ようこそ、世界へ

*9

アリティア城の門扉をくぐり、マルスが見えない見送りにひとしきり手を振るのを待つアイクは、ぼんやりとアリティアの王城を見上げる。といっても、見送りはシーダ一人である。彼女はマルスの意を汲んで目立つ出立を避け、城の誰にも気付かれないようマルスとアイクを裏門へと案内し、こっそりと城の外へと出した。その上彼女は、突然いなくなった城主の姿を探すであろう家臣たちを、優しく宥めて諭す役割を買って出てくれた。あとのことはお任せください、と微笑むシーダに、マルスは勿論アイクまで頭の下がる思いだった。

「いい人だな」

マルスが手を下ろしたのを見計らって、アイクは呟く。もう少し気の利いたことが言えればいいのだが、それでもアイクにしてみれば最大級の賛辞である。マルスは頷き、それでもいまだ見えもしない見送りの姿を探すように虚空を見上げていた。

「そう…僕には勿体ないほどの人だ。僕のために生き、そして僕のために死んだ」

アイクから見えるマルスの横顔は固い。あまりマルスの故郷についての深い話を聞いてこなかったアイクは、この時初めてシーダの存在の矛盾を知った。

「…亡くなっていたのか」
「あれ?言ってなかったかな」

マルスはやっと視線を戻し、アイクの声を振り返ると感情の籠らない笑みを見せた。

「帰る場所には、彼女がいて欲しいと思った。だから、彼女が生きている世界を望んだ」
「…そうか」

こういうときこそ、何か気の利いた慰めの言葉がスラスラ出てこればいいのに、と再度思うアイクである。が、何を言ったところでそれは陳腐な同情の言葉にしかなり得ないし、アイクは思ってもいないことを言えるほど器用な人間ではない。
そんなマルスの表情に、アイクは出かける直前聞かされたネスとムジュの言葉を思い出す。もしかすると、マルスは屋敷に戻りたくなくなってしまったのではないか。この故郷にいる方が、幸せではないのか――。聞いた瞬間はあり得ないと言いきれたその可能性は、こうしてみると全く見当違いな心配という訳でもなさそうだ。旧世界と同様、マルスが失われたものに強く執着することは分かり切っているし、もしそれが取り戻せたとするなら、マルスがどちらを選ぶかはさすがのアイクにも分からない。

「帰りたくないなら、残ってもいいんだぞ」
「え?」

思ったことが口を突いて出てしまい、マルス同様アイク自身も自分の発言に驚いていた。が、もとより「マルスが帰りたくなるまで待つ」と言い置いてきたのだ。彼の内に未消化な部分があるうちに帰ってきてしまっては意味がないだろう。
深刻そうに切り出したアイクとは対照的に、マルスは全く普段の調子で言った。

「えっ…えーと…多分、君が心配しているようなことは、僕は全く思っていないけど」
「なに?」
「僕はスマブラの世界で生まれたマルスで、僕の帰る場所はスマブラの世界をおいて他にはないよ。確かにアリティアは僕の故郷で、シーダも僕の大切な人だけれど」

いや…とマルスは考え込むように腕を組んで、それから閃いた、と指を鳴らした。

「アイクがそんな気の利いたこと考えるはずもないから、誰かにそう言われたんでしょ。さしずめ、ムジュ君とネス君あたりじゃないかい?」
「気が利かなくて悪かったな…その通りだ」
「それは、余計な心配をかけさせてしまったなぁ」

参ったな、と頭を掻くマルスの仕草に、内心アイクはほっと胸を撫で下ろす。確かに、アイク自身はそんな心配などしていなかったが、アイクが思う以上にマルスは繊細だと注意はしているつもりだ。マルスは小さく笑い、手探りでアイクの背中を叩いた。

「僕の帰る場所は、あの屋敷の、君と過ごすあの部屋さ。あそこにある全てが、今の僕の全てなんだから」

さあ、帰ろう、と迎えにきたはずのアイクを引っ張ってマルスが歩き出す。当然、目の見えない彼は蛇行しながら脇道へ逸れていくので、アイクはその手を引いて正しい道へと歩幅を合わせて導くのだった。

転送装置のある森へと続く道に、城を迂回して戻ってくるまでに、何回マルスが足元の小石に躓いたかアイクは既に数えていない。舗装のされない小道では、特に前日の雨のせいで路面が荒れて、マルスは躓くたびにおかしそうにケラケラと笑った。

「いやぁ、普段足元なんて意識していないのに、いざ見えないとこれだもんね」

転びかけたマルスの襟元を掴み、なんとか立たせたアイクに、マルスは言う。失明という一大事に本人がそこまで悲愴がっていないのは、あちらへ帰ればマスターによって確実に治る確信があるからで、或いは人形化による原状回復でもきっと元に戻るだろうとマルスは軽い。その実、アイクだってそう思っていたからこそ、あの場で大きく取り乱すことはなかったのだ。とはいえ、あの森の中をこの注意力散漫な同行者と共に帰るのは骨が折れそうだとアイクは溜息を吐く。馬車で帰ればよかったじゃないか、と堪らず漏らすと、しかしマルスは一転して困り顔で首を振った。

「できればすぐにでも帰りたいけれど、きっと屋敷のみんなは僕の現状を知ったら心配するだろう。見えなくても、あの声を聞くと自分が情けなくなる。せめて、心配はいらないよと言える立ち振る舞いができる程度には、目くらの自分に慣れておきたくて」

仲間が自分を心配するのが嫌だとは、随分身勝手な願いである。しかし、マルスが言う状況は全く想像に難くないのもまた事実。ムジュやネスは転送装置の前でマルスの帰還を待っているだろうし、マルスと仲の良いロイとトキもきっと真っ先に出迎えに来るはずだ。そのままマスターハンドの元に直行するのは難しいだろう。
アイクは険しい表情で呟く。

「お前は…無理し過ぎじゃないか」
「へ」
「いや、無理をさせているのか…」

しかし、アイクは一人で納得したように頷くと、それ以上を続けなかった。そのまま首を傾げて続きを待つマルスの手に自分のマントを握らせて、「転ばないように気を付けろよ」とだけ答える。マルスは嬉しげに笑って、使い古された厚手の布を引っ張った。


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