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しかし深海色の瞳は全く臆せずに、こちらを見返していた。

「…でも、無抵抗な僕を殺して、果たして貴方は満足するかい?」

ガノンドロフはマルスを見た。マルスもまたガノンドロフを見る。
無言の睨み合いが続くこと数秒、先に折れたのは巨漢の魔王の方だった。ガノンドロフは大きく溜め息を吐き、うなだれる。反対にマルスは勝ち誇ったように声を上げて笑った。

「ははは、僕をそれなりに評価してくれているんだね。安心してよ、きっと僕は貴方を失望させないよ」
「それはそれで癪に障るな」
「じゃあ、さ」

再びマルスは期待に目を輝かせ、ガノンドロフの膝の上に身を乗り出した。ガノンドロフは嫌そうに眉を顰めるが、マルスは全く気にする様子もない。
王子は甘えるように魔王の硬い胸板に頭を擦り寄せた。

「貴方の隣に僕がいたら、貴方はどうしていたかな?」

珍しく、ガノンドロフは深く考え込んだ。想像だにしないことを言われたからだ。かつての世界で、彼は魔王だった。絶対唯一の支配者で、大勢の部下もいた。
そんな部下の中に、この王子がいたら?

「…貴様があの小僧と戦うとでも?」
「…ああ…リンクと僕が?そうだね、そうなっていたかも」

マルスはただ可笑しそうにくすくすと笑いながら、ガノンドロフの問いに答える。しかしガノンドロフにはマルスのそんな姿が到底想像出来なかった。

「…貴様のような善玉が俺の下に付くか?小僧と並んで俺を倒しに来る様しか想像出来ん」
「あっはっは、それも面白そうだね!」

無防備に声を大にして笑う王子は、猫のように魔王の膝上で転がった。
心無し目蓋が重くなっているようである。先から意味もなく笑い続けているのも、或いは魔王に過度に密着しているのも酒のせいであろう。
ガノンドロフが答えないでいると、マルスは細い腕でのろのろと起き上がり、再び魔王の横に落ち着いた。そして言う。

「僕はね、別に善人でもないし、お人好しでもない。ただ、守りたいもの、譲れないものがあったから戦ったのさ」

マルスは一息おいて、再び続けた。

「貴方が僕の主ならば、僕の守りたいものは貴方になる。きっと僕は、貴方の為に献身的に働くよ」
「信用出来んな」
「…まぁ、確かに僕は誰かの下につくことが好きじゃないけど」

マルスの不穏な言葉にガノンドロフは、しかし笑みを深める。魔王は取り繕った敬愛や恐怖故の忠誠に興味などなかった。
欲しいのは、――そう、野心だ。

「貴様の野心は、嫌いではない」
「――魔王様、酔ってる?」
「黙れ」

再び二人の間に沈黙が降りた。
戯れ言が尽きた――為ではない。この沈黙すら、彼らには意味のある時間なのである。

ガノンドロフはゆるゆるとマルスの肩に手を伸ばした。マルスは抵抗なく仰向けに倒れ、ガノンドロフを見上げる。魔王も同じく王子を見下ろし、そして、そのまま首を絞めた。
理由はない。ただ、なんとなく苛立った。
マルスは一瞬顔をしかめたが、しかしはんなりと笑んでみせた。

「何が気に入らなかったの」

責める調子も、媚びる調子もない。魔王は笑った。

「貴様が気に食わんだけだ」
「どこが?」

怯える様子もなく、真っ直ぐに向けられる深海色の瞳が。

「…全てが」

ガノンドロフの返答を聞くと、しかしマルスは何故か嬉しげに口角を吊り上げた。そのまま自身の両腕を伸ばし、慈しむように魔王の胸板を撫でる。
ガノンドロフは空いた手でマルスの腕を払いのけ、マルスの首にかけるのを両手に増やした。そこにいざ力を込めようとすると、しかし王子の真っ直ぐな瞳は光を失ってしまう。
長めの睫毛が震えた。
規則正しい吐息が軽く開いた口から漏れる。
そんな美しい姿にも関わらず、香るのは強い洋酒のアルコール臭。

「…この状況で寝るか?」

ガノンドロフの呟きに、マルスが反応を返すことは無かった。

***

「ん」

翌朝、マルスはふかふかの布団の中で目を醒ました。酷い頭痛がする。昨日は飲み過ぎた。
体を起こして辺りを見渡すと、他人の部屋にいることが見てとれた。
嗚呼、そういえば魔王の部屋に上がり込んだのだったか。

部屋の隅に粉々に砕けた酒瓶があり、それを投げた張本人を探すと、巨漢の魔王は自分のベッドを来客に占拠されたせいか、ソファに縮こまって舟をこいでいる。マルスは小さく笑い、囁いた。

「お早う、魔王様」
「む」

ガノンドロフは赤い目を見開き、数度瞬いた。暫く声の主を探すように首を左右に振り、その後ようやく振り返ってマルスを見つけた。至極不機嫌そうな鬼の形相がマルスを睨み付けた。
しかしマルスはガノンドロフが振り返ると同時に吹き出す。なんだ、と眉間に皺を刻んで立ち上がる魔王を尻目に、マルスはひぃひぃと苦しげに呼吸を繰り返した。

「昨日、貴方は僕を暗殺向きだと言ったけど、実際は逆だよね。僕が暗殺に向いてるんじゃなくて、貴方が無防備なんだよ」
「なんだと?」
「貴方は、寝込みを襲われる心配が無かったんだね」

王子の指摘に、いきり立っていた魔王は成る程と妙に納得した。
寝込みを襲われる心配があれば、おちおち寝てなどいられまい。しばしば王子が泥酔しているのも、或いは身に染み付いたそんな恐怖を忘れて眠る為なのかもしれない。
ガノンドロフは機嫌を悪くしていたことすら馬鹿らしくなり、洗面台に向かって顔を洗う。思考がいくらかクリアになった。
マルスはひとしきり笑って、それからいそいそと魔王の隣に並んで洗面台の前に立った。
ガノンドロフと同じように顔を洗い、勝手に魔王のタオルを使い、満足げに息を吐く。それから思い出したように言った。

「ベッド、僕に貸してくれたんだね。ありがとう」
「…糞餓鬼め、さっさと出て行け」
「ははは、怖い怖い」

全くの棒読みでマルスは笑い、ガノンドロフが拳を振り上げるときゃーと悲鳴を上げて逃げていく。
すっかりやられっぱなしな魔王は、逃げるマルスの背中を見ながら情け無く思う。しかし王子と過ごす時間は決して退屈でなかった。
――例えその会話が限り無く無意味なものだとしても。

「おい」

逃げるマルスを呼び止める。マルスは振り返って愉しげに目を細めた。

「なに?」
「次は日本酒にしろ」

マルスはきょとんとし、それから破顔した。

「考えとくよ」

それだけ言って、王子は部屋をあとにした。



→あとがき

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