日記54(ゼル伝)

「はぁ…」

深い溜め息を吐き、男は手にした長剣を支えにうなだれた。
季節は冬、吹き荒ぶ風は身を切るように冷たく、舞う白雪は著しく視界を遮る。俯く顔を風と共に金の前髪が叩き、彼は赤くなった鼻を啜った。
厚手の外套がはたはたと翻り、男の重厚な鎧を露出させる。熱を伝えやすい金属のそれは、外気と同じく冷えに冷えて、男の英気を削ぐのであった。

「だから来たく無かったんですよ」
「弱音を吐くな。女々しい」

男の隣に立つ巨漢が、低い声で答えた。燃える赤毛と日によく焼けた褐色の肌、猛禽のような鷲鼻は容貌魁偉と呼ぶに相応しい。その赤い瞳で睨まれれば、大の男でもたちまち竦み上がることだろう。
しかし男は、不満げな態度を崩さなかった。

「遠征なんて、私の管轄外です。…嗚呼、城に残してきたゼルダが心配だ…」
「そのゼルダたっての頼みなのだ。今更否とは言えまい」
「…ええ、それは勿論」

男は青の眼を細め、風雪吹き荒ぶ国境を見据えた。
ここは、ハイラルとその隣国の領土を分かつ国境である。長年小さな諍いはあれど、友好的であった隣国は、しかしゼルダの即位と同時にその態度を一転させ、ハイラルに侵攻してきた。恐らく、小娘如きに国政は務まらぬとの思いが、ハイラルの豊かな緑への羨望の念を助長したのだろう。
ゼルダの対応は迅速だった。
その国に即座に抗議の文書を送り、軍の撤退を求め、応じぬようなら此方もそれなりの対応をさせてもらうと言ってのけたのだ。更には他の国境を接する国々にハイラルの防衛の正当性に対する証言と、その際の助力の確約を取り付けた。それだけに留まらず、彼女は即座に王家の軍を編成し、侵攻軍ののさばる国境に向かわせたのであった。

その遠征軍の隊長に任命されたのが、他ならぬハイラル騎士団長ガノンドロフであり、さらにはゼルダ本人に請い願われて、第九分隊長――別名女王親衛隊――リンクが、特別にその軍に配属されることになったのだった。
男――リンクは、剣呑な目つきで国境を睨む。その隣でガノンドロフは仁王立ちしていた。

「馬鹿にされたものです。為政者が女だから、と侮られたのでしょう」
「この世で最も恐ろしい生き物は女だというのに」
「…貴方が言うと説得力ありますね」
「身に染みておるからな」

リンクは一つ苦笑を漏らし、国境に背を向けた。早く砦に戻りたかった。暖炉が恋しい。
その後ろを、大股にガノンドロフが付いてくる。彼はリンクを呼び戻しに来たのだ。ハイラル騎士団にしてみれば慣れぬ雪上戦、軍議は連日のように行われた。リンクもそれに出席の義務を負う。

「今日は荒れるぞ」

徐に呟かれたガノンドロフの声に、リンクは再び深い溜め息を落とした。

***

「…首尾はどうだ」
「上々だ。あちらさん、すっかりここの気候に参って、砦から出ようともしねぇ」

吹雪もいくらか勢いを弱め、しんしんと雪の降る夜、彼らはハイラル騎士団の駐留している砦を見下ろす形でその白い雪山に身を潜めていた。雪が音を吸い、この暗闇と雪では敵に感づかれる心配もない。

「あの豊かな地で暮らせば、腑抜けにもなろうさ」

誰かが呟く。忍びやかな笑いが辺りに響いた。

「違いない」
「ならば、我々の力、ハイラルの腑抜けに見せてやろうぜ」

おぉ、と小さく鬨の声を上げ、彼らは細長い筒状の武器を構えて砦から零れる窓の光に狙いを定めた。銃と呼ばれるその武器は、超遠距離用のもので、筒の中で火薬を爆発させた爆風で、先に詰めた鉛の玉を飛ばすというシンプルなものだ。しかしその威力、飛距離共にハイラルの主要な飛び道具である弓とは比べ物にならない。魔法に特化したハイラルとは違い、その国は科学に特化していた。

