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「…怪我をしてる人がいるの?」

女の子の剣幕に呆気に取られ、僕は何も考えずに聞き返した。女の子の眉がまたさらに危険な角度に吊り上がった。

「当たり前でしょ!戦争してるのよ、怪我人だって死人だっていっぱいいるわ」
「あ…」

そうか。この世界は戦争をしているんだ。よくよく辺りを見れば、そこかしこに傷病兵が寝かされている。中には顔に布切れを被せられ、ぴくりとも動かない人もいた。
女の子が続ける。

「ライブの杖が使えなくても、包帯くらい洗えるでしょ?私に付いてきなさい!」

言うだけ言って、女の子はつかつかと速足に歩いていってしまう。僕は慌ててそのあとを追った。

「私はユミナ。貴方は?」

かなり先を歩く女の子が言う。小走りになりながらその横に並び、名乗った。

「ネス。あのさ、その杖は使えないけど治療なら出来るよ」
「貴方、お医者様かなにか?」
「医者じゃないけど…ヒーラーかな」
「意味分かんないわ」

ばっさりと切り捨てられて、しょぼくれる暇も与えられずにユミナが救急テントに入っていく。そのあとに付いてテントに入り、僕は絶句した。
テントの中には傷病兵がすし詰め状態となって寝転がされている。誰もが痛みに呻き、喚き、それを宥めすかしながらシスターや僧侶たちが癒しの杖を掲げ、或いは軽度の傷病兵が重症の者の傷を塞いでいた。充満するのは血の匂い――否、死の匂い。
その中をユミナは突き進み、シスターたちのもとへ杖を配っている。その場に根が生えたように突っ立っていると、近くに寝ていた兵士が僕の足を掴んだ。その力強さにぎょっとし、しかし次なる言葉に僕は目を見開いた。

「助けてくれ…死にたくない…!」

その兵士は、片足がなかった。包帯が巻かれているが、すでに赤く血が滲んでいる。他にも火傷のあとが全身に広がり、皮膚が焼けただれていた。大の男が涙するような大怪我だ。実際火傷で判別の付きづらい男の顔は、苦痛に歪んでいた。死という一文字が僕の脳裏をよぎる。――これが、王子の住む世界――
僕は咄嗟に膝を付き、PSIを手の先に集中させた。そして叫ぶ。

「ヒーリング!」

ない足を蘇生させることは出来ない。ただれた皮膚を瞬時に再生させるのは難しい。だけど、せめて傷を塞ぎ苦痛を和らげることなら、僕にも出来る。男が驚いたようにするのに構わず「どう?」と問えば、楽になったと先より覇気のある返答が返る。もう一度ヒーリングをかけようと力を集中させようとすると、しかしその兵士は再び僕の手を掴んでそれを止めた。

「俺はもういい。他の奴らを…」

男に言われて辺りを見ると、やはりこの男同様命に関わる重傷の兵士がまだ大勢いる。それどころかまだまだテントには怪我人が運ばれてくるのだ。僕は一言「分かった」と頷くと男の隣の兵士の回復にPSIを集中させた。

「なかなかやるじゃない」

どれくらいヒーリングを使ったのか、気力も体力も擦り切れる寸前のところでユミナが僕の肩を叩いた。ここに来た頃はちょうど昼過ぎだったが、既にテントから見える外の景色は夕焼けに赤く染まっていた。

「少し休憩しましょ」
「でも、まだ怪我をした人が――」
「貴方が倒れたら元も子もないでしょ」

ぴしゃりと言われ、反論すらできなかった。そもそも既にへとへとだった僕に反論する気力などありはしない。ユミナに連れられ、炊事場のような場所に着く。そこでふくよかなおばさんが冷えた飲み物と甘い焼き菓子を出してくれる。僕たちは掻き込むようにそれらを飲み込んだ。僕と同様、ユミナもまた長時間に渡りライブの杖による怪我の治療に専念してきたのだ。昼間見たよりユミナの顔はやつれて見えた。

「…私、双子の弟がいるの」

そんな折に、ぽつりとユミナが喋り出した。疲れているのか、その声に昼間のような勝気さはなく、聞き取りづらいくらいだった。

「ユベロっていって、マルス様と一緒に前線で戦ってる」
「……」
「ユベロは気が弱くって、虫も殺せないようなおとなしい子なの。でも、それでも、戦場に出て、あの子は炎魔法で敵を焼き殺すわ」

ユミナの声が震える。その姿が誰かと重なる。――嗚呼、これは。

「勿論、ユベロが戦場で怪我をして、もしかすると死んでしまうかもしれないことが怖いわ。でも、それ以上に、あの子が誰かを殺して、その手を汚していることが怖い――」

王子だ。僕の手を汚させまいとして、僕を諭す彼の表情がユミナと重なるのだ。彼はいつだかに、僕を無垢で、純真で、穢れを知らぬと評した。皮肉かとも思ったが、或いはそれが王子の守りたかった全てなのかもしれない。
ユミナがそれきり黙りこんでしまうので、僕は落ち着かなく椅子代わりの丸太の木目を数えた。36まで数えた時にユミナが顔を上げたのでつられて振り向くと、そこにはユミナとよく似たおかっぱ頭の少年と、頭の先からつま先まで血だらけな王子が並んで立っていた。血だらけではあるが、王子の表情はにこやかである。恐らく全て返り血であろう。

「ただいま、ユミナ」

そんな王子の横にいた少年が、隈の出来た目元を綻ばせて笑った。その表情は、しかしおよそ年相応とは言い難く、瞳に宿る光は荒み、淀み、――嗚呼、これがユミナに恐ろしいと言わしめた原因かと唐突に理解した。ユミナは弟の無事を喜ぶべきか、さらに荒んでいくその瞳に絶望すべきか、複雑そうな様子である。一方そんな双子を物憂げに見つめる王子もまた、少年と同様或いは更に深く暗い瞳をしている。彼は思い出したようにはたと僕に向き直って微笑んだ。

「僕の仲間をいっぱい救ってくれたそうだね。ありがとう」
「…そんな、僕は――」

王子は僕の言葉を遮り、囁くように言った。

「ネス君、君がこの夢に来てくれて良かった」

突然名前を呼ばれ、意味深な言葉にはっと王子を見上げるが、その王子の姿が蜃気楼のようにぐらりと歪んだ。驚いてユミナたちを振り返ると、ユミナどころか辺りの景色まで歪んでいる。
僕が何事かを理解する前に、それまで僕がいた世界は砂のように崩れ去っていった。

気がつくと、僕はいつものようにベッドの中にいて、ああ夢をみていたのかと妙に落胆した。生々しい夢だった。――いや、果たしてあれは“僕の夢”か?恐らく、いやきっと、あれは王子のみていた夢に違いない。そこに僕が滑り込んでしまった――
無性に王子に会いたくなった。会って何が解決出来る訳でない。非力な僕に出来ることなど無きに等しいはずだ。
それでも、こうすることで王子のことがまた少し理解出来る気がした。



→あとがき

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