ようこそ、世界へ

*4

はて、とムジュとネスはマルスが指示した西側の窓を見やった。窓から見える外を見ると、夕日は沈んで久しく、星々が瞬く。それに二人が気付かなかったのは、城の女中が気を利かせて燭台に明かりを灯していたからだろう。
子供二人は残念そうに肩を落とした。マルスの家臣たちは皆気さくで優しく、彼らが想像したような身分をかさに着る堅苦しい人々ではなかった。全員がマルスのことを慕っていたし、また彼らはマルスが好きそうな人々だった。客人なのだから別れは当然だと分かっているが、居心地のいいこの空間は一層離れるのが名残惜しかった。

「悲しむことないですよ。是非また、遊びにきてください」

兵士たちの中では比較的ネスたちに歳の近いライアンという少年兵が、ネスの肩を叩く。楽しみに待っているわ、とシーダが言うと、ムジュは頷いて小さく笑った。
マルスは既に側近の老騎士に見送りの馬車の手配を頼んでいた。

見送ります、と同行を申し出たシーダと共に馬車に揺られること半刻、馬車は暗い森の中を進み、転送装置のある場所へと到着していた。馬車が止まり、御者が扉を開けるとやや冷えた風が吹き込み、マルスがどこか上の空で「まだ夜出かけるには肌寒い季節だったんだね」と呟いた。
唐突に、ネスはこのまま帰ってはならない気がして、ムジュの服の裾を強く引っ張った。なに、と振り返るムジュも、思いつめたようなネスの視線の先を追って唇を引き結ぶ。ネスが見ていたのは、馬車の窓から闇夜に透かして、茂る木々の色を眺めるマルスの横顔だった。
ムジュとネスが名残惜しいと思うのと、マルスがこの故郷を離れがたいと思うのとでは、次元が違うのだ。思えば、マルスがはっきりと自分の感情を露わにしたのはシーダと再会したあの時だけで、それ以降はネスとムジュをもてなす王としての立場を忘れず、どこか引いた位置で状況を見守っていた。
どうしたらいいだろう、とムジュは瞬時に考えを巡らせる。残れと言って素直に残る男でないことは長い付き合いから知っている。マルスの体裁を損なわず、かといって彼に気を使わせずにもうしばらく帰郷を楽しませてやれる方法はないものか――とのムジュの思考を、ネスの一言が遮った。

「王子、もう少し残りなよ」
「へ」

話しかけられた内容よりも、寧ろ声をかけられたこと自体に驚いたように、マルスは目を瞬かせて振り向いた。ネスが続ける。

「僕たちに気ばっかり遣って、王子は全然ここの人達と話してないでしょ。だから、もう一日くらいこっちにいたら」

無邪気な提案こそマルスの反論を防ぐ唯一の手立てである。それを知ってか知らずかなされたネスの発言は、予想されたマルスの否定の言葉を一切許さなかった。
マルスは珍しく狼狽えた様子で、中途半端に腰を浮かせて潰れたネズミのような声を絞り出した。

「ぇえ…あの、でも、僕は…」

王子は助けを求めるようにシーダを見た。が、シーダは笑って首を振るだけで助け船は出さないとの意思を示していた。
こんな子供に気を遣われているのだ。その厚意を無碍にしては、せっかくの彼らの計らいを無駄にしてしまう。二度もそんな大人げないことができるほど、マルスは無神経ではなかったし、シーダの前では見栄を張って大丈夫だと言い張ることもできなかった。
王子は困り果てた様子であー、うー、と言葉にならない呻き声を漏らしていたが、結局観念した様子で再び馬車の椅子に座り込み、消え入りそうな声で「ありがとう」と囁いた。ムジュ、ネスはしてやったり顔で目を見合わせて、小さなガッツポーズを作る。この提案に一番喜んだのはシーダで、彼女は「もうしばらくマルス様と過ごせるのですね!」とマルスの手を持ち上げてはにかんだ後、少年二人の優しい提案に深々と頭を下げた。

「ああ…!貴方たち、ありがとう…!こんなこと、私からはお願いできないもの」
「シーダさんにも喜んでもらえて良かったよ」

ネスが照れくさそうに頭を掻く一方、ムジュは訳知り顔で頷いた。

「その人さ、いつも無理ばっかりしてるから。シーダさんのところで休ませてあげてよ」
「ええ、ええ。勿論よ」

シーダはマルスの隣に寄り添って、同じく訳知り顔で頷く。マルスの方はすっかり諦めが付いたのか、シーダにもたれるように首を傾げた。彼はネスとムジュと目が合うと、小さく微笑んで手を振った。

「君たちには本当に気を遣わせてばかりですまない。その気持ち、ありがたく受け取らせてもらうよ。明日の夜には、帰るから」

こうして、ネスとムジュは満面の笑みで転送装置へと乗り、見送るマルスとシーダに大きく腕を振りながら、どこかやり遂げた気持ちでアリティアを後にしたのだ。ネスとムジュが帰る直前、最後に見たマルスの表情は、愛する人に寄り添われ、住み慣れた故郷の土の匂いに包まれ、どこまでも安堵の色が濃い。
きっと、彼も束の間の休息を楽しめるだろう。先に屋敷へと戻った二人は、どこか自慢げにマルスの帰還が遅れることを伝えた。

そうして、迎えた約束の日。
次の日も、その次の日の夜が過ぎても、マルスは帰ってこなかった。


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