ようこそ、世界へ

*7

「…マルス様、アイク様をお連れしました」

シーダはアイクの目を見たまま、扉越しに告げた。と、扉の向こうからやはり溌剌とした返事が寄越される。

「ああ、ありがとうシーダ!さぁ、入って」

シーダの手で、豪奢な扉が押し開かれる。扉の向こうは、扉と同じく豪奢な装飾を施された調度品が並ぶ寝室で、マルスがベッドの中で身を起こしながらこちらに向って手を上げるところだった。
見たところ怪我はない。顔色も普段と変わらない。流れる髪の艶もよく手入れがされて寧ろ普段より整っていた。
アイクは一歩部屋に踏み入って、まじまじとマルスの顔を見た。そんな不躾な行動に、マルスは嫌な顔一つせず、それどころかやや興奮気味にアイクの来訪を喜んだ。

「ああ、アイクだね?君なら迎えに来てくれるって思ってたよ。まぁ、元々君のことはみんなに紹介したいと思ってたし、ちょうど良かったかな?それにしても、なんだいさっきの君の自己紹介!アイク将軍だ、って自分で言ったの?爵位はとっくの昔に返上したって言ってたじゃないか。もうおかしくって、おかしくって…」
「マルス」

ぴしゃりとアイクがマルスの名を呼ぶと、マルスはそれまでの興奮が冷めたように口を閉じて背筋を正した。悪戯を見つかった子供のようだった。
アイクはそのままずんずんとベッドの側まで歩み寄る。今度はマルスはおろおろと視線を泳がせて、アイクの足元を見た。その様子を見てアイクは確信する。

「お前、目が見えてないな?」

いつだって、マルスと話す時は目が合っている。ところが、部屋に一歩踏み入った瞬間から、マルスの視線とアイクの視線が交差することはなく、マルスは常に何かを探すように目を泳がせていた。
ようやく、マルスがアイクの顔――の辺りを見た。その視線は全く焦点が合っておらず、普段の思慮深い深海色の瞳が、このときはひどく虚ろで底知れない。マルスは愛想笑いを浮かべて「大したことないんだけどね」と言ったが、アイクの苛立ちを隠せない溜息を聞くとそんな愛想笑いも引っ込めて「大したことあります」と縮こまった。
アイクはどかりとマルスのベッドの淵に腰を下ろす。シーダがぎょっとしたように目を剥いたが、彼女に気遣っていられる余裕はない、と敢えてアイクはそれを無視した。

「いつからそんな風に?」
「ネス君とムジュ君が帰った次の日の朝からだね。起きたらもう真っ暗で」
「他に変わったところは?」
「ないよ」
「こうなった原因に心当たりは?」
「それがさっぱりで」

肩を竦めて応えるマルスに、何かを隠そうとするような素振りは見られない。家臣たちには余計な心配をさせまいとこの失明を伝えなかったマルスだが、アイク相手にはそんな気遣いも無用と思ったのだろう。あるいは、一瞬でもアイクに心配をかけまいと、努めて明るく振る舞おうとしたマルスの配慮が、寧ろアイクの神経を逆撫でていたことに彼が敏感に気付いていたからかもしれない。
つまり、マルスはアイクの当初の予想通り、帰りたくても帰れない状態にあったのだ。帰るはずの予定の日、マルスは突然の失明に襲われ、ろくに行動できなくなってしまった。彼を慕う多くの臣下は、その不調を知れば嘆き悲しみ、心を痛めることだろう。あの門番のようにマルスを神にも近しい存在として崇める者もいるのだから。王たる矜持がそれを許さず、体調不良と言葉を濁して回復を待つマルスは、この寝室から出るに出られず、今まで音信不通になっていた―――と。
アイクはシーダを振り返った。特に、シーダは憔悴しきっているようだった。もしマルスの目がこのまま戻らなかったらどうしよう、と最悪の事態を危惧していることは明白で、しかしそれをマルスに気取られぬよう、気丈に振る舞っている様子は痛ましかった。皮肉にもシーダにとって幸いだったのは、そんな彼女の様子をマルスが見ることはないことかもしれない。

「神官には見せたのか」
「ええと…」

シーダは困ったようにマルスを見る。マルスはバツが悪そうに顔を背けた。

「私以外の方をここに入れるのをマルス様は嫌がって…シスターなど呼んだら大騒ぎになるから、と」
「あのなぁ…」

呆れたようにアイクは再び溜息を吐く。もし、早急に手当てが必要な疾病だったらどうするつもりだったのか。或いは、悪意ある呪術によるものかもしれない。ならば神官の手にかかれば即座に解決していただろう。心配をかけまいとするあまり、本末転倒な状況に陥っているマルスに、しかしアイクはそれ以上何も言わなかった。マルスがしばしばそういった行動を取ることは、亜空の事件の際に思い知っていたし、そうさせない為にアイクは相部屋を申し出たのだ。これは彼の「病気」みたいなもので、すぐに直るものでもない。
アイクの溜息を叱責と受け取ったか、シーダが慌てて「申し訳ありません…」と謝ったが、悪いのはマルスだろうとアイクはその謝罪を遮った。

「あんたがマルスの我儘を一身に引き受けていたんだろう。謝ることじゃない」
「わ、我儘?」
「マルスは、あんた以外に弱みを見せたくなかったからこうなった」

シーダは驚いたように目を丸くした。何か気に障ることでも言ってしまったか、とアイクは口を噤んでシーダの反応を窺ったが、寧ろシーダの態度はこの部屋の扉を開ける以前より軟化したようだった。

「アイク様は…」
「様はいらない。今は爵位も返上してただの傭兵なんだ」
「……アイクさんは、マルス様に好かれておいでなのですね」
「は…ああ、まぁ、嫌われてはいないな」

全く脈絡のないシーダの発言に、アイクは一瞬瞠目したが、それでも持ち直して頷いた。シーダは変なことを言ってごめんなさい、と詫びたものの、その表情は笑いを堪えるようでもあった。人の本質を見抜く彼女の目が、ようやく警戒を解いてアイクを見つめた。

「アイクさんは、裏表がない強いお方ですわ。マルス様が頼りにするはずです」
「そうか…?」

はて、とアイクはマルスを見やる。彼はシーダとアイクのやり取りをニコニコと笑いながら聞いていたが、相変わらずその目は全く明後日な方向を見ていて、ああ、これはなかなか堪えるな、とぼんやり思った。


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