LUNATIC

*14

そんな訳で、屋敷全体がリーデッドもどきの襲撃に遭っていたのである。二階に位置する子供組の部屋でもそれは例外でなく、その子供組の部屋に程近い廊下にいたマルスたちにも、襲撃は等しく行われた。

「窓から離れろ!」

変わり果てた大地を目にし、暫し唖然としていたマルス、ロイ、ネスの三人だったが、突然マルスが叫んだ。ロイは前方に、マルスは未だ呆然と突っ立っているネスに覆い被さるように後方に倒れ込む。
間髪を入れず、彼らの前の窓が外側から突き破られて、リーデッドもどきが闖入してきた。おおぉ、とお馴染みの声を上げる様も同じである――が、それは獣のように手足を床に付け、ぐっと態勢を低くしてからリーデッドでは考えられない素早さでロイに襲いかかった。

「なん…ッ!?」

「ロイ!」

ネスの悲鳴が上がる。なんとかリーデッドもどきの攻撃を床を転がってかわすロイ。しかし敵は公子に抜刀する隙を与えず、第二撃を繰り出してくる。
勿論それを黙って見守る王子ではない。いつもは愉しげに細められている蒼い双眸がこの一瞬に大きく見開かれ、瞬時に腰の剣を抜き払った彼はそのまま一足飛びにロイの元まで接近した。
神速で振り抜かれるファルシオンが、ロイに飛びかかろうとするリーデッドもどきを脳天から引き裂く。情け容赦のない一撃にその腐った骨肉は呆気なく両断され、吹き出る緑色の体液を飛び退ってかわしたマルスとロイは、ぐちゃりと床に倒れたそれを弾んだ息をしながら見下ろしていた。

「リーデッド…じゃないのか?つかここ二階だろ。どうやって入ったんだ」

「分からない。だがとかく普通ではなかった。…で、無事かい、ロイ」

「ああ、助かった。ありがとう」

冷静に状況を分析するマルスとロイとは対照的に、ネスはその場で硬直してしまって動けなくなっていた。彼は剣で生き物(厳密に言えば違う)が斬られ、命奪われる瞬間を初めて見た為に、どうやら腰が抜けてしまったようだ。
――乱闘の時は、斬られてもその命が失われることはない。故にこの心優しき少年は、まさか自分の仲間が敵といえども無慈悲にその命を奪うことなどしない、と漠然と思い込んでいたのだった。
ようやくそのネスの様子に気付いたマルスだったが、彼は険しい表情のまま少々辛辣な言葉を吐いた。

「立ちたまえ、ネス君。またいつ奴らが襲ってくるとも分からない。君を守りながら戦うのは――」

「殺したの?」

黒く真ん丸な瞳を大きく見開いた少年は、王子の言葉などまるで無視して尋ねた。一瞬意を汲みかねてマルスは首を傾げる。ネスは続けて大声を上げた。

「生きてたのに、殺したの!?」

「生き――何を言ってるんだ、君は」

心底訳が分からないというように王子は眉尻を下げる。それが余計に少年の気に障ったらしく、彼は更にテンションを上げて叫んだ。

「元々は人だったかもしれないんだよ!?正気を失ってただけかもしれない!それを確認もせずに殺すだなんて、酷いよ!ロイもロイだよ!“ありがとう”って、なに?!殺人が起きたのに!人殺し!!」

それまで黙ってネスの癇癪を聞いていたマルスとロイだったが、人殺しと呼ばれた瞬間に二人の肩がびくりと揺れた。勿論この二人は、先のリーデッドもどきが元々人間で、蘇生の余地があったなどとは微塵も考えていない。ただ、“人殺し”と呼ばれることに、二人は大きなトラウマを抱えていたのだ。

「…ネス…俺は」

今にも泣きそうな声を漏らすロイ。主に責められていたのはマルスだったが、その火の粉は十分彼にも振り注いでいる。が、マルスは口を開きかけた彼の肩に手を置き、その言葉を遮った。
そうしてマルスは肩を怒らせてこちらを睨む少年の前に進み出る。多分に憂いを孕んだ蒼の瞳で少年を見下ろす王子の声は、低く、しかし穏やかだった。

「…君の言葉は、正論ではある。だが、理解して欲しい。君が今言ったことは“合挽ハンバーグに救命措置を施せ”というのと同義だよ」

「…は?」

きょとんとしたネスの声が返ってくる。ロイも訳が分からずマルスの横顔を見つめた。王子は柔らかく笑んで続けた。

「さっき斬ってから分かったんだが、あれには内臓などの諸器官が無かった。つまり、あれは元々人間だったのではなく、人型に集合した、ただの肉塊だった」

「でも…でも、それは結果論でしょ!今回はそうだった、ってだけじゃん!」

「…手厳しいな」

やれやれというように肩をすくめるマルスは、しかし微笑を崩さない。崩さない――というよりも、この表情が貼り付けられているかのようだった。

「――短刀直入に言おう。僕は君が思っているほど聖人君子ではない」

ここで普段のネスなら「誰がお前なんかを!」と反論しただろうが、この時少年は幼い顔にさっと不安げな表情をよぎらせて沈黙した。

「既に人も、竜も、大勢の生きた命を殺してきた。僕は間違いなく人殺しだよ」

「おい!」

少年の黒い瞳がさらに大きく見開かれる。目尻にはうっすらと透明な液体が滲んでいた。一方でロイとしてもなかなかに耳の痛い話だったので、公子は王子の腕を掴んだが、彼はその形の良い唇から滔々と毒を吐いた。

「最強、だなんて呼ばれているけど、結局僕はただの人間なのさ。自分の身と、その周りの一握りの人間を守ることで精一杯。見ず知らずの人間を救ってやれるほどの力もないし、その為に自分の命を投げ出す気にもなれない」

「や、やめ…」

かすれた声でネスが懇願するが、マルスは何も耳に入っていないようだった。

「自分やその仲間が生き残る為には、他人を犠牲にしなければならないんだ。幸い君たちは僕の仲間だから、君たちが死にそうな時は、僕が喜んで他人を斬り捨てよう」

「やめて」

「安心したまえ、君が直接手を下す訳ではない。血に汚れるのは、僕だけで十分だから」

「…やめて、聞きたくない!」

「何が不満なんだい?人殺しの僕がそんなに嫌いかい?」

「ちが…お願い…もう、もう…」

ついにネスが泣き崩れる。
マルスはいつまでも変わらない笑みを浮かべ、しかし眼だけは爛々と輝かせて少年を見下ろしている。



     嗚
     呼

     ナ
     ン
     テ

     狂
     気

     ニ

     満
     チ
     タ

     世
     界

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