あの世界の正否を確かめて

*序1

「英雄王!英雄王!」
 満面の笑みを浮かべて、恥じらうように仄かに頬を赤く染めながら駆け寄ってくる少女を前に、顔を綻ばせない方が無理というもの。大きく手を振りながら近付いてくる彼女に同じく手を振り返し、しかしマルスは笑顔を困り顔に変えてその言葉を訂正する。
「ルキナ、前も言っただろう?ぼくたちは仲間なんだから、名前で呼んで欲しいって」
「あっ…すみません!つい癖で…」
 マルスの目の前でブレーキを掛けたルキナは、失言に気が付いたというように慌てて口元を押さえた。大きく見開かれた左眼には不思議な紋章が刻まれている。彼女が生まれながらに持つ聖痕と呼ばれるそれは、その身の証としても重要な意味を持っていた。
 彼女に悪気がないことはマルスも百も承知だ。とはいえ、先に述べた理由の通り、英雄王と呼ばれて畏まられることは同じファイターとして少々むず痒い。彼女がマルスの遠い子孫だというから尚更だ。ルキナは一つ咳払いをして「マルス様」と言い直した。──まぁ、及第点だろう。
「先ほどの大乱闘では、素晴らしいご活躍でした!一体何度助けられたことか」
「チーム戦なのだから、それは言いっこなしだよ。ぼくもルキナにたくさん助けられているからね」
「そんな…」
 感極まった様子で天を仰いで、ルキナは絶句する。いちいち大袈裟な反応のルキナに、マルスが微笑を浮かべたまま頷くに留める程度に、彼女がこのスマッシュブラザーズに来てから月日が流れている。
 ルキナはマルスの遠い子孫だ。そして彼女の時代では、マルスの活躍は英雄譚として語り継がれるまでに神格化されていた。ルキナにとってマルスはまさに伝説の中の登場人物。英雄王と呼ばれることを初めこそ謙遜していたマルスだったが、彼女のあまりの熱意にもはや否定の言葉を選ぶことも諦めていた。
 彼らが後にするのは、大きな屋敷の最上階に位置する『終点』と呼ばれる場所だった。外側から見れば何の変哲もない木製の扉に真鍮製の取っ手と蝶番の付いた広くも狭くもない一室である。しかし扉の先に広がるのは無限の宇宙。主にその場所を活動拠点と定めるマスターハンドの管理の下、ファイターはここから大乱闘の会場となる『仮想空間』へと転送される。
 要するに、彼らは既に1試合終えた後なのだ。
「ルキナ」
 終点から扉を開けて屋敷の廊下に戻ると、その帰りを待っていたらしい青年がルキナの名を呼ぶ。マルスに対する反応とはまた違った様子で笑みを見せて、ルキナは青年の呼びかけに答えた。
「ルフレさん」
「大乱闘、お疲れ様。試合結果も上々だね、調子が良さそうで何よりだよ」
「いえ、マルス様がお側で戦ってくださるお陰で…」
 仄かに甘い空気の漂う男女を、マルスは保護者の心境で見守る。ルフレは、ルキナと同じ世界出身のファイターだ。ルキナの父親である聖王クロムの軍師としてその頭脳と才能を遺憾なく発揮して、大陸、もとい世界を邪竜の脅威から救った功績の立役者となった人物である。年の頃はマルスと同じか或いは少し上のようにも見えるが、結局マルスにとっては後世の人間であり、ルキナと同様子供や孫のような心境で接していることは無理からぬことと言えよう。
 ルフレがちらりとマルスを盗み見る。その意図を正確に汲んでマルスは頷き返した。
「ルキナを独り占めしてしまって悪かったね。お返しするよ」
「はは、僕はそんなに不満そうな顔をしていたかい?」
「ああ、今にも馬に蹴られそうだ」
 疑問符を飛ばす純粋なルキナは置き去りに、軍師との言葉遊びに興ずる。軍師というだけあって、ルフレは戦況のみならず日常での先読み、人心掌握にも長けている。確かに、彼であれば自軍にいて頼りになるな、と思わず勧誘の言葉を吐こうとしてマルスはそれを呑み込む。既に勧誘する自軍などないのだった。
 とかく、ルフレはルキナを大層大事にしていたし、ルキナもまたルフレに対しては一層気を許した対応を見せるので、誰が見ても2人の関係は明らかだ。マルスでなくても、あの朴念仁と呼び声高いアイクですら空気を読んでこの2人の時間を邪魔することはないほどだ。さて、と2人に背を向けたマルスは特に用事もない己の午後の予定を思い出す。夕食までは、まだかなり時間がある。自室に戻って、ひとまず着替えて来ようか。それとも、この大乱闘の興奮そのままに、トレーニングルームでもう一汗流してしまうのもいい。或いは、久々に森の鍛錬場で真剣を振るって感覚を掴んでおこうか。
 どうせなら、真剣を振っておこう。わずかな逡巡の後にそう決めて、マルスは歩き出す。せっかくだから、相手がいた方が捗るかもしれない。そういえば、リンクが久々に稽古を付けて欲しいと言っていたっけ。それなら、彼を誘っていけばちょうどいい。一応、大乱闘の予定表だけ確認しておかないと。
 1人、これからの有意義な時間の過ごし方に思いを馳せて、マルスはにこやかに階段を降りていった。


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