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「もし死ぬのなら、君に殺されたいな」
特に意味のない発言だった。
強いて言えば、乱闘で鮮やかに敵を仕止める彼の剣技に対する称賛の気持ちがないでもなかった。この時の僕を擁護するならば、「本当に他意はなかった」としか言いようがない。だから、当然僕は返ってくるはずの彼の困ったようなまっすぐな瞳を期待していたし、すぐさま色を失って消えていくであろうこの言葉の羅列に彼が困惑や呆れといった感情以外を向けようとは思わなかったのだ。
――まさか、普段温和な彼が、烈火の如く怒ろうとは、誰が想像できようか。
「…どうして、俺がお前を殺したりしなきゃならんのだ」
静かな、低い声だった。おや、と思って顔を上げると相も変わらず無表情な青年――アイクがこちらを見返していた。ただいつもと違うのは、その真っすぐで深い群青色の瞳が、明らかな不機嫌さを宿していたことだ。恐らく、今彼から放たれるこの気迫こそ「殺気」と呼ばれるものだろう。僕は途端に体感温度が2〜3度下がって胃が引き攣れる思いだった。
「や、やだなあ。たとえばの話だよ。アイクの剣なら、苦しまず綺麗に死ねそうだなって…」
「死ぬのに綺麗もクソもあるか。例え話だろうが、俺はそういうのは好かん」
へらりと笑って受け流そうとしたが、しかしアイクの方にはそんな気はないらしく一層不機嫌さを増して僕の隣でそう吐き捨てた。僕が何を言うべきかぐるぐると脳内で考えている間に彼はすっと立ち上がり、僕の方を見向きもせずに言った。
「俺の前で二度とその話をするな」
「あ、アイク…」
そうして僕が呼びとめるのも無視して、彼は大股にその場を去った。
*
僕の発言がどうやらアイクを怒らせたらしいことは分かった。しかし、具体的にどの辺が彼の気に障ったのか、それだけはさっぱり見当も付かなかった。彼が実直な青年であることは知っているし、いっそ融通の利かない性格であることもこれまでの付き合いで理解している僕ではあるが、今回のケースは全くのイレギュラー。前例がない。
他意がなかったとは言ったが、少しだけアイクの困った顔を見たかったという思いがあったことは白状しよう。だが、それだけだ。困った顔で僕を見て、馬鹿なことを言うなよフグリ、といつものトーンで応えてくれればそれで良かったではないか――と、気が付くと自らの落ち度を認めずアイクの言動を責めるような思考回路に陥っている自分がいて、僕はどうにも嫌気が差して項垂れる。そんな僕の前に、よく冷えたミルフィーユを載せた皿がすっと差し出される。ここは食堂。気の塞いだ僕を気遣ってくれるルイージの仕業だった。
「今日はまた随分と荒れてるね」
「…喧嘩、したんだ。アイクと」
「へえ、珍しい」
ルイージは穏やかな表情で僕の話を聞いてくれる。それにいくらか救われた気がして、僕は素直に落ち込んだ。
「…どうやって仲直りしたらいいかなあ」
「謝ればいいんじゃない」
「なんで怒ってるか分からないんだ」
ルイージは少しだけ目を見開いて驚いた様子で、
「何をしたの」
と一言。かくかくしかじかで、と状況をできるだけ第三者目線で語ると、出来る弟殿は困ったね、と僕と同じく首を傾げた。
「生憎だけど、僕にもアイクがどうしてそんなに怒ったのか分からないよ。まあ…君の一言も大概普通ではないと思うけれど…」
「うん」
「マルスに聞いてみたらどうだろう。アイクと同じ世界から来てるし、何か分かるかも」
僕の方がアイクに近しいと思っていたのに、ここで同郷出身のマルスの方がアイクに詳しいとの指摘を受けて、僕は内心穏やかでない。でも、ルイージの助言ももっともだ。僕は苛立ちを隠すようにミルフィーユに齧り付いた。
*
「逆に聞くけど」
第一声から、美貌の王子は刺々しい態度を隠そうともしなかった。
「そんなことを言われて、どうしてアイクが喜ぶと思ったんだい?」
これまでの事情を説明して、どうにかアイクと仲直りするために力を貸してもらえないか――そう王子に頼み込むつもりだった僕は、思わぬマルスの反応に僕は驚きに棒立ちになるしかない。マルスは自分の声に孕まれた険悪な音を聞き咎めたのか、わずかにバツが悪そうに顔をしかめたが、続く言葉も苛立ちがありありとみてとれた。
「僕たちは好きで人を殺してきた訳じゃない」
「…そんな、つもりで……」
言った訳じゃない、との弁明の言葉は続かなかった。ようやく僕も自分の失言に気が付いて顔を青くした。そんなつもりなど微塵もなかった。だが、今思えば明らかに無神経な一言!
