LUNATIC

*21

「何故、僕が一人でここに来たか分かるかい?」

唐突に声の調子を変えて、マルスが問うた。ガノンドロフは沈黙でもって答える。王子は低く喉を鳴らした。

「今から僕がやろうとしていることは、明らかに倫理にもとるからさ」

王子が美麗な顔を不自然に歪ませて嘲笑を浮かべる。それは話し相手の魔王に向けられたものではなく、王子本人に対する自嘲の意味が多分に込められている。
不必要に自虐的で自嘲的な発言をするのは、王子の悪い癖だと魔王は知っていた。故に彼は即座に反論しようと口を開いたのだが。

「だが、それは仕方のない…」

「彼らはきっと反対する。皆、優し過ぎるからね」

ぴしゃりと魔王の言葉を遮る王子。
彼らとは、屋敷の住人のことである。確かに正義の塊である彼らならば、この判断には反対するだろう。しかしいくら彼らでも理想と現実の区別ぐらいは付く。文句を言いながら、悔恨を叫びながら、結局彼らもこの意見に収束する――というようなことをガノンドロフは言うつもりだった訳だが、どうやらマルスはそういった一切の慰めを聞く気がないらしい。寧ろ、自分の言葉を自分に言い聞かせているような雰囲気すらある。
魔王はそんな王子を見、深く眉間に皺を刻んだ。

「“共犯者”を作らない為か」

「…は?」

マルスは作ったような笑みを浮かべて首を傾げる。魔王は続けた。

「世界を見捨てる非道な判断を、貴様は奴らに共有させたくなかった。故に一人でここに来た」

ガノンドロフの淡々とした指摘に、しかし王子は顔色一つ変えない。それでもその蒼い瞳が微かにではあるが一瞬揺らいだのを、魔王は決して見逃さなかった。
が、結局王子の顔には再び貼り付けたような余裕の笑みが浮かんでいた。

「貴方は僕を買い被り過ぎている」

顔に浮かぶのは確かに笑み。しかしその蒼い瞳の奥には、ドロドロとした激情が窺える。それは恐らく――憤り。

「そんな綺麗な理由じゃないよ。僕はまだ死にたくないだけさ」

「何故そうまでして卑屈になる。謙遜も過ぎれば見苦しいぞ」

「――違う!」

王子の絶叫が静かな廊下にこだまする。浅い息を整えながら、しかし王子は叫び続けた。

「皆、勘違いしている。誰かの為じゃない。僕がこの世界を救いたいのは、皆と此処に居るこの時間を失いたくないからなんだ。自分の為だ。褒められるような理由じゃないんだ!」

王子の眼が魔王を射抜く。刹那、彼は魔王の胸ぐらに掴みかかっていた。が、今度はその表情を今にも泣きそうな頼りないものに変え、力なく頂垂れる。

「僕は、まだ皆と生きていたい…死にたくない…」

それを言うと、彼の体は糸が切れたようにずるずると床に沈む。それを見下ろしていた魔王は、多大な驚きと呆れの板挟みになってその場に立ち尽くした。

魔王が何より驚いたのは、王子がここまで本音で喋ったことだった。王子はとんでもない意地っ張りである。普段は本音の十分の一も喋らない。
が、先の一言に彼のこの世界に対する認識の全てが集約されていた。王子にとってこの屋敷と仲間たちは、自身の身体と同義なのだ。これらが無くては彼は存在し得ない。仲間に囲まれて毎日を過ごすことが、王子にとっての世界だった。

そして、王子は異常に卑屈だった。要するに彼の幸せは仲間の幸せに他ならず、彼が願っているのは仲間と過ごす安寧の日々だ。それは仲間の為であると同義なのに、そう指摘すると王子は「自分はそこまで出来た人間ではない」と怒るのだ。飽くまで自分だけが悪いのだと思い込んでいるらしい。それには呆れを通り越して寧ろ感心してしまう。

元々魔王は口が回る男ではなかった。それに気の利いたその場しのぎの慰めの言葉を吐く気もなかった。故に彼はただ王子を見下ろして、長いこと思案を巡らせながら突っ立っていた。
暫くして、その沈黙は王子に破られた。

「昔は、こんなこと思ったこともなかったけど」

ほとんど囁くように言って、王子は自身の頭を両手で抱えた。そして、まるで何かに怯えるようにその美しい蒼髪を掻き乱す。

「今は死ぬことが怖くて…恐ろしくてならない…!」

頭を抱えて震え出す王子。普段の彼からは想像も付かない行動の連続に、しかしガノンドロフはやや見入っていた。飾らない王子の仕草に、興味を持ったのかもしれない。

「普通の人間は大概そうだ」

ようやく魔王が口を開いた。王子はのろのろと面を上げる。

「英雄は…普通では許されない」

「貴様はただの人間だ」

「…僕が?」

自嘲気味な口調とは裏腹に、縋るような蒼い双眸は助けを求めて揺れる。

「人を人とも思わない、非道な判断を下せる僕が?正義をかさにきて、人殺しも平然とやってのける僕が、人間と呼べるの?」

「…全ての罪を、その身に帯びるか」

「そうで無ければこの罪は何処へ行くと?」

はぁ、と重い溜め息を吐いて、ガノンドロフは額に手を当てた。
――この理屈っぽいようでいて、実は至極感情的な王子の相手にはいい加減飽きた。しかしここで彼を見捨てるつもりも、また無い。

「貴様の罪は人類の罪。その全てを貴様一人で背負おうなどとはおこがましいにも程がある。それこそ傲慢だぞ、王子よ」

思いがけない魔王の暴言に王子は唖然とした。それには構わず、魔王は言う。

「だがその傲慢さこそ人間の証」

つかつかとブーツの音を響かせ、座り込む王子に歩み寄る魔王。不思議そうにしている彼の首根を掴んで無理矢理立たせると、魔王は再び口を開く。

「貴様に立ち止まる権利はやらん。立て、俺の足を引っ張るな」

魔王は王子の首根を掴んだまま、終点の扉に手をかける。王子が不安げな顔をして彼を見上げた。

「…貴方も、共犯になる」

「魔王である俺のこの身だ。今更罪の一つや二つを重ねたところで、地獄に堕ちることはとうに決まって居る」

が、魔王は不敵に笑んでくつくつと喉を鳴らす始末。今度は王子の整った眉が盛大にハの字に下げられた。

「貴方…とんでもないお人好しだ」

こんな愚かな僕を見捨てず、あまつさえ共に堕ちると?

「勘違いするな」

魔王の返答は素っ気ない。
が、魔王のその手は躊躇うことなく、終点への扉を押し開いていた。

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