日記49(子リン+ナナ)
くだらないなぁ、というのがまず抱いた感想だった。
2月14日、聖バレンタインを祝して、女性から男性に贈り物をする日。贈り物としてはチョコレートが主流で、多くの女の子がこの日に勇気を出して意中の男の子に想いを告げるのよ――とビーチが至極楽しそうに言っていた。
僕の国にはそんな行事はなかったけれど、――いや、多分他のみんなもここへ来て初めて知った行事であろう――でもそれは大した問題じゃなくて、要するになんだかイベントがあれば乗っかりたい、それがみんなの共通の見解だった。そんな訳で、2月14日当日は屋敷内に仄かなカカオの香りが立ち込めて、女性陣は厨房を忙しそうに行ったり来たり。男性陣は興味無さそうにしながらも、なんだかそわそわと落ち着かない。
一体誰がこんなことを取り決めたんだか、と僕は冷めた目でそれを見守る。生憎と、カービィのようにお菓子が貰えるからと期待に胸膨らませるほど子供ではなかったし、贈り物を受け取りたい相手がいるほど大人でもなかった。
(本当は、受け取りたい相手はいるけれど)
(彼女は僕ではなくて、もう一人の僕を見ているから)
「不毛だなぁ」
呟くと、すぐ隣から「そんなことないわ」と声がした。振り返るとエプロン姿のナナがいる。彼女の全身から、ふんわりとチョコレートの香りが漂っていた。例に洩れず、ナナも行事に参加しているのだ。
ナナは首を傾げ、僕を見た。
「子リンは擦れちゃってていけないわ。こんな明るい行事の時くらい、楽しそうにしなきゃ」
言いながら、ナナは僕の向かいの席にどさりと腰を下ろす。少しだけカチンときて、僕は言い返した。
「僕に嘘を吐けって言うの?」
「楽しむ努力をしなさいって言ってるの」
けど、ナナはお姉さん風を吹かせてそう宣った。憮然とする僕に、ナナは畳みかける。
「大人に近付こうと背伸びしたって、余計に子供っぽくなるだけよ」
「僕は――」
背伸びをしている訳じゃない。ただ、どこかに「子供らしさ」を置いてきてしまったのだ。
一度大人を経験した僕は、子供に戻れば己の足りない物ばかりがまざまざと見えて、早く大人になればその足りない物が補われるのだと信じて、常に早く大人にならねばという、そんな焦りを感じながら――。
「いいじゃない、子供でも」
ナナは軽い調子だ。
必死になっている僕が馬鹿みたいだった。
「君は、知らないから――」
「ねぇ、子リン」
ナナの言葉に僕を責めるような調子はない。けれども有無を言わさぬ威圧感を感じて、僕は押し黙った。
ナナは真っ直ぐ僕を見つめた。
「あなた、生き方がとってもヘタ。見ていて心配になるの。時々ポポより頼りないわ」
気の弱い心配症な防寒着の少年の顔が脳裏に過ぎる。ナナは一度呼吸を置き、僕の心情を探るように再び僕をじっと見た。が、そこにナナの期待したような兆しはなかったらしく、ナナは諦めたように溜め息を吐いた。
「…やっぱり、男の子って分かんない」
「…僕は、」
「とりあえず、甘いものでも食べて元気出して。これあげる」
言ってナナが取り出したのは、パステルカラーの包みにくるまれたチョコケーキだった。ああ、そういえばバレンタインデーだっけ…
僕が呆然としていると、ナナはさっさと席を立ってその場をあとにする。相当呆れられたと見える。怒らせたのかもしれない。
その時にいたって、僕は自分を心配してくれていた友人の気遣いにようやく気付いた。
廊下の角に消えようとしているナナを追う。声を張り上げて呼び止めた。
「ナナ!」
消えかけていたナナの後ろ姿が歩みを止めて振り返る。僕は廊下の端にいるナナに大声で叫んだ。
「ありがとう!…その、美味しくいただくよ」
ナナはきょとんとし、それからいつもの邪気のない笑顔で首を傾げた。
「お返し、楽しみにしてるから」
それだけ言って、ナナはふいっと角に消えた。
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