日記63(黄昏)※58の続き

「馬が欲しいな」

子供たちが山羊を追いかける姿をなんとはなしに眺めていたところ、隣に立つ男がモイに向かってぼやいた。モイが首を傾げると、男は年の割に随分と若い横顔をこちらに向ける。

「山羊が増えて、人の手でやるには山羊追いの効率が悪い」
「まぁ、確かに」
「それに、俺は馬が好きだ。賢いし、人間の気持ちをよく察する」
「…お前が欲しいだけか」
「ばれたか」

男はいっそ幼い表情で笑った。
とはいえ、今の御時世、馬は非常に高値で売買される。個人で所有している者など、騎士か貴族くらいのもの。村の献上品をハイラル城に届けに行く時に使う馬も、近隣の村々で金を出し合ってようやく一頭を借り受けている状態で、個人が、それもこんな片田舎の牧童が馬を飼いたいなどとはとても現実味のある夢とは言えなかった。

「残念だが、諦めるんだな。馬なんてどこも品薄で高騰してるだろ」
「うーん、闇市とかで売ってないかなー」
「お前って奴は…リンクが聞いたら呆れられるぞ」

モイは山羊を追いかける少年を見やる。男の一人息子であるその少年は、元気良く走り回って山羊を追い回している。だがモイの諫言も男はどこ吹く風といった様子だった。

「その時は、モイが俺を庇ってくれよ」

男のその言葉がどこまで本気であったのか、この時のモイはまだ分かっていなかった。

翌日から、男は村から姿を消した。残された彼の息子は、しかし取り乱すこともなく「困ったことがあったらモイを頼れって父さんが」と男の身勝手な伝言を伝えた。頭を抱える村人とは裏腹に、リンクは父親が不在の間もよく一人で生活し、昼間は山羊の世話をして父親の代わりによく働いた。それだけでなく、まだ小さい村の子供たちの面倒までイリアと一緒に見たりして、リンクは村のお兄さんといった地位を誇らしげにすら思っていたのかもしれない。
そんな男が不在の日々が半月ほど続いたある日、突如村を訪ねる者があった。村の者とはおよそかけ離れた服装の彼は自らをポストマンと名乗り、村人を散々驚かせた後にリンクに宛てて手紙を寄越した。受け取った手紙を裏返して差出人を確かめたリンクが、やはりどこか安堵した声で村人に告げる。

「父さんからだ」

村の大人たちは我も忘れてリンクと共に手紙を覗き込んだ。その手紙には、村人の誰よりも流麗な字で、リンクと村人たちの息災を願うことと、長く不在にしてすまないと思っている旨、今の仕事が終わったらすぐに帰るつもりであることが手短に書き連ねてあった。

「出稼ぎに行っていたのか?金に困っていたなら相談してくれれば良かったものを…」

不思議そうに呟くボウに、モイは慌てて言う。

「あれは、馬を買いに行ったんだ!」
「う、馬!?」
「出掛ける直前、馬が欲しいと言っていたから、てっきり冗談だと思って気にも留めていなかったんだが…」
「だ、だがこのご時世に真っ当な仕事をしていて馬が買えるとは…」
「ボウ!リンクがいるのよ!」

モイの妻、ウーリの鋭い制止の声が飛ぶ。ボウは慌てて言葉を飲み込んだように口を引き結んだが、一方リンクは気にする様子もなく指折り数えて「多分、二月後に帰ってくるよ」と屈託無く告げた。
何故、と問うモイにリンクはどこか気恥ずかしげに答えた。

「誕生日だから」

かくして、リンクの予想通り、男は二月後のリンクの誕生日その日にひょっこり村に姿を現した。美しい栗毛色の雌の仔馬を引きながら。
村人たちは身勝手な男の行動を怒るより先に、まず彼の無事を喜んだ。男がリンクとの再会を喜び、誕生日にと馬を手渡したのを見計らって、村人たちもまた男との再会を喜んだ。次いで、どこで何をしていたのかとの問いを矢継ぎ早に投げ掛けると、しかし男は何ともなしに答えた。

「ハイラルのちょっと金持ちそうな貴族の館で奉公してきた」
「奉公って…ええ!?」
「まぁ、用心棒みたいなものさ。最近ハイラルも物騒らしくてな、俺みたいに魔物慣れしてる奴は都合がいいんだと」

ししし、と歯を見せて笑って、男は使い古した剣を見せた。村にいた時より随分と汚れて見える。雇い主にも随分気に入られて、息子の為に馬が欲しいとの旨を告げると王家御用達の博労を仲介してくれて、いい馬を見つけることができた、と常より多弁に言った。
あの、と遠慮がちに声を上げる少女がいた。リンクと共に仔馬を見ていたイリアだった。なんだい、と男が首を傾げるとイリアはやや気恥ずかしそうに俯いた。リンクが彼女の言葉を継ぐ。

「イリア、馬の名前が知りたいんだって」

リンクがそう言うと、男はどこか遠くを見るような目で仔馬を見つめた。遥か昔、平原を駆けた相棒の姿を思い出すように、男は呟く。

「エポナ」
「エポナ?」

繰り返す子供たちに、男は笑顔で頷く。

「そう。かつて、勇者が乗った馬の名前さ。勇者と共に平原を一日で駆け、断崖絶壁も飛び越えて勇者を運んだ素晴らしい馬の…」
「とってもいい名前ね!」

イリアは大層喜んで、エポナ、エポナと仔馬の名前を繰り返し呼んだ。話はまだ途中だったんだが、と頭を掻く男の背を、モイは笑いながら叩いた。

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