ようこそ、世界へ

*8

「実は、今回のマルス様の失明に、心当たりがない訳ではないんです」

そう切り出したのはシーダで、えっ、とアイクとマルスの声が重なる。どうして言ってくれなかったの、とマルスは頬を膨らませたが、シーダは一瞬どこか悲しげに微笑んで、それから普段の調子で「ごめんなさい」と謝った。

「心因性の失明というものがあります。心に大きなストレスがかかったときに、一時的に視力に障害が出ることがあると」
「ストレス?まさか。僕は故郷に帰ってきたのに」

全くその可能性はありえない、とマルスは首を振ったが、シーダはアイクに向き直って続けた。

「あまり考えたくはなかったのですが…ムジュや、ネス、それからアイクさんとのマルス様のやりとりを見て、思ったのです。あちらでは、マルス様は王として振る舞う必要もなく、自由に過ごされているのではと」
「…なるほど」

アイクは頷く。漠然と、この城に流れる空気に違和感を覚えていたアイクだが、今になってその正体に気が付いた。この空間は、マルスを中心に回っている。それはいい、彼はこの城の主なのだから。だが、どうもそれの度が過ぎている。兵も民もが彼を愛し過ぎている。期待し過ぎている。全ての敬愛と期待が、マルスに集中しているのだ。マルスが弱みを見せられないのも道理、期待を裏切れない彼が八方塞がりになってしまうのも無理はない。
アイクの反応により確信を深めたか、シーダは痛む胸を撫でるように抱き込んだ。

「アリティア城は、マルス様を歓迎します。いつでもマルス様のお帰りをお待ちしています。それ故、マルス様に寄せる思いが強すぎて、それがあなたの負担になっているかもしれないと」

沈痛な面持ちで告げるシーダの表情を、マルスは見えない双眸で見つめる。故郷が、彼の負担になっているなど、考えたくはなかっただろう。その負担の中には当然シーダ自身も含まれているし、こうしてマルスを心配することこそが既に彼の負担になっているかもしれないのだから。
マルスはしばらく、何事かを考え込むように黙っていたが、はっと思い当たることがあった様子で慌てて口を開いた。

「悲しまないで、シーダ。僕はちっとも負担だなんて思っちゃいないよ。でも、そうだな、僕、向こうでだいぶ甘やかされてきたから、ちょっと王子に戻るのに時間がかかってるのかも」
「いてっ」

言いながら、マルスは手探りでアイクの手の平をつねる。うっかり声を漏らしたアイクは何故、とマルスの顔を見たが、遅れて「口裏を合わせろ」と言われていることに気が付いた。

「…俺が、甘やかしている。その…朝は遅くまで起こさないし、肉を与えたり…」
「よし、アイク、黙ろうか。とにかく、そう、知恵熱みたいなものさ。ちょっと前に大きな戦いがあって、まだ疲れも残っていたし…」

アイクに期待した僕が馬鹿だった、と即座に彼の発言を遮って、つとめて明るく振る舞おうとするマルスを、シーダは痛ましいものを見るような表情で見返す。彼女はそっとマルスのベッドの横に膝を付くと、空いているマルスの手を取って微笑んだ。

「シーダには気を遣わなくて良いのです、マルス様。…あちらの世界にお帰りくださいませ。その方がマルス様のお身体も休まりましょう」
「シーダ」
「お元気になられましたら、またその麗しいお姿をお見せください」
「……」

しばらく、マルスは愛想笑いを浮かべていたが、それも徐々に薄れて消えていき、シーダの手を握り返しながら囁くように「君の言う通りにするよ」と呟いた。
彼女はアイクを振り返ると、乞うように頭を下げた。

「アイクさん、マルス様をどうか、どうかよろしくお願いします」
「ああ」

短く頷くアイクを見て、シーダはようやく安堵の表情を見せた。では、帰りの馬車の手配を、とシーダが踵を返そうとすると、それをマルスが引き留めた。

「あ、それなんだけど」
「はい」
「行きは馬車で来たから、帰りはアイクと歩いて帰りたいんだ。…ダメかな?」
「ええっ…」

この状況で何を言い出すのか、とシーダの顔には書いてある。それでも極力マルスの意思を汲みたい彼女が、マルス自身の安全とその希望とどちらを優先するかで葛藤している様子がアイクにもよく分かった。シーダが困ることなど百も承知だったのだろうマルスは、それでも彼女がマルスの望みを叶えないはずがないと確信している。
シーダは困り果てた様子でアイクを見た。あなたの口からなら、マルス様を止められるでしょう、と。が、マルスの我儘に一番弱いのはアイクであることを、シーダは知らない。

「俺がいるから問題ない」
「そんな、アイクさんまで」
「無事に向こうまで送り届ける。任せてくれ」

一見根拠のない発言である。しかし、この自信はどこからくるのか、アイクの放つ妙な説得力にシーダは喉まで出かかっていた反論を飲み込む。せめて護衛だけでも、と言いさして、それでは失明を隠したいマルスの意思に反することになってしまう。どうするのが最適か、とシーダが考えているうちに、マルスはアイクの手を借りてベッドから降りている。

「で、でも…城の外は賊もうろついております、いかにアイクさんが手練れとはいえ…」
「大丈夫、目くらでも賊に遅れは取らないよ」

シーダの声がする辺りを見返しながら、マルスはにこりと笑う。そんなマルスにアイクが黙々と鎧を着せ、ベルトを締め、マントをかけていく。最後に鞘に納められたファルシオンをその手に握らせると、それだけは慣れた手付きで自ら腰のベルトに提げる。

「シーダ、君にはいつも迷惑をかけてばかりだね。けれど、僕が迷惑をかけて頼りにできるのはシーダだけなんだ。僕の我儘を聞いておくれ」
「それは…そんな……」

シーダは何事かを口ごもったが、マルスの甘えるようなその言葉の前には抵抗する気も失せたようだった。シーダは諦めたように肩を落とし、それでも、と最後に食い下がった。

「マルス様の仰せのままに。けれど、城門までお見送りすることだけは、お許しください」


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