ようこそ、世界へ

*14

耳を疑った。
ロイは思わず現在の状況も忘れて、ぽかんと口を開けたままマルスを凝視した。
助けを求める相手が違うだろうとか、そういった次元の話ではない。弱きを助け強きを挫く、負け知らずの英雄を束ねる英雄の王、それがマルスだ。国を背負い、民を背負い、いつだって凛として先頭を行くマルスにしてあってはならない言葉。
助けて、だって?
一度だって、マルスにそう乞われたことはない。仮にマルスが助けを乞うたとして、それはマルス自身の助命を願うことばでなく、マルスが守りたい人々の助命を願う嘆願であったはず。
何を言っているんだ、気をしっかりもってくれ、とロイが口を開こうとした瞬間、それはやってきた。
雷鳴のような凄まじい音と共に、山賊とマルスの背後に立っていた太い樹木が縦に裂ける。音がした方をロイが見やると、風魔法のような衝撃波で周囲一帯の木々が軒並み倒されていた。何事だ、と振り返る山賊の鼻血の滴る顔面を、裂けた木の幹の間から伸びてきた手が鷲掴みにした。アイクだった。

「命まで取るつもりはなかったんだがな」

みしり、と音を立ててアイクの手の中の山賊の顔が変形する。痛みに悲鳴を上げる山賊は、既にマルスのことなど放り出してアイクの腕にしがみついていた。それも道理、今度は山賊の足が宙に浮いている。決して小柄ではない――どころか、ロイたちに襲い掛かってきた山賊たちは誰もみな人並み以上の屈強な体格で、それを片手で持ち上げるアイクの腕力には感嘆を通り越して恐れすら抱いてしまうほどである。だが、恐れの原因は腕力だけではない。彼の全身から溢れる殺気と怒気とが混ざった刺すような空気と、蒼炎燻る苛烈な視線とが、味方であるはずのロイをも圧倒していた。
はっと我に返って、ロイは剣を拾うと打ち捨てられて倒れ込んでいたマルスの元に駆け寄った。アイクに宙吊りにされている山賊はともかく、自由の身のはずのもう一人の山賊さえすっかりアイクの覇気に恐れをなした様子で、ロイの行動には全く注意は払われなかった。
慌ててマルスを助け起こす。彼はロイの手を取り、見えない目を凝らすように細めた。

「ロイ?怪我はないかい?」

こんな状況で他人の心配なんて、とがくりと肩を落とすロイだったが、それもまたある意味マルスらしい。心のどこかでほっと胸を撫で下ろしたロイは、マルスの手を握り返した。

「怪我はないな。それよりもマルスの方は大丈夫か?」
「僕は平気。ああ、そうだ、アイク、アイクはいるかい?」

今度はアイクの心配か、とロイは一人肩を竦める。全く仲間のことばかり気にして、自分の方が大変な目に遭っていたというのに。

「ここにいるぞ」

山賊の男が暴れるのにも構わず、全く普段の調子でマルスに答えるアイク。その声を頼りに振り向いたマルスは、どこか安堵した様子で息を吐いた。が、続く言葉はアイクの身を案じるものではなかった。

「まだ彼らを殺してはいないね?戦争という時代が彼らを悪事に駆り立てたんだ。どうか見逃してやってはくれないか」
「そのようには見えなかったが」
「僕の民なんだ」

マルスの言葉に、アイクはしばらく納得していない様子だった。が、次第にその瞳から苛烈さが失われ、漂う殺気も潮が引くように消えていく。アイクは山賊から手を離し、その仲間のいる方へと放り投げた。情けない悲鳴を上げて屈強な男が転げまわる。それを無感動に見下ろして、アイクは言った。

「マルスに免じて今日は見逃してやる。だが今度俺の前で同じことをしたら、ただで済むと思うなよ」

凄みの利いた睨みに、もはや山賊たちは腰砕けである。気絶した仲間を引き摺り、盗んだ剣も放り出して、脱兎のごとく逃げていく。嵐のような出来事に、ロイはしばらく呆然とその背中を眺めていることしかできなかった。
最初に動いたのはアイクだった。剣を肩に担いでずんずんとロイたちの元に歩み寄ってきた彼は、ロイの目の前に手を突き出した。その意味が分からず、アイクの手を見て首を傾げるロイに、アイクはさらに手を近付ける。

「立てるか」
「ひ、一人で立てるっての!」

慌ててロイは立ち上がる。腰が抜けて立てないとでも思われたのか。顔を真っ赤にして叫ぶロイとは対照的に、「そうか」と冷めた反応一つのアイクは、次いでマルスにその手を差し出した。

「マルスはどうだ」
「……」

マルスは、当然差し出された手など見えていないだろう。第一、マルスが人の助けを借りたがるとは思えない。そんなことも分からないのか、とロイが口を挟もうとしたとき、マルスは両腕を広げて言った。

「歩けない、おぶって」
「そうだぞ、マルスがお前なんかの手を…え?」

ロイは目を剥いてマルスを見る。ロイには平気だと言っていたが、どこか怪我をしていたのか。いや、それにしたっておぶってだなんて、まるで子供の我儘ではないか。この男にしてあってはならない言動。ロイの知るマルスではありえない言葉。
アイクは差し出した手を引っ込めて、その手で頭を掻いた。

「…歩けないことはないだろう」
「歩き通しでくたくただよ。君が歩くのが早いんだもの。こっちは目くらで付いていくのも大変だっていうのに」
「…すまん」
「ね、だから、さ」

マルスは首を傾げてにこりと微笑む。悪戯っ子のそれに、アイクは毒気を抜かれたように肩を落とすと、マルスの前に腰を下ろした。マルスは手探りで彼のマントを手繰り寄せ、まったくしっかりした足取りでその背中にしがみついた。
その様子をぽかんと見つめていたロイに、アイクが声をかける。はっと我に返った彼に、アイクは落ちていたマルスのファルシオンを顎で示す。

「悪いが、マルスの剣を拾って鞘に納めて貸してくれないか。マルスの尻の下に支(か)う」
「あ、ああ…」

釈然としない思いを抱えつつ、ロイは言われた通りにファルシオンを拾い上げる。間近で見る神竜の牙から削り出されたという神剣ファルシオンは、神々しく磨き上げられた刀身を輝かせていた。しかし、鞘に納めてそれをアイクに手渡すと、彼は神剣の有難みなど露ほども感じさせずにそれを背中にしがみつくマルスの身体を支えるようにあてがって、その上に座らせた。
短い掛け声と共に立ち上がったアイクは、マルスの重さなど全く気にしていない風に軽々とその体を背負い、しかし両手がふさがったことで抜き身の愛刀が拾えなかったことに気が付いたようで、アイクは再度ロイを見やった。

「すまん、俺の剣と松明は頼めるか」

自分はマルスを運んでいるから――と続く幻聴にざわつく心をなんとか鎮め、ロイは「勿論」と引きつった笑みでそれに応える。ファルシオンと同じく拾い上げたアイクの神剣ラグネルは、無骨な彼が使うには不釣り合いなほどに細かい意匠が施された金の大剣で、片手で持ち上げられないほどにずしりと重い。こいつはこんなものを片手で軽々扱っているのか、と思わずロイがアイクの顔を見上げると、彼は辛うじて分かる程度に小さく首を傾げた。


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