没ネタサルベージ3
「……」
暗い。人がいるとは思えないほどその部屋は静まり返っていたし、明かりだってついていなかったけれど、傭兵という職業柄夜目の効く俺は、部屋の隅の更に暗がりで膝を抱えて蹲っているそいつを容易に発見出来た。
「…何してる」
「………」
「飯は食ったか」
「………」
「マルス…」
何を言っても返事らしい返事など返ってこない。ちらとベッド脇のテーブルを見ると、手付かずの料理と、一口かじったあとのあるパンが並んでいた。その横のコップは空になっていたから、とりあえず水分はとってくれたらしい。
一つ溜め息をつき、手近な椅子に腰を下ろす。マルスがその動きに合わせて少しだけ身じろぎした。
「……今日の…」
そして、突然喋った。マルスの声を久々に聞いた俺は、一瞬訳が分からず返答に詰まった。マルスは構わず続けた。
「この料理は…誰が作った…?」
「料理…?今日は確か、リンクが…」
「……そうか」
俺の返答を聞くと、マルスは殊更に沈んだ顔をした。その表情を見て、俺は何か不味いことを言ってしまったのだと悟る。そういえば、マルスはリンクと仲が悪いのだったか。つまり、そんなリンクの作った飯など口にしたくないと。
だが、そんなことは言ったってしょうがないことだ。飯に罪はない。そもそもマルスはここ一週間ろくに食べていないし、寝ていないし、目に見えて憔悴している。とにかく何か口にしてもらわねば、俺の気分が悪い。
「…好き嫌いは良くない。でかくなれんぞ」
何か言わねばと口を開いたが、実際口から出てきたのは的を得ない場違いな説教だった。
が、それが正解だったようだ。意外にも、マルスは俺の言葉に小さく笑みをこぼしたのだ。
「そうだね」
相変わらず部屋の隅で蹲り、こちらへは一瞥もくれないマルスだが、初めて成立しかけた会話を途切れさせる訳にはいかない。俺は柄にもなく喋り続けることに必死になった。
「特に肉はいいぞ。力になるし、何より旨い」
「うん」
「お前は華奢だからな、肉を食え。そして筋肉を付けろ」
「…うん」
「生きる活力の源は肉だ。野菜もとれなんて言う奴もいるが、やはり第一に肉を食え」
「………」
「…マルス?」
大して続いた訳じゃないが、それなりに相槌を打ってくれていたマルスが、突然ふつりと黙り込んだ。何か不味いことを言ったかと恐る恐るマルスを見るが、しかし彼は笑っていた。やはり俺の方を見てはいないが、肩を小刻みに震わせ、声を押し殺して笑っている。
初めて見る、マルスの自然な表情だった。
「ど、どうした」
「だって、君…さっきから肉の話ばかり…」
「いや、しかし肉は本当に旨くてだな…」
思いがけない指摘に俺は内心青ざめた。無理に喋ろうとするあまり、肉のことばかり口走っていたらしい。が、さらに弁明しようと口を開けば、またしても肉のことが口をついて出た。嗚呼、そうじゃないだろ、俺!
しかし、マルスの反応はまたしても意外なものだった。
「いいよ、分かった、栄養になるし、美味しいんだよね」
まだ笑いを堪え切れないというように口元を押さえ、分かったというように反対の手を上げ、そして何より、俺を見ている。
多分、相部屋になってから初めて、マルスと目が合った。
青白い顔は少し痩せこけ、緩く弧を描く唇は荒れ、流れるような蒼い髪は艶を失い乱れている。だが、こちらを見るその深海色の瞳に、俺は確かに今までにない輝きを見た。
どれくらいそうしていたのか、俺は暫く無言でマルスの表情にみとれていた。そのうちにマルスははっとしたように目を見張り、かと思えば再び膝を抱えて俺から目をそらしてしまった。
まるで俺から本当の自分を隠してしまうように。
胸の奥に苦いものが広がった。求められれば、マルスを救える自信はある。しかしマルスにとって、俺はいまだ本心を見せるに足る人間ですらないのだ。故に俺は、ただマルスが助けを求めて悲鳴を上げ続けるのを、見ていることしか出来ない。
畜生。
己の無力さを呪って、俺は密かに悪態を吐いた。
***
屋敷の近くの森には、ちょっとした池がある。そこは僕たちの秘密基地で、遊ぶのにはもってこいの場所なんだ。もちろん天然の遊び場だから、危ないこともちょっぴりある。だけどそれなりに世界の危機を救ってきた僕たちは、自分たちの力を過信していたんだ。
「た、たす、けて…っ!」
鋭く上がった叫び声は、トゥーンのもの。はっとして顔を上げれば、池の真ん中辺りでバシャバシャと上がる水しぶき。
「大変だ!」
慌てるネスと、青ざめるポポ。
トゥーンが、溺れた。
池の上を横断する倒木は、僕たちが度胸試しをするのによく使っているものだ。その幹は苔がむしていてよく滑るし、もう何年も前に倒れたものらしいからところどころ腐っている。
トゥーンはそこで足を滑らせ、池に落ちたようだった。
トゥーンは元々海で暮らしていたから、泳ぎは苦手ではないはずだけど、水草なんかが密生するこの池ではそんなこと関係ないんだということを僕たちは後々知った。とりあえず僕とネスのPSIの力でトゥーンの救出を試みるけど、遠すぎて力が安定しない。
「僕が泳いで助けに行くよ」
「駄目よ、ポポまで溺れたら今度は誰が助けるの?」
「でも、このままじゃトゥーンが」
「誰か大人を呼んできた方が」
「そんな時間ないよ」
軽くパニックに陥りながら、僕とネスはPSIでの救出を試み、ポポとナナは声を張り上げ、トゥーンを励ます。
でも、嗚呼ダメだ。このままじゃ間に合わない…!
