日記52(紋章)

「綺麗事?」

見上げた先、美貌の王子は、言いながら首を傾げた。

「僕は出来ないことは言わないさ。僕は君と違って、嘘を吐かない」
「く…くそ!なんで、なんでお前なんかに…っ」
「ははは」

高らかに笑って王子は僕の前に膝をつく。そして低く、甘く、囁いたのだった。

「時代は変わったんだ、クラウス。先の遺物である君が、僕に敵おうはずもない」

***

強大な魔力が生まれるのを感じた――と悲鳴混じりに報告に来たのは、英雄王の幼なじみであり親友のマリクである。魔道を志す彼は、しかし同盟軍に身をおく間にその力を攻撃に特化させ、優れた賢者となった。マリクは英雄王の親友であるのと同時に、腹心の部下でもあった。
応える英雄王は山積みになった書類から目を離し、羽根ペンをインク壺に浸した。

「…ふむ、妙な話だ。まさかまたガーネフが復活した訳でもあるまい」

アカネイアの王宮にある豪奢な執務室で、しかし質素な造りの椅子に腰掛けた英雄王は目を細める。そして目の前にあった書類にさらさらと自分の名前を書き込んだ。
マルス・ローウェル。
英雄アンリの血を引く、アリティアの王子。しかし今ではその名よりも好んで使われる通り名があった。
大陸の覇者、英雄の中の王、と。

「僕にも原因は分かりません」

申し訳なさそうにマリクがうなだれる。マルスはペンを置いて身を乗り出した。

「君を責めてるんじゃない。…少し、歩こう。君の話を聞かせてくれないか」
「あら、マルス様。もっともらしい言い訳を付けて、執務をサボるおつもりですか?」

マルスの隣で書類の整理に従事していたシーダがからかうように言った。マルスは朗らかに笑い、すぐに戻るよとシーダの肩に手を置いた。シーダは「ごゆっくり」と笑う。
マルスに伴われて部屋を出たマリクは、恐縮しきった様子で囁いた。

「お忙しいところをお邪魔してしまったようで…すみません…っ」
「ははは、寧ろ助かったよ。ずっと署名の仕事で、ほとほと嫌気が差してた」

対するマルスは気さくに笑う。英雄王と呼ばれるに至った戦乱の時のような猛々しさはない。甲冑もマントも取り払ったマルスは、いっそ華奢ですらある。
が、マリクは深刻そうな面持ちを崩さなかった。

「…とても、嫌な予感がします」

マルスは笑みを消し去り、マリクを見詰めた。

「どんな?」
「まるで嵐が来る前の、暗雲が立ち込めた空のような」
「ふむ」
「ガーネフではありません。ガーネフよりももっと攻撃的な気配が」
「…マリク」

マルスは歩みを止め、マリクを振り向いた。

「それはきっと、放っておいていい気配ではないと思う。その気配を辿れるかい?」
「え…それは…はい」
「なら、こちらから出向いてやろう」

相変わらずマルスは柔和な笑みを浮かべている。マリクはぽかんと口を開けてマルスを見、それから「ああ!」と合点がいったように頷いた。

「軍を率いて向かわれるのですね」
「いや、そんなに連れてくつもりはないけど」

マルスはきょとんとして首を傾げた。

「僕とシーダ、マリク、それからカインでも連れて行こうか。多いかい?」
「ま、マルス様!?相手は得体の知れない存在ですよ!何を仰って…」
「問題ないよ」

マルスは有無を言わさぬ調子で言い切った。マリクはまだ納得しない様子だが、それも特に気にするでもなくマルスは続けた。

「僕は出来ないことは言わないよ。君もよく知ってるだろう?」
「う…はい」
「なら、シーダとカインを呼んで来ようか」

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