――殺して欲しい?生きたくとも生きられなかった命をその手で斬り裂いてきたアイクならば、僕の発言の浅はかさを怒りもしよう。
――苦しまずに綺麗に死ねる?そのように人を殺す技術を否が応でも身に付けなければならなかったアイクを思えば、決して出てきて良い言葉ではなかった。
僕は恐る恐るマルスを見上げた。マルスは僕の態度の変化を見て、いくらか表情を和らげた。
「聡明な君なら、何故アイクが怒ったのか、もう理解できただろう?」
「…うん。マルスも、ごめん…」
「いや、分かってくれればいいんだ」
マルスはやっと顔筋の緊張を解き、為政者らしい柔和な笑みで僕を見送った。
「仲直りしたいんだろう?早く彼のところに行っておいで」
*
「アイク…アイク!」
廊下の端に見えたその背中を、大慌てで追いかける。聞こえていないのか無視されているのか、アイクの歩調は緩むことなく、それゆえに僕は長距離の全力疾走を強いられる。だが、それが如何程のことか。肺が軋んで、太腿の裏辺りが痙攣したが、それでも僕は走り続けた。
「待って…アイク!」
「うお!?フグリ」
なんとか追い付いてよれたアイクのマントを掴む。アイクはようやく僕の存在に気が付いたようで、素っ頓狂な声を上げてこちらを振り向いた。
そのまま僕はげほげほと咳き込む。この世界にファイターとして招待された僕だけれど、それは僕のポケモントレーナーとしての腕を買われたのであって僕自身の戦闘能力は皆無。寧ろ一般人よりいくらかひ弱な少年でしかない。身体能力だって月並み以下だ。
アイクが咳き込む僕の背中をさすってくれる。背中に感じる温かな大きい掌が心地よかった。別れ際に見たような不機嫌さはもうどこにもない。でも、ここでアイクの優しさに甘えてはダメだと僕は自分に言い聞かせて口を開いた。
「アイク…ごめん…、僕、君の気持も考えないで、…」
「フグリ?」
「もうあんなこと言わない。死にたいだなんて考えない。…君の隣で、生きたい」
言うだけ言って、僕は顔を上げられずに黙りこんだ。アイクの顔を見るのが怖かった。まだ怒っていたらどうしよう。修復不可能なほどに僕たちの関係は壊れてしまっていないだろうか――
「…そうか」
淡白な返答だった。でもそれだけで十分だった。顔を上げると、いつもの真っすぐな眼差しが、少し困ったように僕を見下ろしていた。
「すまん、俺も言い過ぎた」
「いや、僕が」
「いや、俺が」
わずかな沈黙ののち、僕たちは吹き出して笑い合う。ああ、良かった、確かに繋がっている。今度は意味のない他愛のない話でなく、意思を込めた愛ある言葉を。
「あのね、アイク………」
***
フグリ君にせよアイクにせよ激しく誰おまで申し訳ない…!遅くなったけど、少しでも楽しんでくれれば嬉しいな!!
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