3

気が付くと、柔らかなベッドの上に横になっていた。
首を横に動かして辺りを見ると、必要最低限の物しか置いていない殺風景な部屋が広がっていた。
見たことがない部屋だ。
まだ少しぼんやりとする頭でぐるりと一通り部屋を眺めていると、扉ががちゃりと開く。
少し屈むように扉をくぐって、あの黒い姿の男が部屋に入ってきた。目を覆われる前に見た【彼】の姿ではない。
起きているマルスを見て、男は穏やかな笑みを浮かべて近くに寄ってきた。

「おハヨうございまス。随分とお疲れだっタみたいデスね、運んでいる間グッスリでシたよ」
「…僕に、何をしたんだ」
「あ、まだ痺れてイルと思うので無理に動かサない方がいいでスよ」

お前がやったんだろうがという意味を含めてマルスは男をじっと睨む。
そんな視線も気にすることなく、彼は顎に手を当てて少し考えるようなしぐさをとる。

「何をシタんだかどうかと聞かれタら、答えてあげルが世の情け。スタンガンを使っただけでスよ」

丁寧にスタンガンの仕組み、そしてその効果を説明をする男。
自分の世界にはない技術ではあるものの、元来の理解の早さと彼の妙に丁寧な解説でマルスにとっては非常に不本意ながらも大体を把握できた。

「ああ、ソうだ。アナタの名前、マルス・ローウェルで合っていマシたか?それともノア・アリティア?」
「…どうして、僕の名前を」

驚きに目を開き、思わず問いかけてしまう。
後者の姓名は知らないが、それはマルスと同名の人物の姓なのだろう。些か引っかかるような響きはあるが…
彼はほっとしたように胸をなでおろし、合ってよかったと呟いて数回頷く。
マルスは、彼を知らない。今日初めて出会った相手であるはずだ。
それなのにどうして彼は自分の名前を知っているのだろうか。

「どうシてって、知ってイルからでスよ」
「…答えになっていないけれど」
「十分答えになってマスよ。アナタはマルス。マルスという存在。ただ、ソレだけの話でス」

まだ体は怠いが、マルスはベッドから半身を起こす。
起き上がらないでくださいと優しく囁き、彼は両手で包むようにマルスの手を取る。
振り払ってしまおうと力を込めるも、まだ力が入りきらないのか彼に捕まれてびくともしない。
だがひるまずに、マルスは彼を改めて睨みつける。

「僕を攫って、何が目的なんだ」
「目的?言ったでショう?目的はネス少年とお話をスることデス」
「じゃあどうして僕を」
「だって、アナタ私に敵意を向けたデショう?私の目的はネス少年とお話をスることただ一つなのでス。
 このササやかでかつ私の心の平穏を保てる目的を妨害する方は、ちょっとお仕置きをシナいといけまセん。と、言うかスるシかないでショ!
 私は穏便に済まセて少年と楽シイお話がシたかったのでスがアナタに敵意があるなら仕方ないでスヨね!
 今後のタメにも敵意がアる方は排除スルか二度と敵意を抱かナイようにシないといけまセんよね!
 敵意があるから、争いがあるんデス!だから今後平和的に解決でキるようにスルには敵意を消サないといけないのでス!
 仕方がなイでスよねぇぇェェ!?」

彼の口元がにたりと歪み、うっすらと閉ざされた目が持ち上がる。
穏やかに笑う目元と、三日月のように口の両端を持ち上げて笑う口元に、マルスは背後を舐めるような恐怖心に襲われる。
最初はゆっくりと、途中から熱を持ったやや早口で言った彼の言葉が、理解できない。
おしてくる彼の常軌を逸脱した熱気と、張り付いたような優しくも恐怖を感じる笑顔が、じわりとマルスに迫る。
狂っている。
マルスは彼に狂気を感じ、ベッドの上でたじろぐ。

