ようこそ、世界へ

*5

珍しく、泣きそうな顔でアイクの部屋を少年二人が訪ねてきたのは、マルスがアリティアを訪れてから三日が過ぎた日のことだった。
先に帰ってきていたネスとムジュは、当初自慢げに「ホームシックになるといけないから、マルスをアリティアに置いてきた」と語っていたが、マルス自身が帰ると言った約束の日が過ぎてからはどんどん不安げな表情へと変わっていき、三日が経ち二人が示し合わせてアイクの部屋の扉を叩く頃には、文字通り「泣きつく」形になっていた。
突然の訪問者をいつもの仏頂面で出迎えたアイクは、今にも息が詰まりそうな様子の二人を見て「とりあえず、中に入れ」と席を勧めた。
二人を椅子に座らせ、自身はベッドの淵に腰かけたアイクは、神妙な顔付きで己の膝を見つめるネスとムジュの口から何事かが語られるのを待った。が、二人は一向に沈黙を破る気配を見せず、仕方なくアイクが口を開いた。

「…で、どうしたんだ」

ただ、状況を問うたに過ぎないアイクの言葉に、ムジュとネスはまるで叱られたように縮こまってアイクを見上げた。別に怒っていないんだが、とアイクが頭を掻くと、ネスが消え入るような声でぼそぼそと話し始めた。

「知ってると思うけど…マルスが帰ってこなくて」

ネスは一瞬、次の言葉を選ぶように視線を泳がせた。

「次の日の夜には、帰ってくるって言ってたのに」
「久しぶりの帰郷なんだろう。離れがたくて、まだ向こうでのんびりしているのかもしれない」

気休めでもなんでもなく、アイクは思ったことを述べた。ただ、あのマルスが口約束とは言え子供たちとの約束を違えるようなことをするとは考え辛いが、それだけ故郷の居心地が良かったのなら、あり得る話なのかもしれない。しかし、ネスとムジュは雷に打たれたように目を見開いて、身を乗り出して「やっぱりそうかな!?」と絞り出すように叫んだ。

「向こうでゆっくりしてきなよ、って言ったのは僕たちなんだ。でも、もし、王子がこっちよりも向こうの方がいいって思って、帰ってくるのがいやになったんだとしたら…!」
「いや、そんなことは…」
「もし、こっちよりも向こうの方が居心地がいいなら、…僕は王子に、帰ってきてよとは言えないよ…」

今にも泣きそうなネスを前に、やや狼狽えながらも声を上げかけたアイクだったが、次いでムジュから上がる蚊の鳴くような声を聞いてその言葉を飲み込んだ。
単に気休めを言うつもりなど、アイクには毛頭ない。だが、アイクの知るマルスからすれば、この世界に帰りたがらないなどそれこそあり得ないことだ。あるとすれば、マルス以外の人物に引き留められて断れないでいるか、或いは何か動けない事情があるか。
おもむろに立ち上がると、アイクはしょぼくれるネスとムジュの頭をわしわしと撫でる。一見脈絡のない彼の行動に少年二人がぽかんとする中、全く一人で完結している様子のアイクは頷き、マントを羽織り、荷物を腰のベルトに提げて、剣を担いだところで思い出したように二人を振り返った。

「そんなに深刻がることはない。俺がマルスを迎えに行こう」
「えっ」

目に見えて、ネスとムジュは表情を明るくしてアイクを見た。が、それも徐々に曇っていき、ムジュが囁くように尋ねた。

「もし、王子が帰りたくないって言ったらどうするの…?」
「そんなことはないと思うが…」

言いかけて、アイクは自身の不愛想な顔を思い出すと、不安げな表情を隠そうともしない少年二人を安心させようと、にいと口角を持ち上げて笑みを作った。

「その時は、あいつが帰りたくなるまで待つことにする」

果たして、満面笑顔のアイクを見上げる子供二人の表情は、恐ろしい悪鬼羅刹を見るときのそれであった。

程無くして、アイクは転送装置から降り立ち、雨と土の匂いが立ち込める森の中に立っていた。前日に雨が降ったらしいそこは、ぬかるんで靴が沈み込むほどである。早く森を抜けなければ、と見渡す限りの緑を一瞥してから、アイクは事前に手渡されていた手書きの地図とコンパスを取り出した。手書きの地図とコンパスは、ムジュから借り受けたものである。方向音痴のきらいがあるネスの言葉はあてにならなかったが、ムジュの方は長年の旅の経験から地図を描くのも上手いようで、城までの道筋、目印となるものが細かく書き込まれたこの紙を、アイクが出掛けると言ったその場でサラサラと書き上げてくれた。馬車で半刻かかる道を、アイクはただ黙々と大股に歩いていった。
昨夜降ったらしい雨も、日が昇り切る頃にはすっかり渇いて、アイクはじっとりと浮かぶ汗を手の甲で拭う。そうして見上げる先には、荘厳な石造りの王城が聳え立っていた。城門は固く閉ざされており、高い城壁の内部の様子を窺い知ることはできない。ふと視線を感じてそちらを見ると、城門の隣に立つ門番が不審そうにこちらを見ている。アイクは地図とコンパスをしまいながら門番に問うた。

「ここがアリティア城か?」
「いかにもそうだが…何用だ?」

門番の槍の柄を握る手に力がこもる。それもそのはず、得体の知れない帯刀した大男が城の前をうろついているのだ。不要な騒ぎを起こすのは得策でない、と判断できるだけの冷静さのあったアイクは、敵意の無さを示すように両腕を上げた。

「アイクという。マルスの友人だ。取り次いでもらえないか」
「き、貴様、マルス様を呼び捨てにするかッ」
「あぁ…そうか…」

マルス自身が全くそういったことに頓着しないので、アイクも気にしたことはなかったが、彼は一国の王なのだ。本来ならば敬称を付けて呼ばねばならないだろうということを、アイクはすっかり失念していた。

「すまん…マルス…殿に…」
「まずは貴様の身分を言えッ」
「………」


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