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「この、人殺し」

乳母に抱きかかえられた状態で、しかしその大きな瞳に憤怒と憎悪を滲ませて、深窓の姫君は吐き捨てた。いつもの鼻につく澄まし顔はどこへやら、この時ばかりはその小娘もただの人であった。
相手に反撃の意思の無いのを見越して、声を上げて笑う。案の定、姫君は憎悪の色濃くこちらを睨むが、しかしそんな表情すら勝利の興奮に華を添えるに過ぎない。
勝者には敗者を蹂躙する権利があるのだ。不屈の心を踏みにじり、絶望に染めることこそが至福。

「その呼び名も、聞き飽きたわ」
「……っ」

大きく見開かれた瞳から透明な雫が零れ落ちる。幾度となく見た、死の淵に立たされた人間の目。しかし、そのどれよりも甘美なるは、やはりこの小娘の高貴さ故か。

これを手折るは、あまりに容易く、罪深い。その背徳感が、ぞっとするほどの愉悦であった。

***

「この、人殺し」

満面の笑みで、女はそう毒吐いた。
かつて、深窓の姫君と持て囃されて、その無邪気な笑みを振り撒いていた少女は、七年ぶりの再会にて、息を呑むような美しい女に成長していた。
が、美しいのは見目だけ。紡ぐ言の葉は棘というより毒を振り撒き、浮かぶ微笑は絶対零度の冷たさである。

「…わざわざ呼び止めておいて、それか」
「いいえ。私、貴方と少しお話がしたくて」
「物を頼む態度には見えんぞ」
「ふふ、可笑しな方。これはお願いではなく、お誘いですことよ」

女はころころと鈴が鳴るような声で笑い、かと思えば徐に茶器を持ち上げて開いたカップに中の液体をとくとくと注いだ。ほんのりと辺りに甘ったるい茶葉の香りが漂う。女はそれをすいと向かいの席に押しやった。

「それに、しおらしくしたところで、貴方は見向きもしないでしょう?」

女を見下ろし、次いで茶器に注がれた液体を見る。鼻腔に広がるのは高貴な香り。生半可な代物ではあるまい。どちらかといえば、戦に立つより為政者として国の上に立つ方が得意な女なのだ。教養はそれなりに――どころか、恐らく盗賊上がりの自分からは及びも付かぬ程に深いだろう。
そんな感慨めいた沈黙を警戒と捉えたか、女は小さく苦笑してから自分の茶器にも同じ液体を注ぎ、口を付けてみせた。

「…毒など入れておりませんことよ。この通り」
「どうだかな」

投げやりにあしらえば、女は呆れたように肩を竦めた。

「少なくとも、致死性の高い毒は使いませんわ。貴方を楽に死なせるつもりはありませんもの」
「……あのな…」
「どうぞおかけになって」

不毛だ。会話があまりに不毛だった。
女のその聡明さは広く知れ渡るところであるが、故にこの女は浮き世離れしていてどこか捉え所がない。まして自分は敵意を抱かれている身。犬猿の仲である宿敵の心中を察せよというのも無理な話だ。
まだ勇者の方が直情径行、幾分素直というものだ。

結局、あらゆる不満を溜め息と共に吐き出して、俺は女の向かいの椅子を引く。
詰まるところ、自分は今この女に喧嘩を売られたのだ。――そう解釈していいだろう。
売られた喧嘩は、買わねばなるまい。

「…良かろう。存分に、もてなして貰うぞ」
「うふふ、そう構えないで下さいな」

女は笑って、また一口紅茶を啜った。

***

長い長い沈黙が流れる。
そよぐ風は穏やかで、木々の揺れる音がさらさらと耳に心地良い。
出された紅茶は一口、口を付けたのみ。砂糖もミルクも入らぬそれは、後味も清涼。味はあまり覚えていない。

はっきり言って、気まずい。

過去の悪事に後込みしている訳ではない。あれは起こるべくして起こった革命であり、略取する側が略取される側を気遣うなどお笑いだ。
ただ、笑みを湛えてこちらを見詰める女が不気味だった。

「…何か言うことは無いのか」

耐えかねて、口を開く。女は意味深に笑うと、首を傾げて此方を見上げた。

「私のこと、どう思われるかしら」
「…気難しい女だ」
「そういう意味じゃありませんわ」

少し気分を害したように、頬を膨らませ、女が唇を尖らせた。手入れのよく行き届いた、白玉のような肌がはっきりと見て取れる距離にある。陽に焼けたゲルド女とは違う、きめ細かな肌と、絹のように艶やかな髪が眩しかった。
女は上目遣いなどしてみせて、悪戯っぽく口の端を吊り上げた。

「私、大人になりましたの。私の容姿は、貴方の目にどう映っているかしら。盗賊王の食指は動いて?」
「―――」

思わず言葉を失う。相変わらず行動原理の一切が理解出来ないが、中でも今回のこれはその心中を推し量ることすら出来ない。
よりにもよって、仇敵の俺を誘惑しようというのか、この女は。

それだけ自分の容姿に自信があるのか、或いは全く別な思惑があるのか。

この女が余計なことを喋らぬ娼婦であったなら、こんな上玉は滅多に無いと喜んだかもしれないが、幸か不幸かこの女の口からは、見目からは想像も付かぬような毒が吐き出される。

「…馬鹿にしてくれるな。尻の青い餓鬼に手を出す程不自由しておらんわ」
「では、五年後は?十年後なら、貴方の鑑識(めがね)にかなう女になれるでしょうか」

立ち上がる。腰の剣に手をかけ、抜き放つすんでのところで思い止まる。
馬鹿にされているのか、挑発されているのか。からかわれているのか、軽蔑されているのか。
とにかく、何かしら良くない感情がこの女の行動の裏にあることだけは確かだ。

「…俺は気の長い方ではない。次にふざけたことを抜かしたら、その首刎ね飛ばすぞ」
「ふざけてなんかいませんわ」

焦る様子を微塵も見せず、女は悠然と立ち上がり、俺と向き合った。少し力を入れれば折れそうな細い身体は、豊満というより華奢である。しかし、この言い知れぬ威圧感のようなものは一体何だ。

「私、初めて貴方と会った時、素敵な方だと思いましたわ。固い意志を秘めたその瞳も、幾多の戦を生き延びた逞しい腕も、城の誰より輝いて見えた…」
「俺を籠絡でもするつもりか?いつからハイラル王女はそのような卑賤な真似事をするようになった?」
「聞いて下さいな、哀れな女の戯れ言を。――初恋でしたの」

貴方が、と消え入るような声が、神経毒のように耳から全身へと鈍く広がっていった。

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