日記56(サウドロ)

「やれやれ、マズいことになりました」

言いながら、神父は頭を下げて祭壇の影に隠れた。その真上をひょうと弓矢が通り過ぎ、壇上に飾られた聖女エリミーヌ像に突き刺さる。祭壇の下に隠れていた数名の子供たちは悲鳴を上げ、神父は再びやれやれと溜め息を吐く。

「なんと罰当たりな」
「どうしよう、神父さま。僕たち、このまま殺されちゃうの?!」

子供のうちの一人が悲痛な声を上げた。それを聞き留めた山賊が情け無い声真似をしてみせると、小さな礼拝堂に卑下た爆笑がこだまする。
しかし神父は泣きじゃくる子供たちの頭を撫で、低く囁くように言った。

「希望を捨ててはなりません。絶望の果てには真の闇があるのみです」
「でも」
「貴方たちのことは、私が守りましょう」

神父が立ち上がった。手には聖書と癒やしの杖を持つのみで、白い法衣に赤の布を巻いただけの、いかにも防御性に優れない姿は、とても数人の山賊を相手取れるような格好には見えない。
山賊の一人が吠えた。

「おい、神父サマよォ!てめーも命が惜しいだろ。本当なら皆殺しにするところだが、そのガキを一匹こっちに渡してくれりゃ見逃してやるっつってんだ」
「…一応聞きますが、子供をどうするつもりです」
「金に変えるのさ!奴隷商人に売りつけるか、バラして内臓を売りさばくか」
「なら、この子たちを渡す訳にはいきません。食べ物なら分け与えましょう。金品が欲しいのなら好きに持っておいきなさい。ですから、この子たちには手を出さないと約束なさい」
「冗談キツいぜクソ神父。てめーに選択権はねえ!」

そうだ、と山賊たちの間から野次が飛ぶ。神父は説法の時のように祭壇の前に立ち、少しも怯まずに返した。

「労せずして得た富は、その身に付きません。そうして心がより一層貧しくなるのです」
「説教か?綺麗事で食っていけるほど世の中甘くねぇんだよ!」
「世を儚んでいるのですか。ならば、神を信じなさい。聖女エリミーヌは切に救いを求める者を見捨てません」
「…この…生臭坊主が!馬鹿にしやがって!」

とうとう不毛なやり取りに痺れを切らした山賊が、礼拝堂の長椅子を薙ぎ倒しながら祭壇に殺到した。祭壇の中で互いに抱き締め合う子供たちを一瞥し、やれやれ、と神父は肩を竦めた。

「穏便に済ませたいのですがね…」

迫る山賊には目もくれず、神父は緩慢な動作で手にしていた杖の先を、先頭を走る山賊に向ける。体内で魔力を練り上げ、そして、静かに唱えた。

「しばし、眠りなさい。“スリープ”」

言の葉が大気を震わすなり、杖の先にはめ込まれた宝玉から光が迸った。瞬間、杖を向けられた山賊がどうと前のめりに倒れた。突然の事態に山賊たちはうろたえ、足を止める。
何をした、と一人が怒鳴れば、神父はいえ、と肩を竦めた。

「少し、眠っていただきました」

なるほど、確認してみれば、倒れた男は脈もあるし息もしている。ただいくら揺さぶっても声をかけても、起きる気配がない。呆然とする山賊たちに、神父はあくまで穏やかに告げた。

「貴方がたの命を奪うつもりは毛頭ありませんが、これ以上暴虐を繰り返すというなら、貴方がたを憲兵に突き出さなければなりません」
「ふ、ふざけるな!たかが杖使いが調子に乗りやがって――」
「ぐぎゃっ!」

突然、山賊のうちの一人が悲鳴を上げて床をのた打ち回った。首領の男が振り返ると、倒れた男の足に矢が突き刺さっている。だれが、と視界を巡らせば、礼拝堂の入り口に、弓を構えた一騎の遊牧騎兵がある。油断なくこちらを見据えるのは、まだ少女の域を脱しない女だ。女は低く脅すような口調で言った。

「次は体に当てます」
「や、やれるもんなら…!」
「およしなさい。彼女の腕は本物ですよ」

抵抗の素振りを見せる山賊に、神父がやんわりと注意を促す。しかしそれがかえって火に油を注ぎ、山賊たちは一斉に神父と女に飛びかかっていった。
すかさず女はつがえていた矢を放ち、山賊の足の甲を床に縫い止めた。その隙にもう一人の山賊が斧を振りかぶるが、女は軽やかに馬を駆ってそれをかわし、弓を剣に持ち替えると山賊の握る斧の柄を斬り落とした。
一方神父に向かってきた山賊2人は、神父の掲げたスリープの杖に捕まり、夢の中である。

斬られた斧の柄を握り、呆然とするしかない男を祭壇から見下ろし、神父はやはり穏やかに告げるのだった。

「悔い、改めなさい。なれば、聖女エリミーヌは貴方をお許しになるでしょう」

***

「サウルさま、ただいま戻りました」

孤児院の扉を開けて、遊牧騎兵の女が神父の名を呼んだ。神父は子供たちに温かい山羊の乳を振る舞っていたが、女の姿を認めると常より嬉しそうに破顔した。

「ドロシー。手伝って下さってありがとうございます」
「いえ。あの山賊たちは無事に麓町の憲兵に引き渡してきました」
「ご苦労様です。外は冷えたでしょう。お前もこれを飲みなさい」
「では、頂きます」

