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翌朝、アイクはマルスに揺り起こされて目を覚ました。昨晩は屋敷に帰還したのちもトワやベヨネッタ、マリオといった面々との情報交換のために話し込んでしまい、彼が自室に帰還したのは深夜を既に過ぎた頃だった。その頃には、いつもアイクの帰りを待っているマルスも寝入ってしまっていて、そのまま言葉を交わすことなくアイクも眠ってしまった。それ自体は特別珍しいことではなく、単にマルスの方が早く起きた場合にはアイクが起こされることもありうるが、この時のマルスは爪が食い込むほどに強くアイクの腕を掴み、掠れた声で彼の名前を何度も叫んでいた。慌てて身体を起こし、アイクはマルスの腕を掴み返す。

「どうした、マルス、ここにいるぞ、……――」

マルスは泣き腫らした顔でアイクに縋り付いていた。マルスを何とか落ち着かせようとアイクは口を開くが、その姿を目にした瞬間、さすがの彼も絶句する。彼から言葉を奪ったのは変わり果てたマルスのその腹の大きさだった。
ベッドに横たわるマルスの腹は、服のボタンを引き千切るほどにまるまると膨らんでいて、いまやはち切れんばかりとなっていた。昨日まではこんな風ではなかった、と涙ながらに訴えるマルスの姿があまりに異質で、こうなる理由が全く想像できない。今のマルスの状況に一番近いのは妊婦である。
とはいえ、マルスは男だし、これは懐妊だ、などと喜べる前提がないのも明らかである。一瞬、食べ過ぎによるものかと思ったが、マルスの言う通り昨日まではここまで膨らんでいなかった――思い返して見れば、確かにここ数日のマルスの下腹部は少し膨れていたように思うが、それが前兆だったのだろうか?――とにかく、とアイクは恐る恐るマルスの腹に触れる。すると、触れた掌の下で何かが蠢く感触があった。

「痛みは」

鋭くアイクが問うと、マルスが小刻みに頷く。これは手に負えない、専門家にみせるべきだ、とアイクが提案しようとすると、突然マルスがかっと目を見開き、身をよじらせて叫んだ。

「いッ…!いた、痛い!痛い痛い痛い!!中、中が!!」

膨れ上がった腹を押さえ、体をくの字に折り曲げてマルスが悶絶する。目で見て分かるほどに、腹の表面が波打っていた。こんな状態のマルスを一人残していくのは断腸の思いだが、アイクがここに残ったところでしてやれることなどないに等しい。助けを呼んで戻ってくる、とアイクはマルスの手を握って言い聞かせたが、寧ろ一層強くアイクの手を握り返したマルスは、玉のように浮かんだ冷や汗をだらだらと流しながら、力強く首を振る。置いていかないでくれとその目がはっきり告げていた。
アイクが何もできずに立ち尽くしているうちに、マルスの臍からたらたらと血が垂れてくる。何故、と疑問に思う間もなく、彼のズボンの下まで赤く染まり始める。下半身からも出血しているらしかった。マルスの目の焦点が合わなくなってきた。発する言葉も意味の無い呻き声だけである。そこまで至って、アイクは不思議と冷静さを取り戻しつつあった。こうするしかないという確信めいた直感を、アイクはその時確かに得ていた。

*
「き、寄生虫?」

早朝、屋敷に帰還したルフレとシュルクからの報告を受けたマリオとフォックスは、声をそろえて聞き返す。前日から徹夜で依頼主の元に出向していたルフレとシュルクは、やつれた表情ながらも報告は後回しにできない、と撮りためてきた写真を出して机の上に並べた。
一同が覗き込むと、そこには半分に体を割られた人食い蜂の姿が収められていた。だが、重要なのは蜂の方ではなく、その腹に何十匹と詰まった芋虫型の幼虫の方。蜂の中身を食い尽くして、宿主の腹に収まっているまるまると太った幼虫たちの何匹かは、既に蛹へと姿を変えて、長い手足が形作られ始めていた。
おぞましい写真にベヨネッタが溜息を吐く中、シュルクが疲れた表情で続ける。

「依頼主のところへ行って、蜂の死骸を調べてきて分かったことだけど…あの蜂たちは、死ぬ前から寄生虫に卵を産み付けられていたみたいなんだ。死骸の中でも卵は死なずに成長して、死骸の中で孵化した」

言いながら、シュルクはもう一枚別な紙を取り出す。それは図鑑の写真をコピーしたもので、これまでの蜂とよく似た蜂が描かれていた。今度はルフレが続けた。

「これは、寄生蜂。他の蜂や植物に卵を産み付けて、幼虫はその宿主の身体を食べて成長する。今回の幼虫はこれのものだろう」
「うわぁ…」
「寄生蜂に寄生された宿主は、そうとは知らず卵のために過剰に栄養を取り込む傾向にある。本によってはこれを洗脳だというものもあるけど…つまり、人食い蜂が人を襲ったのは、寄生蜂によって過剰な食事の必要に駆られていたからだね」

怖いもの見たさから写真に目が釘付けなネスであるが、そこではっとしたようにフォックスが言った。

「ということは、分蜂した蜂の巣が見つからないのは、そっちには寄生された蜂がいなかったから…?」
「そういうことになると思う。宿主の方の蜂は、本来人を襲わない蜂なんだ。人的被害が出ていないということは、人を襲ってまで栄養を取る必要がないということで、きっとどこかの山奥で、平穏に暮らしているだろうね」
「このことを話したら、依頼主も残りの蜂の巣のことは諦めてくれたよ。“危険な人食い蜂の巣を駆除してほしい”という依頼だったからね、危険じゃない蜂の巣までは駆除できない。報酬はきちんと払うから、今回の依頼はこれで終了でいいって」

穏やかな笑顔でそう告げるルフレとシュルクだったが、実際にどんなやり取りがなされたかは当事者のみが知るところであるが、彼の仲間たちがそれを詳しく知る機会はその後永遠に訪れなかった。あてのない捜索活動に精魂尽き果てかけていた彼らは、思わぬ幕引きとなった任務に胸を撫で下ろす一方、四日近くも無為に任務に駆り出されたことに項垂れもする。そんな折、ネスと並んで寄生蜂の写真を眺めていたトワがふいに口を開いた。

「…というか、この蜂、最初の蜂の巣駆除の時にいたな…」
「え?」
「うん、いたいた!王子を刺した蜂、これに似てたよ」

トワの呟きに、ネスも声を上げる。単にネスは己の記憶にあることを述べたに過ぎなかったが、トワの方はそうではないらしく、深刻な表情でルフレとシュルクを見返した。

「最近のマルスを見たか?」
「いや…」
「蜂に刺された怪我のために、外出せずに屋敷で療養している。しているが…以前より食べる量が格段に増えたとアイクが言っていた」

トワの言わんとするところを察して、一行は絶句する。ネスでさえもそれは同じで、「それじゃあマルスは…」と言いかけたものの、その先はあまりにおぞましくて言えなかったのか声にならなかった。
そういえば、と思い立ったようにマリオが集まったメンバーを見渡すと、そこにはマルスと同室のアイクの姿がなかった。特にメンバーの中でも規則正しい生活を送る彼が寝坊したということはないだろう。嫌な予感がする、とマリオは一歩踏み出した。

「マルスの部屋に行こう。…もう一度、あいつの身体を詳しく検査する必要がありそうだ」


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