ようこそ、世界へ

*6

はっきり言って、このやり取りにアイクは微塵も意味を感じられていない。不毛だ。だから身分だなんだと騒ぎ立てる貴族は嫌いなのだ。形式と体裁に囚われて、まわりくどいことばかりさせられる。
だが、かと言って軽んじられていい尊厳ばかりではないのだということもある程度は理解しているつもりだ。エリンシアに雇い主として以上に、一国の姫君としての敬意を払わねばならないと学んだアイクである。それはアイク自身がエリンシアの背負う責任とそれを全うしようとする意志に敬意を表したからに他ならない。
この門番は、どこの馬の骨とも知れないアイクを、マルスに会わせる価値はないと判断している。それは、この門番がそれだけマルスに敬意を払っていることの証左に他ならず、生半可な人物を軽々しく通してマルスの手を煩わせることがないようにとの信念に繋がっているのだろう。
仕方がない、とアイクは溜息を吐いた。その態度に門番は眉を吊り上げ、何かを言いかけたが、それより先にアイクは低い声で唱えるように言った。

「俺はクリミア王国が女王エリンシアより、クリミア騎士の称号を賜った。先の戦争ではクリミア再興軍総指揮官の任を神使より拝命したアイク将軍である…こんな感じでいいか」
「は…」

見知らぬ土地の名に目を白黒させる門番だったが、明らかにアイクの口から飛び出した単語に気圧されているようだった。別に嘘は言ってない、とアイクは開き直った。

「あんたの知らん地名だろう…俺はテリウス大陸からの使いだ。そう英雄王に伝えてくれれば分かるはずだ」
「う…それは…、し、しばし待たれよ」

門番は唐突に姿勢を正すと、慌ただしく城門の内側に引っ込んだ。パタパタと足音が遠ざかる。どうやら取り次いでもらえそうだ。
知らず、アイクの口から深い溜息が漏れる。こういうのは、苦手なのだ。クリミア王国と、エリンシア、更には神使サナキ、これらの名を権力の象徴として使ってしまった。だが、かと言って正攻法でこの城門はくぐれまい。ましてやマルスの家とも言えるこの王城に正面から殴りこむつもりもない。誰かが傷付く訳ではないのだから、とアイクは自分に言い聞かせて、先の門番が良い返事を携えて戻ってくるのを待った。
門番は、なかなか帰って来なかった。かと思えば、城の奥、中央の塔に近い窓からよく徹る声で「あっはっはっは…!」と大笑いが響く。マルスの声だった。
城門の向こう側で、城の主の大笑いに臣下たちがどよめいている空気が感じ取れる。何事だ、と誰かの鋭い声が響いた。が、アイクにとってはそんなことは既にどうでもよかった。
あんな声で笑えるのだから、マルスは深刻な病気や怪我ではないだろう。それが分かっただけでも、アイクは既に肩の荷が下りた気分だった。そんなアイクをいくらも待たせず、先ほどの門番が走って戻ってきて、アイクの顔を見るなり腰を90度に折り曲げて謝った。

「アイク将軍…!よもやマルス様のご友人とは知らず、数々の無礼な振る舞い、お許しください…!」

真っ青な顔で震える門番の様子を見るに、マルスの口から誤解は解いてもらえたのだろう。勿論構わない、こちらこそ言葉が足りずすまなかった、とアイクが応えると、門番は心底安堵した様子で顔を上げた。そのまま門番は城門の隣の小さな通用口を開いて、「このようなところから申し訳ありません」と詫びつつ、アイクを城内へと通した。
アイクが細い石畳の階段を上り、城壁を越えると、そこには青い長髪の女が待ち構えており「案内は私が」と案内役を買って出た。女はシーダと名乗った。度々マルスの話に出てくる彼の婚約者だと知れた。

「…シーダ姫か。マルスからよく話は聞いている」
「まぁ、光栄ですわ、アイク様。私も、アイク様のお話はマルス様から聞いております。あちらではマルス様のルームメイトでいらっしゃるとか」
「まぁ、そんなところだが…それで、マルスは、どうしたんだ」

大きな怪我や病気ではないとの確信を得たアイクだったが、それでもマルスはアイクを出迎えることすらできない事情を抱えているらしかった。シーダは、突然切り出された本題に一瞬顔を引きつらせてアイクの表情を窺うように見つめたのち、何故か声を潜めて「…直接お会いになられた方がよろしいかと」と歩く速度を速めた。何故ここで言わないのか、との疑問をアイクは辛うじて飲み込む。気が付くと、無数の気配が四方からこちらの会話に耳をそばだてていた。敵ではない。この城の臣下たちだった。

「……?」

何か、この城に流れている空気はおかしい。
具体的に何がおかしいのかを言葉にすることはできなかったが、彼らは決して物珍しい来客を一目見ようと集まった訳ではなさそうだった。アイクは奇妙な視線に晒されながら、城の奥、先ほどマルスの笑い声が聞こえてきた中央の塔へと続く階段に、シーダに導かれるまま足をかけた。
中央塔へ続く階段は、その途中に木製の扉があり、それを二人の精悍な騎士が警固していた。それぞれ赤と緑を基調にした鎧を纏い、どことなく既視感のある騎士二人組は、シーダの姿を認めると恭しく頭を下げて扉を開ける。シーダは「ありがとう、カイン、アベル」と騎士二人を労いながらその間をすり抜けていった。
その扉をアイクが越えるのを待っていたように、シーダは階段を上りながらぽつぽつと喋り出した。

「ネスとムジュが帰った次の日から、マルス様は体調がすぐれないのです」
「熱でもあるのか」
「いえ、食欲はおありですし、たいそうお元気でいらっしゃいます」
「?」

シーダの言葉は矛盾していた。が、それを訂正することもなく、彼女は続ける。

「城の者が心配するといけないから、そういうことにしておいてほしいとマルス様がおっしゃるのです。道中、私たちの会話を盗み聞こうとしていた者たちがいたでしょう。皆マルス様の容態を心配しているのです」

ああ、とアイクは先ほどの光景を思い出していた。彼らはシーダの口から、マルスの近況が知れるかもしれないと思って様子を窺いにきていたのだ。が、色々と引っかかる。元気だが、体調がすぐれないと言葉を濁す。臣下には心配させまいとその事情すら説明をしていない様子。
それ以上、シーダは何も言わなかった。彼女は既に階段を上り切り、先ほどより大きな、金の装飾を施された木製の両開きの扉の前に立っていた。ここがマルスの部屋なのだろうと漠然とした確信をもって、アイクはその隣に並ぶ。シーダは一瞬、アイクの瞳の奥を覗き込むようにじっと見据えた。本当に信頼に足る男なのかと、マルスの何を知っているのだと、問いかけられている気がした。


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