「…何を、する気なんだ?」
「私の目的は、ネス少年とお話をスルこと。ソの少年の場所を教えていたダキたいのでス」
「断る」
「即決でスか。まあイイでス、あと10回聞きマスから。次こソ答えてくだサいね?」
「…何回聞かれようとも同じことだ。誰が」

答えるものか。
そう言おうとしたが、言葉を続けることができなかった。
マルスがその言葉を口にしようとした途端に、軽く何かが爆ぜるような奇妙な音がマルスの耳に届いた気がした。
目の前の男は穏やかな表情で、おかしな方向に曲がった指をつかんでいる。
彼は、指を折ったのだ。それを理解したと同時に、鈍い痛みが左手に広がる。

「うあっ…、ッ…」
「アラマ、意外と悲鳴は上げナいのでスね」

近所迷惑にならないから好都合ですがと彼はのほほんと答える。

「サテ、あと9回なわけでスが、もう一度聞きまスよ?」

ネス少年の居場所はどこですか?
にこやかな彼の笑顔が、とても恐ろしい物に感じる。

「いう、ものかっ…」
「ああソウでスか」

恐怖心を噛み潰すように相手を睨みつけ、吐き捨てるように返答を返す。
二度目の奇妙な音と痛みが左手を襲う。一瞬遅れてやってくる激痛に、マルスは息をつくような悲鳴をこぼす。
汗が出ているというのに、寒気が止まらない。こみあげる吐き気が喉の奥に張り付いている。
彼の手を振り払おうとしても、痛みのせいか先ほど同様びくともしない。

「ほら、早く言ってくだサレばこれ以上痛い思い、シなくて済みまスよ?ソれとも、あと8回も断るのでスか?」

優しく、諭すような男の声がマルスの耳に響く。
ネスの居場所を言ってしまえば、楽になれる。仲間の居場所を言ってしまえば、これ以上痛い思いをすることもない。
非常に魅力的な言葉であるが、これは悪魔の誘惑だと痛みの中でも変わらず冷静な部分が叫んでいる。

「いや…だっ」

拒否の言葉を絞り出すように伝えると彼は掴んでいた左手を離し、胸倉をつかんでマルスの頬を殴りつける。
軽い動作ではあったもののその拳は重く、彼が胸倉をつかんでいなければ殴り飛ばされていたことだろう。
口内を切ったのか、口の中にじわりと血の味が広がってゆく。
左手の痛みと頬の痛みに耐えかねて、口から短いうめき声が漏れ出す。
彼はそんなマルスを顧みることもなく、胸倉から手を離すと首をつかみ軽そのままベッドに押し付ける。
気道を絞めつけられ、喉の奥から息がもれる。
まだ無事な右手で絞めている彼の手に爪を立てて抵抗するも、彼は一切動じない。
彼の表情は笑顔ではなく怪訝そうな表情を浮かべてまじまじとマルスの顔を見ていた。

「ソンなに痛い思いをシているのに、まだ断るのデスか?」
「…ふ…ッ……あ、ぐっ…」
「おかシイでスね。大抵は痛い目を見ルト、スグにぺらぺらと仲間の居場所トカ金庫の番号とか、喋るはズなのでスが」
「…ッ僕は、ネス君を…、…仲間を、売るよ…なことは、しないッ!」

絞められた喉を精一杯に震わせて、男に再び拒否の言葉を突きつける。
その言葉に、彼は驚いたようで伏せていた瞼を片方持ち上げた。
石炭のような、どろりとした底が見えない枯れた井戸を彷彿される黒い眼。
こちらを見つめているはずなのに、光も見ているマルスさえも映らない、暗闇のような目がそこにあった。
首を絞められているからなのか、その瞳に恐怖を感じたからなのか、ひゅっと空気を飲む音が漏れる。

「アナタらシい答えでスね。自分の命より仲間の居場所でスか。王族の自覚、ありまス?」

意識が遠のきかけたその時に、彼は黒い手袋をはめた手をマルスの首からどける。
体が急激に空気を取り込んだため、何度か激しく咳き込む。
睨むように見上げると、彼はすでに目を閉ざしておりあの黒い目は見えない。
にっこりと、男は微笑んだ。