ドロシーは遠慮がちに部屋を横切り、子供たちの座る長椅子の端に腰を下ろした。その間子供たちは隠すでもなくじっとドロシーに視線を注いでいる。訪問者自体は珍しくない孤児院だが、ここらで遊牧騎兵を見る機会はほとんどない。その物珍しさと、先の劇的な登場が、子供たちの目を引き付けるのだろう。
それに気付いた神父が、子供たちに彼女を紹介した。

「皆さん、こちらの女性はドロシーです。顔は怖いですけど、優しい方ですよ」
「顔が怖いは余計ですー!えっと、みんな、はじめまして」
「はじめまして!」

ドロシーの遠慮がちな挨拶に、子供たちは元気いっぱいな返事を寄越す。先まで山賊に襲われていたとは思えない落ち着きぶりだ。神父は続けて子供たちの名を紹介したが、それが終わる頃には子供たちのコップは空になっており、神父は彼らに就寝を促した。山賊の襲撃があったのは深夜過ぎ。孤児院の中は踏み荒らされ、礼拝堂も滅茶苦茶だ。それでもなんとか寝る場所だけは確保して、ようやく落ち着いたのがついさっきという訳だ。
神父が子供を寝かし付ける間、ドロシーは居間で手持ち無沙汰にしていたが、程なくして神父は戻り、ドロシーの向かいに腰を下ろした。

「ドロシー。さっきは本当に助かりました。正直もうダメかと思いました」
「いえ。スーさんが“良くないことが起こりそう”だと教えてくださったので、馬を走らせてきたんです」
「そうでしたか。スーさんにはお礼の手紙を出した方が良さそうですね。…それにしても、見事な馬術でした。サカでの修行は身になりましたか?」

神父サウルは、やはり常より早口に問うた。心無し表情も緩い。共に戦場を駆けていたあの頃のような、ドロシーに距離を感じさせる態度ではなかった。
そのため、ドロシーの表情も自然と緩んだ。

「はい。シンさんにもスーさんにも、それに族長さんにもとても親切にしてもらいました。あの子…ああ、馬なんですけど、あの子も譲ってもらって」
「ほう、道理でよく御していた訳です」
「いえ、形だけですよ。まだ言うことを聞いてくれないことも多くて」
「時間が解決してくれるでしょう。…今のお前をパーシバル将軍が見たら、何が何でもエトルリアに、と言うでしょうね」
「ま、まさか…私なんかには勿体無いことです」

顔を赤くして、ぶんぶんと首を振るドロシーを、サウルはおかしそうに眺める。自分で切ったのか、髪は半年前に別れた時より更にボサボサで、そばかすの多い頬は相変わらず。引き締まった体は女性らしいというより逞しいという言葉が相応しく、それでもそんな全てがドロシーらしさであることをサウルは理解している。
ふとドロシーがサウルの顔を見詰めた。それまでは見る側であり、聞く側であったサウルだが、今度はドロシーの方が口を開いた。

「…サウルさまは、痩せましたね」
「そうでしょうか?」
「ちゃんと食べてるんですかー?サウルさまは打たれ弱いし、弱いんですから、すぐに倒れちゃいますよ」
「今弱いって二回言いましたよドロシー」
「ご自愛なさってください」

茶化す風なサウルを、ピシャリとドロシーが叱る。サウルは肩を竦め、それからやれやれと溜め息を吐いた。

「…いつも隣で面倒を見てくれる誰かさんが、今はいないので」
「ご愁傷様です。日頃の行いが悪いから、誰も手伝ってくれないのでしょう」
「手厳しいですね…しかしこの日頃の行いを諌めてくれる方も、私の隣にはいません」
「サウルさま、一人じゃ何にも出来ないんですか?」

ドロシーは心底呆れたように言う。が、心底呆れていたのはサウルも同じだった。これだけ言って何も気付かないドロシーは鈍感過ぎる。いや、彼女は純粋なのだ。神父は再度息を吐き、言った。

「ええ。私は、お前がいないと何にも出来ないみたいなんです」
「まったく神父さまはいつまで経っても――…え?」

まだ説教を続けようとしていたドロシーは、ようやく何かに引っかかったように首を傾げた。が、それ以上を神父は語らず、さて、と話題を切り替えて立ち上がる。

「積もる話もあるでしょうが、長旅の後でお前も疲れているでしょう。私の寝台で悪いですが、それを使いなさい。今は空きがないので」
「え、いや、私は麓で宿を…」
「厚意は素直に受け取りなさい」

今度はサウルがピシャリと言い切り、ドロシーは反論の言葉を失う。厚意、とは言ったが、その実サウルはドロシーを帰したくなかっただけである。引き留めれば、彼女が断れないことを神父は知っていた。
そもそも、彼女がわざわざサカからこの地を訪れたのは、何もサウルに顔を見せるためだけではあるまい。だがそれを口に出して確認するのも野暮というもの。どうせなら、ドロシーから言葉にしてもらいたい。

「やれやれ。聖者が聞いて呆れますね…」
「何か言いましたか?」
「いえ、こちらの話です」

とりあえず、外堀を埋めることから考えるサウルは、やはり聖職者失格なのかもしれない。

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