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ぞっとした。
それは愉悦からくるものなどでは、断じてない。背筋が凍り付くような気がした。
気味が悪い、なんてものではない。本当に“これ”はあの女か?かつて気高く俺に食ってかかってきた小娘が――。

敗者の張る虚勢ほど、見ていて哀れで愉快なものはない。その折れぬ不屈の意志を、完膚なきまでに叩き潰すのが勝者のせめてもの餞であろう。
それ故に、最初から心の折れた者を蹂躙するのは興醒めなのだ。或いは端から抵抗の意思がなく、恭順と屈服の姿勢であることが。

今の女の態度は、後者であった。この女にして一番有り得ぬ行為――あってはならぬ行動。
あまりのことに、流石の俺も言葉を無くして開いた口が塞がらない。

女は、依然喋り続けていたが、その半分も意味ある言葉として耳には届いていなかった。

「会う回数を重ねる程に、私と貴方は相容れぬ存在なのだと思い知りました。思慕の情は憎しみに変わり――私の淡い恋心など、あの悲劇からすれば吹けば飛ぶような些細なものだったのですわ。…けれど」

間に挟んだ円卓を避けて、女がこちらに歩み寄ってくる。思わず後退ると、膝の裏に椅子が当たった。

「“この世界”では、過去のしがらみなど関係ありませんわ。私が“あの世界”で伝えられなかった想いも、或いは…」

手を伸ばせば触れるほどの距離に女が来た時。適した対処法が思い浮かばずに突っ立っていた俺の背中に、突然鋭利な刃物が突き付けられた。

振り向かずとも分かる。自分に向けられる痛いまでの殺気は、魔王たる己の天敵――勇者のものである。

しかし、このタイミングで現れた第三者を、俺は常では考えられぬことに歓迎した。多少の無礼もこの状況を打破する為には許そう。

「ゼルダに何をするつもりだったんですか」

低い声で勇者が凄んでくる。改めて女を見下ろすと、既にその焦点は俺ではなく、若い勇者に合っていた。

――なんとなく。
ことの次第が見えた気がする。

端から見れば、俺たちは容貌魁偉の魔王と、儚げな姫君。二人が並べば、どちらが悪かなど確認するまでもない。

「…だとすれば、何だ?」
「テメェをブッ飛ばすまでだッ、この豚魔王!」

口汚く叫んだ割に、非常に正確に急所を狙って繰り出された斬撃を、魔力を込めた拳で弾き返す。その隙に女を庇うように立ち位置を変えた勇者と、甘んじてその庇護下に入る女とがこちらを睨み、いつものような二対一の構図が完成する。
しかし、まぁ、勇者の後ろに立つ女の、嬉しそうな顔といったら、憎たらしいことこの上ないほどで。詰まるところ、自分は今の今まで遊ばれていたのだ。
――この一瞬を迎える為だけに。

ぎらぎらと怒りに瞳を燃やす勇者を見下ろし、失笑。この哀れな勇者も、自分すらも、このしたたかな女に踊らされているに過ぎない。それに気付かぬ勇者の方が、或いは幸せなのかもしれぬ。

「男の嫉妬ほど惨めな物はないぞ」

敢えて気付かぬ振りをして、その憤りの矛先を勇者に向ける。案の定女の方はしたり顔で笑みを深め、勇者の方はますます表情を険しくした。

「自覚してます。私、心の広い方ではないので」
「質が悪い」
「貴方よりはマシかと。私はただゼルダが、他の男と目を合わせたり、会話したり、同じ空間にいたりするのが嫌なだけです」
「やだ、リンク。そんなに私のことを想って下さっているのですか」
「そうですよ、ゼルダ。私、貴方に何かあるんじゃないかといつも心配で心配で」
「嬉しい…私もいつも貴方だけを想っております」
「……」

若い男女二人の睦む様を、俺は冷めた目で見守る。
とどのつまり、あの女は勇者に嫉妬させる為に、俺なんぞに声をかけたのだ。宿敵たる俺を貶めたい思惑もあっただろうから、一石二鳥だったという訳だ。
所謂スケープゴート、生贄というやつだろう。

「さぁ」

俺の宙を掴むような空想を途切れさせ、勇者が正眼に剣を構えた。立派に役割を果たした魔王は既に用済み。さっさと立ち去れ、と勇者の背後に控える麗しの姫君も告げている。
ここで女の目論見を勇者に告げ口するのは、野暮というもの。そもそもそんな義理もないし、意味もない。勇者とて、この女の見目だけに惚れたのではない。したたかな性格も、或いは見た目通りに華奢で脆弱なところも、全て把握した上での好意だろう。

これ以上、惨めにならぬうちに退散するのが得策。――こちらに来てから、随分と丸くなったものだ。天下の大魔王が聞いて呆れる。

しかし、いくらなんでもこのまますごすごと引き下がるだけというのは情け無い。勇者と女の脇を通り抜けざま、女だけに聞こえるように囁いた。

「もう少し可愛げのある性格をしていれば、考えんでもなかったがな」
「あら、ご挨拶だこと」

女は声を潜めるでもなく言い、勇者の肩にしなだれかかりながら続けた。

「私がこんな性格になったのは、貴方のせいですわよ」

責任取って下さる?と妖艶な笑みと共に問うてくる女に、両手を上げて降参の意を示した。



→あとがき

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