日記64(マルリン)

「この橋を渡ると、コキリの森なんです!」

常より弾んだ声で言いながら、金髪の青年は顔を綻ばせて目の前の小さな橋を指さした。森の入口にかかる木製の吊り橋は、そこから先は容易に外界の者を立ち入らせまいとしているようで、流れる空気が違っていた。どこか懐かしく、しかし果てなく遠い過去の空気。これが、森に住まう住人が子供の姿のまま成長しないことを示唆しているものだとするなら、マスターも大したものを造ったな、とマルスは漠然と思った。
ここは、リンクの故郷ハイラル――を模した仮想空間である。亜空の使者急襲でファイターたちに多大な迷惑をかけた、と珍しく意気消沈していたマスターは、彼の友人たちにお詫びと称して一人に一つ、世界を与えることを提案した。世界の半分を分け与えると豪語した竜王もびっくり、なんとスケールのでかい謝罪である。といっても、彼らの故郷を模したごく小さな世界を仮想世界に構築するに留まったもので、いわば疑似的な里帰りを可能にした訳であるが、マスターの凝り性が妙に発揮されて、そこに住まう人々も、そこに流れる空気も、全てが再現された完成度の高い代物だった。着々と世界が完成してゆく中で、今日は時の勇者としてハイラルの命運を救ったリンクの故郷コキリの森が完成し、そのお披露目という訳だ。
久しぶりの帰郷に興奮が抑えきれない様子で、珍しく年相応に目をきらきらと輝かせたリンクは、両手を広げてマルスを振り返り、言った。

「俺が育った森へ、ようこそ、マルス!」

マルスもまた、その笑顔に釣られて相好を崩す。

「うん。いいところだね」
「でしょう?もっと見せたいところがたくさんあるんだ、それに、みんなにマルスのことを紹介しなくちゃ!行こう、マルス!」

いつもの取り繕った敬語もすっかり忘れて、リンクはマルスの手を引いて森の奥へと走り出した。マルスは半ば引きずられるように、しかしリンクの興奮が伝染したように胸を高鳴らせながらそれに従う。

「君が楽しそうだと、僕も嬉しいよ。たくさん、教えてね。リンク」
「勿論!」


ふと、マルスが目を開くと、そこは無機質な機械がひしめく終点であった。鼻腔に広がる懐かしい森の香りも、肌に触れる暖かな空気も夢のように消えてしまう。それでも脳裏に焼き付いた少女の笑顔を思い出して、知らずマルスの口元には笑みがこぼれる。
リンクの友人、森の少女の優しいオカリナの音色に時が経つのも忘れたものだ。隣の転送装置で天を仰いで目を閉じているリンクもまた、突然の帰郷で得たものを反芻しているようだった。

「リンク、とっても素敵な時間だったよ。ありがとう」
「……」
「リンク?」

聞こえていない訳ではあるまい、とリンクの様子を窺うように転送装置から身を乗り出したマルスはぎょっとする。天を仰いでいたリンクは両手で顔を覆っていた。その腕は小刻みに震えている。
嗚呼、とマルスは胸を締め付けられるような思いでその姿を見守った。 勿論、リンクは待ち望んだ帰郷であっただろう。だが、彼にとっての帰郷は、単に懐かしい故郷を訪ねるだけのものには留まらない。二度と帰ることの叶わぬ故郷であり、二度と会うはずのない友人たちである。

「…大丈夫かい?」
「はい…はい、大丈夫です。すみません、見苦しいところを」
「見苦しくなんかないさ」

マルスがそう諭すと、リンクは顔を覆う手を下ろして、しかし渇いた双眼でマルスを見た。

「…サリアは、私の一番の友達でした」
「うん」
「サリアは、森の賢者です。森に帰っても、もう会えるはずのない…ああ、でもあの場所にはサリアがいます。オカリナを吹いて、私の声に答えてくれるんです…」
「…君は、どう思った?」

果たして、リンクは幸せだっただろうか。仮初の帰郷に、彼の心は傷付いただろうか。マルスの問いに、リンクははて、と首を傾げた。悩んでいるようだった。
沈黙が流れること数秒、リンクは明瞭な答えが出せなかったのか、バツが悪そうに囁く声量で告げた。

「良かった、んだと思います。本来なら、私はサリアに会うことなどできなかった。それをマスターが可能にしてくれたこの世界を、私は嬉しく思います。…多分」
「多分?」
「なんでしょうね…うまく言葉にできませんが…嬉しいけれど、それと同じくらい物悲しい。そんな、気がします」

リンクはそう呟いて、ふらふらと転送装置からよろめき出た。慌ててマルスがその肩を支えようとしたが、それはリンク自身に笑って断られてしまう。

「すみません…きっと、これがホームシックなんでしょう。年甲斐もなく恥ずかしい限りです。ちょっと風に当たってきます」

※幻の長編プロローグ

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