世界よ、愛しています
*追憶3
前触れらしい前触れなど、何もなかった。
「なんだ!?何が起きたんだ!?」
「分からない!突然攻撃されて…っ」
混乱の極致に置かれたメンバーは、お互いの死角を埋めるように背中合わせに身構える。そんな彼らを嘲るかの如く、“それ”は亜空の彼方から笑った。
「ふはは…哀れなことだ。潔く世界と共に滅べば良いものを」
どこからともなく響く声に英雄は表情を険しくする。ドンキーが興奮気味に吠えた。
「誰だ、姿を現せ!」
「…姿?あぁ、そうか。貴様らには私が見えぬのか」
くつくつと声が笑う。
「私は禁忌<タブー>。混沌より生まれし亜空の覇者」
『わ、わぁ!?』
突然ピカチュウがふわりと浮き上がる。ピカチュウ自身も驚いていることから、それが彼の力によるものでないことは明白だ。仲間たちはピカチュウを助けようと武器を構えるが、そもそも狙うべき相手が分からない。
声は尚も続ける。
「亜空では創造神にも劣らぬ力があるというのに、こちら側では視認すらされぬ体たらく…」
「ちゅー!」
ピチューが怒ったように鳴き、当てずっぽうに雷を放つ。それが幸いしてか、ピカチュウは唐突に拘束から解放され、危なげなくリノリウムの床に着地した。ピカチュウとピチューが抱き合う。
タブーは再び低く笑った。
「しかし…“亜空<あちら>”と“世界<こちら>”を隔てるは、ただ創造神が敷く理のみ。今その理が壊れ始めたこの世界は、私の侵入、そして干渉を許している」
辺りに張り詰める殺気が一段と増した。はっと息を飲んだマルスがピカチュウとピチューの前に躍り出る。刹那、迎撃の構えに入っていたマルスの剣に“何か”が襲いかかり、それをいなして見えない何かをマルスは斬り付けた。
カウンターである。後手はマルスの十八番だ。
「やったか!?」
「いや、まだだ」
ロイが期待を込めて問うも、マルスは冷静に首を横に振る。マルスに庇われる形となったピカチュウ、ピチューも既に臨戦態勢だ。
マルスは虚空を睨んで言った。
「詰まらない真似はよせ。理に弾き出された出来損ないに、僕らが後れを取ると思うかい?」
「出来損ない?私が?」
タブーの声が一段下がる。それに合わせて一同の緊張もいや増す。
方舟内部の空気がその瞬間に淀んだ。白いリノリウムが心無し色褪せ、不穏なノイズがどこからともなく鳴り響いた。
「思い上がるな、傀儡共よ。創造神は私の存在を恐れて今の世界を捨てたのだ」
次第に空気の淀みが一点に集中し、うねり、渦巻き、徐々に形を成していく。虹色に輝く蝶のような翅が大きく開き、その中心に人のようなものが現れた。それこそがタブーの姿なのだろう。機械的な燐光を放つそれは、先よりまでよりしっかりした声を発した。
「私のこの力故に!」
それと同時に正体不明の衝撃波が彼らを襲った。
障害物のない無機質な方舟の構造は、英雄に逃げ場すら与えなかった。全員が凄まじい勢いで壁に叩き付けられ、彼らは折り重なるようにその場に崩れ落ちる。
タブーは僅かな間、己の放った衝撃波の反動でじっとしていたが、思い出したように首を傾げてみせた。
「終わりか?」
言いながら、タブーは一番手前でうずくまっていたマリオを持ち上げた。マリオは咳き込みながら目を開ける。つぅとその唇から血が滴った。
「お前…何が狙いだ…」
「なに、私の望みなどとるに足らない」
タブーが呟く。表情の窺えない人形のような顔が、しかしその時ばかりは邪悪に笑んだ。
「私は神になりたいのだ」
マリオが表情を一変させた。
タブーの発言の故ではない。タブーがその腕を鋭利な刃物に変えて、マリオの腕を肩から落とした為だ。あまりに造作もない動きだった為に、マリオ本人ですら痛みを知覚したのは床に打ち捨てられた後だった。
「がッ…ああぁぁああ!」
「その為には、私に制約を強いる理を敷く創造神が邪魔なのだ」
マリオの悲鳴などまるで耳に入っていない様子で、タブーはうろうろとその場を歩き回った。が、ふと足元に転がるマリオを見下ろすと、刃物のままである右手を振り上げ、至極愉快そうに続けた。
「――そして、貴様らも」
「…ッやめろ!」
タブーの腕を、神剣が受ける。マルスがタブーとマリオの間に滑り込んだ為だ。マルス自身も先の衝撃波の為に満身創痍で、火花が散るほどの衝撃に思わずマルスは膝を付くが、しかしすんでのところで踏みとどまってタブーを押し返した。タブーは可笑しそうに笑った。
「ははは!まだ抗うか」
「…くそ!マリオ、しっかりするんだ!大丈夫か!?」
鍔迫り合いとなったマルスとタブーだが、そもそもマルスは速さを重視する剣士だ。よく耐えている方だったが、それでも確実に押され始めている。
一際強く押されて、マルスは仰向けに床に突き飛ばされた。悠々とそれに迫るタブーが、剣を握るマルスの腕を勢いよく踏みつける。骨の折れる嫌な音が響いた。
「あ、ぐぅ…ッ」
マルスは悲鳴を噛み殺す。悲鳴を上げてのた打ち回れば、タブーを喜ばせるだけだと分かっていたのだ。案の定マルスの反応がタブーは気に入らないようで、小さく舌打ちするとマルスの腹を蹴り上げた。マルスは血を吐いてうずくまった。が、すぐに顔を上げてタブーを睨む。
「何故絶望しない?」
それを見てタブーは首を傾げた。
「気に入らんな。貴様のその闘志はどこから来る?」
「……」
マルスは答えずに黙っていた。下手なことを言って刺激すれば、何をされるか分からない。まかり間違ってもその矛先が仲間たちに向けられるようなことがあってはならない。
自分はこの際どうなろうと構わなかったが、マルスの一番の優先事項は、一人でも多くの(否、全員の)仲間を守ることだった。
その時、彼の背後でこほんと小さな咳が聞こえた。ピチューである。反射的にマルスはピチューを庇うようにタブーの前に立ちふさがる。
タブーが嘲笑した。
「はっ、そんなに仲間が大事か」
「な…」
マルスは青ざめた。みすみすタブーの注意をピチューに向けてしまったのだ。そんなマルスの頬を掠めて金の鎖がしなる。タブーの振り抜いた鎖の尖部が、マルスの背後のピチューを貫いた。
「ピチュー!!」
絶叫して、マルスは折れた腕が軋むのも構わずに剣を振り抜き、タブーの鎖を断ち切った。そのままよろめいて膝から崩れ、這うようにピチューの元まで進む。小さな体から赤黒い血液が滲み出すのを見ると、体中が冷え切った。
そんなマルスの様子を見下ろし、タブーは愉快そうに声を上げて笑った。
「さて、次は誰にする?」
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