「どうしたんだい」
背後から、聞き覚えのない声がかけられる。あ、と声を上げるネスにつられて後ろを振り返ると、そこには蒼い装束を身に纏った、綺麗な男の人が立っていた。
数瞬遅れて、この人が同じ屋敷に住むマルスさんだということに気付いた。
でも、今はなんだっていい。早くトゥーンを助けなきゃ。
「マルスさん、助けて!トゥーンが溺れてるの!」
あっち、と池の中央を指差すと、マルスさんは一瞬目を細めてから即座に胸に付いたブローチを外し、マントを脱ぎ去った。歩きながら肩当てと甲冑を素早く外し、ざぶざぶと池の中に進んで行く。
池の深さは、一番深い所でもマルスさんの胸辺りまでしかなかった。トゥーンはちょうどそこで溺れていて、マルスさんに抱えられてようやく無事に救助された。トゥーンは完全に怯えてしまっていて、自分で歩ける深さになってもマルスさんにしがみ付いて離れようとしない。
二人が岸に上がると、僕たちは我を忘れてトゥーンとマルスさんに飛び付いた。無事を喜んでのことだ。マルスさんは最初から最後まで無表情だったけど、怒られなかったから多分大丈夫だと思う。
しばらくするとマルスさんは自分に張り付いたトゥーンを引き剥がし、一旦自分のマントを取ってから再びトゥーンの元に戻って来て、マントが濡れるのも構わずにそれでトゥーンをくるんだ。まだまだ水浴びには寒い季節だ。トゥーンもあったかそうにしてる。
そのままマルスさんはトゥーンを抱えて、一言「屋敷に戻ろうか」と呟く。僕たちが頷くより先にマルスさんが歩き出してしまうので、僕たちは慌ててその後を追い掛けた。はっと思い出して、僕はマルスさんの甲冑と肩当てを拾っておいた。
屋敷に戻ると、トゥーンは真っ先に医務室に連行された。というのもマルスさんが無言で進んでいってしまうので、逆らいようがなかったのだ。
医務室ではマリオさんがトゥーンを診てくれたけど、2、3週間前にマルスさんとマリオさんは殺し合いまがいの喧嘩をしたらしいから、僕は内心ハラハラしていた。そんな僕の心配は杞憂に終わり、マルスさんとマリオさんは事務的な会話を3、4つ交しただけだった。
トゥーンの容体は良好で、少し水を飲んだ程度とのことだった。あの池の水はリンクさん曰くとても綺麗なので、全く問題ないだろう。
そんなこんなでトゥーンが医務室のシャワーを浴びに行き、ちょうど僕たちが手持ちぶさたになると、マルスさんは何も言わずに医務室から出て行ってしまった。そう、僕がマルスさんの声を聞いた時に“聞き覚えがない”と思った原因はこれだ。マルスさんは滅多に人前に姿を現さず、そして喋らない。たまに喋っても二言三言、更に言えば囁くように喋るので非常に聞き取りづらいのだ。
僕が呆然として医務室の扉を見つめていると、ネスに脇腹を小突かれてはっと我に返った。なに、と聞き返すと、ネスは僕が持つ甲冑を指差す。
「あの人のでしょ」
「あ…返すの忘れてた」
「行って来なよ。まだトゥーンは出てこないから」
「うん」
僕はネスの気遣いに感謝しつつ、少し早足で医務室を飛び出した。
マルスさんは、トゥーンを助ける為に池に入った。だから、マルスさん自身もトゥーンと同じようにびしょ濡れだった訳だ。幸いにして、床にはマルスさんが歩いたあとに点々と水の滴が落ちていて、既に姿が見えなくなっていたマルスさんにも僕は容易に追い付くことが出来た。
「あ、あの」
少し足取りのおぼつかない背中に、おずおずと声をかける。水で服が肌に張り付き露になったラインに、マルスさんは見た目以上に細い体をしているんだなとぼんやり思う。マルスさんはゆっくりと振り返り、それから曖昧に笑った。
「やぁ。…えーと…」
「リュカです」
「そう、リュカ君」