「合図をしたら攻撃開始だ。…3、2、1――」

ごくりと生唾を呑み込む兵士たち。しかし待ち望んだ号令はいつまで経っても掛からない。一人が不審に思って指揮官のいる方を振り仰ぎ、そして思わず声を上げた。

「た、隊長!」

指揮官は、既に号令を発せられる状態になかった。喉元を掻き切られ、雪の中に顔を埋めて絶命しているのである。下手人は明らか。血の滴る短剣を逆手に持ち、男は冷たく笑う。厚手の外套が夜風に靡き、ハイラル王家の紋章が彫られた銀の鎧が雪の中でおぼろげに光った。

「くっ…おのれ!」

逸った一人が男に銃口を向け、そして迷わず発砲した。ガァン、と凄まじい音が夜の帳を貫き、そして雪の中に消えていく。
鉛は、男に命中した。その右肩を撃ち抜いて、それでも勢いを殺さずに貫通し、背後の樹にのめり込んでいる。男は暫し呆然とし、それから何故か酷く嬉しげに破顔した。

「これは…なんと素晴らしい武器をお使いで!」
「は…?!」
「もっと近くで見させて頂いても?」

言いながら、男は撃たれた傷を一向に気にする様子もなく、ずんずんと彼らに近付いていく。陽気ですらある男の様子は、しかし彼らにしてみれば不気味に他ならない。誰かが、殺せ、と叫び、再び乾いた銃声が響く。

しかし今度はどの鉛玉も男を捉えはしなかった。

「ふむ、火薬の爆発力を利用した、小型の大砲のようですね。この威力ならかなり遠距離でも殺傷力を落とさずに使えそうです。…しかし、近距離戦には向きませんね。攻撃範囲が直線的で、軌道の予測が容易です」

飛び交う弾丸を易々とかわしながら、男は更に彼らに近付いていく。一度撃ってしまった銃に、再び火薬を詰め直そうとあたふたしている兵士を見下ろし、男は首を傾げて呟いた。

「…連発出来ないのも実用的ではありませんね。改善の余地あり、です」
「な、何者だ貴様ァ!!」

銃を投げ捨て、サバイバルナイフで男に斬りかかる兵士が叫んだ。男は手に持ったままだった短剣でそれに応じ、あっさりと返り討ちにしてみせる。

白銀の世界に鮮血の赤が飛び散る。男は倒れた兵士を足蹴にし、にこやかに笑んだ。

「これは、申し遅れました。私、ハイラル騎士団第九分隊長を務めております者です。以後お見知り置きを」
「な…」
「それにしても、興味深い武器だ。我々ハイリア人には無用の長物でしょうが、話のタネくらいにはなるでしょう」
「ば、馬鹿にするなぁぁ…ぐぎゃ!」

再び一人の兵士が男に飛びかかり、それも鮮やかな一閃に倒されてしまう。恐怖に駆られた一人が逃げ出すが、男の投げた短剣が狙い違わず首に突き刺さり、どうと前のめりに倒れる。残されたのは一人だ。兵士はがちがちと歯を鳴らして震え上がった。

「ば…化け物…!」

兵士にそう罵られ、しかし男は尚も愉しげに笑ってみせる。打ち捨てられた銃を拾い上げ、興味深げに眺めながら、ふと思い出したようにその兵士に向き直った。爽やかに過ぎる笑顔は、むしろ貼り付けたように胡散臭い。

「ええ、私化け物です。ですから、貴方を捕虜として砦まで連れて行ける保証はありませんよ?…どうかくれぐれもおかしな気は起こさぬように。…ね?」
***
一応続く。

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