「いいでショウ。私のモットーは諦めナイなので、話シテもらうまで痛い目を見ていたダきまショう」

あなたの耐久力と仲間を思うその寛大でちっぽけな精神がどこまでもつのでしょうね。
そんなことを呟いて彼はマルスから離れ、扉の近くまで移動する。

「折った指や美麗なお顔を治す道具を持ッテきまスよ。大妖精印の魔法のお薬なので、よく効きマスよ〜」
「…、…毒でも、盛る気か」
「毒?ソんなことシまセんよ。毒でのたうつ様は興味深いでスが、死んでシマったらお話もできなくナるジャないでスか」

致死量の毒を使うのが前提なのかあんたは。

痛む左手と頬に対する現実逃避なのか、胸の中でそっとツッコみをいれる。
口に出してしまえば、相手はまたこちらを馬鹿にしたような言葉を返してくるだろう。
この男の見下したような言葉はどうにも癪だった。

「あ、ソウだ。アナタの安全のために言いまスけど、窓を破っタリ壁を壊シテ脱出なんて考エないでくだサイね?」

扉をくぐる寸前に、彼がこちらを振り返る。

「一見平凡な風景に見えまスが、このお家の外は危険でス。危険が危ナイ状態でス。
 お外はちょっと次元がズレた世界。生身の体で出てシまえば、ぐちゃぐちゃゴリゴリ。
 肉体は消え失セ、一片の思惟…考えることシかできなくナル存在となるカ・モ、シれないので大変危険でス」

息を整え、散々いたぶっておいてずいぶん親切だねと若干嫌味を込めて呟く。
彼はマルスの言葉は意にも介さない様子で嬉しそうに頷いた。

「もちろん、簡単にお外に出れナイように、罠も仕掛けてまスから。私、ちゃんと危機管理はデきていまスから。
 例えば、窓をくぐろうとシタら上から40kgぐらいの重量の大きな刃物が落ちてきたりシタら嫌でショう?
 ふふふ…虚弱貧弱無知無能なアナタでもこの話は理解できまスよね?
 アナタのような虚弱貧弱な体の人の頭上に、40kgぐらいの重量の刃物が落ちテキたらどうなるか分かりまスよねぇ?」

相変わらずの笑顔でそう言い放つと、彼は道具を取るために扉をくぐっていった。
彼がばたんと扉を閉めた途端に静寂が部屋の中に広がってゆく。
頬が、切れた口の中が、左手が酷く痛む。
逃げ出すならば今の内なのだが、あの男の言っていたことが妙に気になる。
ずれた次元。窓に仕掛けた刃物。
いつもならばあんな言葉は嘘だと割り切って慎重に進むのだろうけれど、考えるたびに男の笑顔が脳裏をよぎる。
貼り付けたような笑顔の裏にある嘲笑が、マルスに行動を起こすことを躊躇わせる。
次元がずれているだの窓の外に刃物を仕掛けているなんて、普通は考え付かないし考えたとしても言うことも実行することも稀有だ。
しかし、彼はいともたやすく小枝を折るような感覚で人の指を折るような狂人めいた男だ。
普通の人間ならばしないようなえげつないことも、仕掛けているのかもしれない。
次元がずれている、という考えはさすがに同意できないが亜空がある以上楽観視できない可能性もある。
彼がどこまで嘘をついていて、どこまで本当のことを言っているかが分からない。
ならばここで大人しく待っているのが無難だろうか。いや、待っていても相手の思うつぼだろう。
こうして考えていることすらも彼の予想の範囲内のような気がして、不快そうに顔をしかめた。
思考を巡らせている間に、あの男が戻ってきた。
何やらピンク色の羽が生えた光の玉のような絵と記号のような文字が描かれたラベルのビンと救急箱を抱えて部屋に入ってきた。

…あの薬、本当に毒じゃないのだろうか。

マルスは、どこか場違いなそんな不安を胸に抱いた。




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