日記62(マルネス)

「ぐ、ううう」

ネスは歯を食いしばって唸る。それもそのはず、背中に担ぐのは自分よりもはるかに背の高い男。昏倒して意識のない彼を、ネスは引きずり引きずり歩いている。
額からは汗が吹き出し、肺が酸素を求めて悲鳴を上げる。立ち止まりたい、投げ出したい、何度思ったかしれないが、しかしネスはそうしなかった。背後に迫る追 手の存在がネスを駆り立てたからかもしれないし、男の体から溢れ出る血に戦慄したからかもしれない。とにかく、時間がないのだ。この男を助けるためには、 早く仲間たちの元まで逃げ延びなければならない。

「ねえ、モヤシ王子…生きてんの?」
疲労を紛らわすために、ネスは口を開く。ぴくりと男の指が動き、酷く気だるげな声が返った。

「…まあ、一応」

ずるずると引きずられながら、しかし身じろぎすらできない男はされるがままとなっている。ネスは悪態を吐いた。

「だっさいなぁ…あんな雑魚相手に…この怪我?」

つい先刻イレギュラーの襲撃があり、一同で掃討に当たった。数の多さに分断を余儀なくされ、それでも順調にネスはイレギュラーを討伐していた。他の面々の手伝いに回ろうかとしていたところ、血だらけで倒れるこの王子を発見し、それに群がるイレギュラーたちを見た。
それから以降のことは、ネス自身よく覚えていない。
ただ、全身の血の気が引いて、心臓を鷲掴みにされた気がした。何か考えるより早くPSIが暴発し、イレギュラーたちは瞬時に消し去ることができたものの、以来PSIを制御できずヒーリングすら使えない体たらくで、王子を安全な場所まで運ぶためにこのような肉体労働に徹している。いまだイレギュラーとの遭遇はないが、遅々として進まないこの子供の歩幅でその幸運がいつまでもつのか。

「…君の…その小さな体では…僕を運ぶなんて無理だ。一人で先に…」
「ああ?怪我人は黙ってなよ!!」

ネスはぜえぜえと前傾姿勢になりながら、王子の言葉を一蹴した。王子が弱々しく彼の肩を掴んだが、ネスはそれも払いのける。
口では悪態を吐いているものの、しかしネスは王子が情けないだとか雑魚相手に不覚を取ったなどとは思っていなかった。彼の周りには数え切れないイレギュラーたちの残骸が転がっていた。ネスが倒した比ではない。中には見慣れない新種のイレギュラーの姿もある。
が、ネスは敢えて口汚く王子を罵った。

「情けないな…数に押されてボロ負けですか王子…はぁ、はぁ…僕が来なかったら…今頃…」
「…うん」
「言い返せよ馬鹿…」

ネスは歯を食いしばる。弱気な王子が苦手だった。不敵に笑う彼が好きだった。だが、そんな彼に依存したくなくて、必要以上にはね返っていたかもしれない。
――ああ、何を考えているんだろう。らしくもない。僕がこの男に腹立たしいムカつく気に入らないという感情以外抱くはずがないじゃないか。しかし、でも、この血の量は本格的にやばい。ネスの服は王子の血を吸ってぐっしょりと重い。肉体的疲労と精神的疲労から冷や汗が滲む。
そっと手のひらの中でヒーリングを念じてみるが、ネスの手は普通の子供と同様いかなるチカラも発揮しない。落胆を隠せず、一瞬立ち止まる。刹那に王子が鋭く彼の名を呼んだ。

「ネス君!…ッ、追手が」

はっとネスが振り返ると、輪郭のおぼろげなイレギュラーたちが音もなくするすると迫ってくる。チ、と隠すでもなくネスは盛大な舌打ちをかました。それまで引きずっていた王子を放り出し、しかし彼を庇うように仁王立ちする。もう一度PSIの調子を確認するが、やはりPSIは制御下になかった。王子が彼の後ろで何かを言ったが、ネスは聞く耳を持たない。
レギュラーはそんなネスを嘲笑うように彼らを取り囲み、その包囲網を徐々に狭めていった。イレギュラーに囲まれて、ネスは不敵に笑ってみせた――よく王子がしているように。

「全く…勘弁して欲しいね。今PSIの調子が悪くてさ」

イレギュラーたちが人ならざる声で咆哮を上げる。それは幾重にも重なり、辺り一帯を震わせた。威嚇のつもりか、とネスは内心苦笑する。だが、そんなことでネスの心が揺り動かされることはない。今彼のココロを占めるのは、彼の背後で倒れるこの男を守ることだけだ。
ネスは深呼吸し、気を落ち着かせる。そうして今にもこちらに飛びかからんとしているイレギュラーたちを見つめ、にいと口角を吊り上げた。

「PSIの調子が悪いってのはさ」

それまで最も低位なヒーリングすら使用できなかったはずの彼の手の平に、劫火が灯る。が、それは彼が常より使うPKファイヤーとは比べ物にならない火力で、立ち上る火柱に陽炎が立ち込める。ネスは黒い目を細めた。

「制御できないって意味でさ。使えないってわけじゃないんだよ…つまり」

手加減できないのさ、との彼の言葉は、イレギュラーに届くことはなかった。
直後、猛火がイレギュラーを焼き尽くした。


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