ようこそ、世界へ

*24

コトコトと鍋の中で湯が煮え立つ音がして、ほんのりと野菜の香りが漂ってくる。食堂に着くなり、トキは手際よくあり合わせの材料でスープを作ってくれていた。マルスはおとなしく食堂の椅子に腰かけて待つ。食事が出来上がるのを――ではない。トキには悪いが、マルスが食堂を訪れたのは、全く別の思惑からだった。

「あと少しで出来上がります」

トキの気配が近付いてきて、マルスの前に何かを置いた。音からして、皿を一つとコップを一つといったところ。とくとくと注がれる液体が跳ねる音がする。ほのかにアルコールの香りがする。

「朝からワインかい?」
「ええ、マルス、顔色が悪いじゃないですか」

恐らく悪びれていないであろうトキの表情が容易に想像できる。不調の正体は分からずとも、なんとなく違和感を覚えているらしいトキの野生的勘にマルスは内心肝の冷える思いだった。

「そ、そうかなぁ…自分じゃ分からないや」
「どうせあなたはザルなんですから、お酒でも飲んで体を温めてください」

トキの気配が遠ざかっていく。見抜かれた訳ではなかったのか、と小さくマルスは息を吐く。そっとテーブルクロスに指を這わせ、食器を撫でる。ようやくグラスらしいものを手に取って、ゆっくりと口を付ける。極度の緊張からか、全く味などしない。早く、早く来てくれ、とマルスは机の下で神経質に膝を揺らしていた。
とうとう、トキの料理が出来上がり、彼がそれをよそってこちらに歩いてくるのが分かる。ああ、間に合わなかったか、とマルスが目を閉じたその時、待ち望んだ来訪者がやってきた。

「あーっ!ごはんだぁ」

食堂の扉を勢いよく開けて入ってきたのは、カービィである。来た、と思わずマルスは笑いそうになる唇を噛みしめる。一方、食事を持つトキは明らかに警戒した声で叫んだ。

「待って、待ってください、カービィ!これは、マル…」
「いただきまーす!」

凄まじい風の逆巻く音がして、食堂の入口に向って物が吸い寄せられていく。見えなくても何が起きているかマルスは当然理解していた。カービィがトキの持つ料理を食べようと、得意の吸い込みを披露したのだ。
ここまでは、読み通り、とマルスは吹きすさぶ風の中で机にしがみつきながら思う。食事がすっかり下げられてしまうような時間とは、既に日が昇ってだいぶ経っているということ。ならば、それは大食漢の代表格であるカービィからしてみればおやつの時間だろう。そんなタイミングで食堂から食べ物の匂いがすれば、つられて彼が顔を出すのは必然。実を言えば、これはカービィでなくても、ヨッシーでもデデデでもワリオでも良かったのだ。問答無用でマルスから食事を横取りしてくれる人物ならだれでも。盲目のマルスがトキの目の前で食事をして、その所作に不信感を抱かれては困るのだから。

「ああ…もう!一人分しか作っていないのに!これはマルスの朝食だったんですよ!」

トキが声を荒げてカービィを叱り付ける。カービィは控えめなゲップと共に銀器を吐き出してから、初めてマルスの存在に気が付いた様子で「ええ、ごめんなさい」と慌てて謝った。

「リンク…トキの料理、久しぶりだったから、我慢できなくて」
「いいんだよ、寝坊した僕が悪いんだから。美味しかったかい?カービィ」

マルスにとって、カービィは救世主である。彼の行動を利用しているのだから、マルスには感謝しかない。トキに叱られているのは申し訳ないが、今度何かおいしいものでもおごってあげようとマルスは心に決めた。カービィは満面の笑みで「うん!」と頷いた。
トキはがっくりと肩を落として落ちた食器を片付ける。作り直します、と厨房に戻ろうとする彼をマルスは慌てて引き留めた。

「いや、もういいよ。もう少しでお昼だし、少しくらい我慢するよ」
「でも…」
「うん、そうだね、僕のご飯を食べちゃったカービィには、ちょっとお手伝いを頼もうかな」

マルスはにこやかに告げる。そう、これが狙いだったのだ。トキには食堂までの案内を頼めた。しかし、彼にマスターの部屋までの案内は頼めない。そんなことをしたら、マルスの隠しごとが露見してしまうからだ。だが、マルスのご飯を横取りしたカービィなら、マルスの頼みを断らないし、余計な詮索をしないだろう。そんな彼を同行者にしたくて、マルスは敢えて食堂にやってきたのだ。
カービィははてな、と首を傾げたが、すぐに笑顔で「いいよー!」と手を上げて返事をした。トキには悪いが、ここで彼とはお別れだ。マルスは席を立ちながらカービィの方を見た。

「マスターのところに行きたいんだ。エスコートしてくれるかな?」
「まっかせて!トキ、本当にごめんねぇ、美味しかったよ!」

カービィは元気に詫びて、とたとたと部屋から駆け出していく。その音を頼りにマルスは歩き出す。目さえ元に戻ったら、置き去りにするトキにはきっといっぱい謝ろう。だから、今は、と振り返らずに、マルスは逃げるようにその場を後にした。

カービィは、これ以上ない最適な案内人だった。マルスの足元でぱたぱたと歩く彼は、その独特の足音で目の見えない彼をとてもよく導いてくれた。階段を上り、廊下を通り、今日はお天気がいいね、なんてマルスには知りえない情報を口走ってくれるカービィに感謝の尽きないマルスである。あと1つ階段を上がれば終点のある階層に辿り着くという時になって、案内人の足は止まった。
まだ目的地には遠いはずだけど、との言葉をマルスは飲み込んだ。正面からカービィとも自分とも異なる足音が近付いてくる。――誰だ?マルスはじっと見えない目を凝らすように進行方向を睨み付けた。

「メタ、おはよー」

足元からカービィの間延びした声がして、マルスははっと我に返る。メタ、つまりメタナイトである。慌てて視線を足元に落とす。メタナイトはカービィより一回り大きい程度の小さな友人である。人型の仲間を想定して廊下の向こうを見つめていたマルスの姿は、さぞ不審に見えたことだろう。僅かな間があって、メタナイトの低い声が目線を落とした辺りから聞こえてきた。

「おはよう、カービィ。マルスも、今朝は姿を見なかったが起きてきたのだな。規則正しい生活を心がけねばならんぞ」
「そ、そうだね。気を付けるよ」
「ところで、カービィ。ネスたちが探していたぞ。森に探検に行く約束をしていたのではないかな」
「あっ、忘れてたー」

これは悪いことをした、とマルスは親切な友人を見下ろす。カービィはネスたちと遊ぶ約束をすっぽかして、マルスの都合に付き合ってくれたのだ。これ以上は引き留められまい、とマルスは頷く。

「それは大変だ、早くネス君たちのところに行っておいで、カービィ」
「でも、マルス、エスコートまだ終わってないよ」

朝食を横取りしたお詫びに関して、カービィは律儀に果たし切らないことには帰れないと考えているらしかった。だが、そもそもカービィにはそんなことをする義理はないのだ。これは、いわば、全部マルスの我儘なのだから。

「もう十分だよ。ありがとう、カービィ」


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