LUNATIC

*25

一方その頃、廊下に佇むネスとマルスは、相対したまま動かずに沈黙を保っていた。マルスはネスの反応を注意深く見守っている。ネスは今しがた王子から聞いた話を噛み砕き、解釈しようと脳をフル稼働させていた。
やがて、ネスがゆっくりと口を開く。

「この屋敷以外の世界が、消えた?」

「そうだよ」

王子は抑揚のない声で答えた。
ネスにとっては、にわかに信じがたい話だった。屋敷はほとんど日常と変わらない静けさを取り戻しているし、屋敷の外も先程までの荒れ具合が嘘のように緑の景色が戻っている。しかし、ここ以外の全ては消えた――否、マスター、マルス、ガノンドロフの判断によって掻き消されたというのだ。
冗談のような話だが、創造神マスターにならそのくらいのことは可能だし、マルスがそんなことを冗談で言うとも思えなかった。

「…僕たちが生き残る為には、これしか方法がなかったの?」

「多分。マスターがあれ以上踏ん張ったところで、世界は崩れゆく一方だった。皆で仲良く滅びるより、生き残る可能性のある奴を少しでも生かそうとすれば、この屋敷以外の世界を切り捨てる他なかっただろう。現段階ではそうなる」

「じゃあ、消えた世界は戻って来ないの?」

「ああ。マスターはバグを倒せば創り直せると言っていたがね」

嗚呼、と心中でネスは嘆いた。

「リンクたちは無事なの?」

「あそこはバグによって、亜空間に切り取られているそうだ。だから彼らはとりあえず無事だ」

「…それ以外の世界の人は?」

「消えただろうね、跡形もなく」

抑揚のない王子の返答には、さすがのネスも参りそうだった。ネスは弱気な王子が嫌い――というより苦手だった。しかし、彼は質問を途切れさせることは出来なかった。

「どうしてそんな大事なこと、皆に隠すの?まるで全部おじさんと王子が悪いみたいじゃん。二人が辛いだけじゃん。…僕たち、仲間なんだから教えてくれたっていいじゃんか!」

「仲間だからね、知らせたくないこともあるんだよ」

少しだけ、マルスの返答に覇気が戻った。

「僕は穢れを知らない無垢な君たちが好きだよ。羨ましいくらいだ。僕に無いものをもっている。…それを失って欲しくない」

「そんなの王子の勝手過ぎるよ!」

「そうだとも。僕はいつだって自分勝手さ」

王子は口角を吊り上げて笑顔を形作った。あまりに邪気のないその顔に、ネスは言葉を失う。
いつも何処か澄ましていて、余裕の笑みしか見せない王子。感情を吐露することなんて滅多になく、それでも根底には力強い意志を秘めている。
そんな彼が見せた他意のない笑み。それが見る者に美しくも恐ろしいものであることを、王子は知らない。

――なんて、儚い。まるで消えてしまいそうだ。

無性に悲しくなったネスは、ただ俯いて黙り込んだ。それを拒絶と思ったマルスは、他意のない笑みを引っ込めて自嘲気味に薄ら笑う。

「僕が嫌いになったかい?」

「…そんな…ッ」

なんて面倒臭い性格をしているんだとネスはマルスを呪いたくなった。単にイエス、ノーだけの答えでは王子は満足しないくせに、敢えてこちらが困るようなことばかり尋ねてくる。

「…勘違いしないでよ、アンタなんか最初っからキライだっつーの」

「ははは、そうか」

やはり王子はネスの返答には満足しなかったようで、彼の蒼い視線と少年の黒い視線が交わることはない。一体どんな言葉が欲しいんだ、と王子を恨めしく思う一方、必死に更なる言葉を考えてしまう辺り、ネスも大概お人好しである。

「…アンタなんか、大キライだもん…これ以上嫌いになることなんて…例えアンタが何をしたって…絶対、ないよ」

悩みに悩み抜いて、少年はそれだけを告げた。最後まで素直になれないのは彼の性だが、それでもネスとしては最大限の譲歩だったし、これが王子に伝えたいことの全てだった。

――苦しんで、辛くて、それでも僕たちの為にこの決断を下した君を僕は知ってるよ。
――例え君が自分を許せなくても、僕が君を許すから。
――君を否定したり、しない。

ようやく王子が少年を見た。彼はネスをからかうように少し笑っていた。

「君…ココロの声が筒抜けだよ」

「え!?」

驚いてネスは自分の口を手で押さえた。勿論ココロの声は相手の心に響くのであり、口から出る訳ではないのでその行為は無意味だ。
どうやら王子に言葉を伝えたいと思うあまり、無意識のうちに王子の心にテレパシーを飛ばしていたらしい。

「わわわ、忘れて!寧ろ忘れろ!!忘却の彼方へ葬り去れッ!!」

「ははは、嫌だよ。なかなかいい言葉を聞かせてもらった。元気出ちゃったな」

「ぎゃぁぁ、恥ずかしくて死ぬ!それ以上言うなァァァ!!」

耳まで顔を真っ赤にするネスを見、マルスは悪戯っぽく笑うばかりだ。それでもふと思い出したようにネスの前に膝を折ってしゃがむと、いつもの余裕めいた笑みを浮かべて口を開いた。

「君ばかり本音を聞かれたのではフェアではないな。少しだが、君にだけに僕の秘密も教えてあげよう」

え、とネスは瞠目した。それから湧き上がる好奇心にきらきらと瞳を光らせる。
やはり子供、「自分だけ」「秘密」というワードには弱い。

「なに?なに?弱点?王子の弱点!?」

「僕に弱点はないよ。何故なら僕は完全無欠だからね。って…そうじゃなくて」

王子は一瞬思案顔になったが、すぐさま真面目顔になってネスの耳元に唇を寄せた。そして囁く。

「―――――」

「………!??」

刹那、少年の顔は湯気でも出そうな程に赤く熱くなった。
それからぱくぱくと何度か口を動かしたが、結局言うべき言葉が見付からずに俯く。そんな彼の頭の上に手を置いて、マルスはにっこりと笑った。

「ありがとう、“ネス”」



――反則だ、とネスは思った。いつもは冗談めかして“ネス君”だなんて呼ぶくせに。散々悪口を言い合うくせに。

“いつも僕は君に救われているんだ”

なんて。



「…“マルス”の…馬鹿」

「返す言葉もないよ」

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