日記57(封印)


「サウル神父」

小さな将軍が己を呼ぶのを聞き、サウルは足を止める。振り返ると、何故か苦笑した青年が小走りに駆け寄ってくるところだった。

「ロイ殿」
「ああ、すみません。サウル司祭、でしたね。どうも前までの癖が抜けなくて」
「いえ」

サウルは朗らかに笑った。

「正式に位を授かった訳ではないので、神父で合っていますよ」
「…それじゃあ、サウル神父」
「はい」

いまだあどけなさの抜けない幼顔は、とても一軍の将には見えない。しかし、その戦況を見透かす目は誰よりも確かで、政治的知略にも優れる。戦の天賦の才。彼――フェレ家当主エリウッドが嫡男ロイは、戦乱の世に最も望まれる天才だった。

「どうですか、調子は」

野営地に張られた天幕の間を歩きながら、ロイが問う。サウルはへらりと笑った。

「お陰様で、上々です」
「…そうでしょうか?」

群青の瞳がサウルを射竦める。サウルは笑みをひきつらせた。

「…ロイ殿」
「僕には、あまり調子が良くないように見えます。眠れていないのでは」
「そんなことは」
「兵として戦うのは、お辛いでしょう」

ロイがじっとサウルを見上げた。サウルは観念してやれやれと溜め息を吐く。この天才を出し抜こうなどと思った自分があまりに浅はかだったのだ。サウルは肩を落とした。

「お恥ずかしい話ですが、正直参っています」
「…そうですか」
「覚悟は決めていたつもりでしたが、人を癒やす杖を振りながら、同じ杖で人を殺しているという矛盾に、私は辟易しています」
「……すみません」
「何故貴方が謝るのですか」

今度はサウルがロイを見つめた。まるで告悔室のようだとサウルは思う。ただ、どちらが懺悔をしているのかは、定かでない。

「僕が、貴方にこの道を取るよう、頼みました」
「確かに貴方は私に頼みました。しかし、最終的に決めたのは私です」
「サウル神父だって、本意ではなかったでしょうに」

ロイが俯いた。サウルはしばし考え込み、ややあって「ああ」と呟いた。

「もしかして、エレンのことを言っているのですか」
「はい」

いつの間にか、天幕の光も届かぬ野営地の端にまで来ていた二人は、ようやく足を止めた。

「貴方が断れば、僕がエレンに頼むことを、貴方は当然予期していた。だから、そもそも貴方には拒否権などなかった」
「随分と…私を買い被ってくださいますね」
「実際、貴方はアーリアルの使い手となることを承諾してくれた」

サウルは黙り込んだ。
サウルが司祭となり、魔導書を手にするようになったのは、神将器アーリアルの使い手となる為だった。アーリアルは聖女エリミーヌが用いた対竜用兵器。並みの魔導書とは比にならない威力で、あらゆるものを聖なる光で焼き尽くす。
兵器である以上、それは殺戮の道具だ。人を愛せよと謳うその口で、人を焼き殺す祝詞を唱える。
サウルですら、こんなに疲弊しているのだ。エレンのような純粋無垢なシスターにはとても耐えられないだろう。だが、サウルがロイから導きの指輪を受け取ったのは、それだけが理由ではなかった。

「…勿論、エレンのことは考えました。けれど、それより先に私は…私の個人的な願望で、既に決意を固めていました」
「え?」

守る力が欲しかった。戦う術が必要だった。

「私を守る為にと、迷わず血溜まりの中に突き進んでゆくドロシーに、これで何かを返してやれるのではと思ったのです」

誰よりも美しい心を持ちながら、私などの為にその手を血に濡らす無垢な少女。
悲愴な顔をするロイに、サウルはへらりと笑った。

「ですから、貴方が気にやむことなどありませんよ、ロイ殿。これは私の自己満足なのですから」

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