄を足元に置いた。
その間源さんは、今までしていた作業を中断して水を用意してくれている。
お茶を飲みながら色々と相談に乗ってもらっていて、人柄的に話しやすいと思っていたけど。
それが人柄だけではなく、郷愁から来るものだったと今なら分かる。

「はい、お待たせ」
「ありがとう、」

コルク製のコースターと伴に置かれた透明なグラス。
さっそく、グラスを口元に寄せ透明な液体を体内へ取り込んでいく。
少しだけ冷たい水が、喉元を通り過ぎていくのが分かる。

「―はぁ、なんか生き返ったって感じ」
「そんなに喉が渇いていたのかい」
「んー柄にもなく緊張しちゃってるのかな。」

久しぶりに千鶴ちゃんと会えると思って。

彼女の笑顔を浮かべるながらそう言うと、僕もつられて笑みをこぼす。
すると源さんは驚き目を見開き、思い出したのかい、と椅子に座ろうとしていた手を止めた。

「ついさっき、玄関先で千鶴ちゃんを見かけてね。一気に思い出したみたい。」

あ、それと、平助くんとも会ったよ。
今日から入学するのかな。

「そうかぁ。雪村君と藤堂君が…。」
「うん、…平助くんは僕たちの事、覚えてたんだ」

そういえば悪い事しちゃったかな、と振り返る。
その時は本当に覚えていなかったけれど、平助くんを落胆させちゃったみたいだし。
いや、でも、覚えていないっていう可能性もあったのに、一君と同じように僕も覚えてるって勝手に勘違いした方が悪いんだ。

なんて思いながら、また水を一口飲む。
大分身体が潤ったのか、さっきより水の通りが感じられなかった。

「辛くはないかい、沖田くん」
「―ぇ」

僕を見る源さんが真剣な表情で、真っ直ぐな視線でもって尋ねてくる。

「もう一度聞くよ。思い出した事で、辛くはないのかい」

質問の意図が掴めなくて、自分の中で問いかける。

辛くはない?
何が?
記憶を思い出して?
辛い?
誰が辛いの?

ゆっくりと目を閉じて自答してみる。

僕は新撰組一番組組長、沖田総司だった男。
でも今は、その記憶を持つただの沖田総司にすぎない。
僕と沖田総司は違う人間だ。
けれど、記憶があるのなら沖田総司に成りうるのではないか。
今日会った平助くんも、時々過去の沖田を探す一君も、僕を必要とはしていない?
なら僕は――。

またゆっくりと目を開け、源さんを見つめ返す。

「僕は――」

勝手に口が動き、震えながらも声が発せられる。
ふと瞬きをした瞬間、僕は、零れ落ちた雫に気付かない振りをした。






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