マルスさんは大義そうに壁に背を預ける。改めて見たマルスさんの顔は、病人のように青白かった。
はっと思い直して、ここに来た目的を思い出す。腕に抱き締めていた甲冑と肩当てを、マルスさんに差し出した。
「あの、これを…」
「…ああ、ありがとう」
マルスさんは片手でそれらを受け取り、小さく頷いた。正直に言うと甲冑は持ってるだけで腕がじんじんするくらい重かったので、細身のマルスさんがこんなもの付けてるなんて、とちょっとびっくりした。
「………」
「………何か?」
マルスさんに甲冑を渡して、それで僕は帰るつもりだった。けれど実際にマルスさんと向かい合うと、なんだかそんな気が失せた。とは言え、何か話題がある訳でもない。僕が無言で突っ立っていると、マルスさんは首を傾げて僕に問うた。
何か、言わなきゃ。
「さっき…なんで…――どうして、あそこにいたんですか?」
とっさに口を突いて出た質問に、マルスさんはやや表情をひきつらせた。悪いことでも聞いてしまったかと思ったけど、マルスさんはやんわりと笑って首を振る。
「人を…探していたのさ」
「え…じゃあ、邪魔しちゃいました…?僕で良ければ手伝いますけど」
「大丈夫。どうせ見つからないから」
そう言うマルスさんから、唐突に痛々しい程の負の感情が流れて来て、僕は思わず後退った。それまではぎこちないながらも柔らかな笑みを浮かべていたマルスさんが、氷のように冷たい瞳で僕を見下ろした。
「…そう、見つからないんだ。“彼ら”は帰って来ない。“君たち”がいるから」
「マ、ルス…さ……」
「僕は認めない。認めない…」
マルスさんから溢れ出る負の感情は、とうとう僕の許容範囲を越えてしまう。近くにいることすら苦痛だった。なのに、その場に縫い付けられたように、僕の足は動かない。
いつか、ネスが言っていた。“マルスは怖い人だ”と。その時はよく分からなかったけど、今ならよく分かる。この人の抱えるココロの闇は、あまりに暗く、悲痛だ。
「――マルス」
静かな、しかし強い声が廊下に響く。アイクさんの声だ。マルスさんが勢いよく振り返った先に視線をやると、案の定そこには腕を組んで仁王立ちするアイクさんがいた。
途端、マルスさんの負の感情がみるみる薄まっていく。最終的にマルスさんは廊下に蹲って、かすれた声で「すまない」と謝った。アイクさんはそんなマルスさんに歩み寄り「謝る相手が違う」と言い放ち、唖然とした僕を指差した。
「リュカが怯えてる」
「え…と」
「…悪かった、リュカ君」
僕が口ごもっている間に、マルスさんが僕にも謝る。僕は途方に暮れてしまった。確かにマルスさんは怖い。でも、僕が怯えてしまったのはそのせいじゃない。
「――僕は…っ」
思わず、声を張り上げる。
「マルスさんが、マルスさん自身を嫌っていることが…怖くて、悲しい、です…」
言ってしまってから、はっと我に返る。僕は何を言っているんだ。マルスさんのことをよく知りもしないで。
けれど、マルスさんは図星を突かれたというような顔で固まっていた。アイクさんは何処か呆れたような、困ったような溜め息を吐き、マルスさんに肩を貸しながら言う。
「…似たようなこと、ネスにも言われたんだろ」
「………」
「まぁ…いいが…」
ほとんど脱力してしまったマルスさんを抱え、それでもアイクさんはほとんど常と変わらぬ表情で僕を見やる。アイクさんはマルスさんとはまた違った無表情で、だけどその時は珍しく笑っていた。
「リュカ、ありがとう。こいつのことは俺に任せてくれ」
***
さらに初期プロット亜空長編。これくらいもっといろんなキャラとマルスをからませたかった…
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