2

幸いにして、ハチの毒が原因とみられるマルスの不調は、単に発熱として彼から一日行動の自由を奪ったに過ぎなかった。その日の依頼はリンクとルフレ、フォックスで残りを片付け、マルス、ネス、マリオは大事を取って先に屋敷へと戻って治療を開始することにしたのだが、検査の結果特別マルスに必要な処置はなく、刺された怪我も重要な臓器を傷付けてはいなかった。傷口の消毒と、「元気になる」点滴とを施されて、顔色も元に戻ったマルスは穏やかにすやすやと寝息を立てて医務室のベッドで眠っていた。
翌日、目を覚ましたマルスはすっかり容態も回復し、起き上がるやいなや、もう平気だと言い張って医務室から出ていこうとしていた。無論、それを許すマリオではない。昨日から付きっ切りでマルスの看病をしている彼は、マルスの傷口を改めて消毒し、ガーゼを貼り替え、その上で「また暴れて傷でも開いたら絶対面倒見ないからな」と厳しい口調で忠告する。これだけ世話になっておいて、おいそれと我儘を通せないマルスである。しぶしぶベッド上安静に甘んじる王子は、しかし本人の申告通りにすこぶる快調な様子で、前日丸一日寝ていたこともあってか普段以上に食欲旺盛だった。

「名誉の負傷だよね!」

マルスは本日何度めになるか知れない間食用のパンを頬張りながら、誇らしげに言う。その発言と予想外に活発なマルスの様子に、おずおずと彼を見舞いに来たネスは目を瞬かせた。
決して、マルスは無理をおして気丈に振る舞っているわけではない。真実、傷は浅かったし、マリオの処置は的確だった。心配そうなネスの表情こそ、今のマルスを悩ませる一番の問題だ。
ネスは困ったように視線を泳がせ、それから己の膝辺りを見つめながら言う。

「その…昨日は、ごめん。それから、助けてくれてありがとう。痛くない?」
「ああ、君が無事で何よりだよ。それに僕はもうすっかり元気さ!でも、静かにしていないとマリオが心配するから、こうして怪我人のふりをしているのさ」

近くで作業をしているマリオに聞こえないよう、わざとらしく声を潜めてネスにそう耳打ちするマルスに、思わずネスの表情も緩む。その表情を見届けて、マルスもまたようやく肩の力が抜ける思いだった。
そんな折、医務室の扉が開かれて、アイク、ルフレ、トワ、ロイの4人が連れ立ってマルスの見舞いに訪れる。よ、と軽く手を上げてマルスのベッドへと近付いてきたトワは、ネスの姿を見てもさして気にした様子はなく、「隣、いいか?」と彼の返答を待たずにパイプ椅子を並べていた。

「僕は、もう帰るよ」

大人同士、積る話もあるだろう。そんな遠慮からネスは椅子から腰を浮かせるが、それはルフレにやんわりと制止される。

「いや、大丈夫。きっとネスも聞きたい内容だと思うし」
「どうかしたの?」

続けてマルスが興味を引かれた様子で身を乗り出すと、待っていたとばかりにトワが悪戯っぽく笑った。

「昨日の害虫駆除依頼の続報だ。聞きたいだろ?」
「続報?あれで終わりじゃないの?」

ネスが情けない声を上げて項垂れる。ははは、と笑ってトワは続けた。

「あの蜂の巣自体は、あれで終わりだ。まぁ、王子が倒れて、マリオとネスが帰ったあと、俺とルフレ、フォックスで残りの蜂の巣の片付けをしてな。巣の中のハチの死骸を取り出したり、巣自体を外に運び出したり、色々大変だったんだが、まぁ、それは置いておいて」
「ご、ごめんね…」

人手が必要な時にその場にいられなかった罪悪感で、マルスは肩を竦める。トワは「冗談だ」と歯を見せて笑い、言葉を継ぐ。

「蜂の巣の解体は済んでいるし、あの場にいたハチはほぼ全滅させたと思っていいだろう。だが、あのサイズの巣を作る群れとして、どうもハチの数が少なすぎる。恐らく分蜂したものだと思う」
「分蜂」

聞き慣れない単語をマルスが繰り返すと、ルフレが口を挟む。

「春になると、ハチの群れには新しい女王蜂が生まれる。すると、元からいた母親の女王蜂は、群れの半数を連れて巣を飛び出して、また新しい場所に巣を作るんだ。確かに、想定したものよりハチの数は少なかった。僕はトワの考えは十中八九正しいと思ってるよ」

ネスの顔には、ハチの数が少なかったとは到底思えなかったとはっきり顔に書いてあったが、そこでマルスはようやくこの場に関係のないはずのアイクとロイがいる理由に合点がいった。

「それじゃあ、まだほかにも巣があるかもしれないってこと?」
「ご名答」
「依頼は未だ継続中だ。今後は分蜂した群れの半分を探していくことになる。だが、手掛かりがないから、人海戦術だ。フォックスの申請でチームを増員してもらった」

ロイ、アイクはその際助力を申し出てくれたうちの二人である、とトワが短く説明すると、それまで黙っていたロイが遠慮がちに進み出て言った。

「まぁ、その…マルスは怪我もしているし、これからの仕事は単に肉体労働になりそうだから、あとの依頼は俺が引き継ぐのはどうかなと思っているんだが…」

つまり、ロイはマルスとの交代を申し出ようとしているらしかった。とはいえ、言い出す前から断られることを予期している様子のロイは、慌てて「勿論マルスが嫌なら一緒に協力してやるつもりだけど」と早口で付け足す。
普段のマルスなら、自分は常に健康であるし、一度引き受けた仕事は責任をもって最後までやり遂げねば気が済まない、とロイの親切な申し出を断っただろう。この時もマルスは当初そのつもりでいた。しかし、はたと思い留まる。勇気を振り絞ってのロイの提案である。無碍にしてしまっては彼の立つ瀬もないだろう。いつぞやかには、片意地を張ってロイとアイクに散々迷惑をかけたこともある。程度は軽いとはいえ、実際怪我をしているのだから、ロイの主張は理に適っている。
なんと答えたものかと逡巡していると、ふとアイクと目が合う。何か言った訳ではないが、アイクはものの分かったような頷きを見せて言った。

「俺も、マルスに休んでいてもらった方が安心だ」

短く、端的に己の要望を述べるアイクに、マルスは苦笑する。つまり、ロイとアイクの意見は同じなのだ。
潔く諦めて、マルスはロイに向き直る。背筋を正して返答を待つ彼に、マルスは小さく頭を下げた。

「それじゃあ、お言葉に甘えようかな。この件、ロイに引き継ぐよ」


[ 88/143 ]

[*prev] [next#]


[←main]



第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -