ようこそ、世界へ

*2

上機嫌のマルスに手を引かれ、ネスとムジュは転送装置に足を踏み入れる。上機嫌の割に、近くで見たマルスの顔は土気色で、ネスでさえここで彼の対応の不自然さに気付いたのか「ねぇ大丈夫?」と声を上げる始末である。しかし、マルスは全く上の空で「それじゃあ、行ってきます」と勝手に起動ボタンを押してしまう。
あ、とマスターが止める間もなく三人は光に包まれ、そして跡形もなくその場から消え去った。

ほとんど間を置かず、ネスとムジュが目を開くと二人は柔らかな木漏れ日が届く森の中に立っていた。背後に置かれた転送装置がそこだけ切り抜かれたように異質だが、それ以外に人工物の気配のないそこは、草木と土の匂いに満ち、ムジュも漠然と自然豊かな場所なのだろうと察しがつく。ところが、肝心のマルスは土気色の顔のままふらふらと少年二人から離れていくと、近くの木に手を付いて、ずるずると座り込んでしまう。慌ててネスが駆け寄って大丈夫、と声をかけると、真っ青な顔で口を押えたマルスがだらだらと冷や汗を流しながら首を横に振った。

「ッ、ネス、ヒーリング!」
「ほいきた」

即座にムジュが叫び、素晴らしい反応速度でネスが応える。マルスの背中をさするようにネスが手をかざすと、ほどなくしてマルスの顔色はやや白い程度にまで戻り、しかし彼は己の醜態を恥じるようにその場で項垂れて動かなかった。

「ああ、いや、その…すまない、ちょっと気分が悪くなってしまって」
「どうしたの?転送装置に酔ったのかな?」

マルスの背中をさすりながら、ネスがムジュに言うが、ムジュは険しい表情でマルスを見た。

「行く前から、ちょっと変だったよね、王子」

下手な言い逃れを許さない声であると、ムジュの過去の姿であるトキとは付き合いの長いマルスは即座に気付く。彼にしては珍しく、叱られるのを恐れるように、青い髪の隙間からムジュの様子を窺った。

「…そうだったかな?久しぶりのアリティアだから、はしゃぎ過ぎたかも…」
「はしゃぐ、とは違うよね」

ぴしゃりとムジュが言いきると、マルスはうぐぅと言葉に詰まった様子で押し黙る。喧嘩かな、止めた方がいいのかな、と狼狽えるネスを制し、ムジュが続けた。

「緊張してたんだ。故郷に帰るのに」
「僕は」
「本当は来たくなかったの?」

ムジュの指摘に、マルスはがばと顔を上げた。いまだに顔色は優れないが、それでも先ほどまでの頼りない空気はなりを潜め、はっきりとした口調でムジュの指摘を否定した。

「来たかったよ、それは間違いない」

隣でおろおろしているネスを振り返り、それからムジュに向き直る。

「君たちに僕の美しい国を見て欲しいと思ってた。それは本当だ。でも」

マルスは自身が踏みしめる地面を見つめると、思いを馳せるように目を閉じた。
マスターハンドは、彼らの故郷を“帰るべき場所”として設定し、彼らが望むままの姿に造り上げた。マルスが望んだ故郷の姿は、戦争で無残に踏み荒らされる前の平和なアリティアの再現だった。

「ここにはあるはずのないものがある。戻るはずのない命がある。そう思うと…頭では分かっているんだけれど…」

徐々に細くなっていくマルスの声は、唐突にふつりと切れた。その様子にムジュとネスは顔を見合わせる。マルスにとって、故郷とは心の拠り所となる安楽の地ではなかった。
帰りたくないはずがないだろう。しかし、同時に帰郷は王子の心を抉り、その自責の念に拍車をかけるのだ。
その感覚が半ば理解できるムジュは、次いでネスの様子を窺う。彼はマルスの故郷を訪ねるのをとても楽しみにしていた。それがマルスの望むところでなかったとすれば、彼もショックを受けるだろう…

ムジュの予想に反し、ネスはケロリとした表情でマルスのマントを転送装置の方へと引っ張った。

「そうならそうと早く言ってくれたら良かったのに。要するに、心の準備ができてなかったってことでしょ?」

まるで弟を諭す兄のように、どこか呆れた、それでいて訳知り顔でネスは続ける。

「僕だってアンタの心の準備ができるまでの間くらい待てるんだから。また落ち着いたら僕たちを連れていってよ」
「…いや、本当にもう大丈夫なんだ。ちょっとびっくりしただけだから、帰らなくても大丈夫」

しかし、マルスはネスのその手を逆に引き止め、転送装置へはそれ以上近付かなかった。ネスは自分の厚意を無下にされたと取ったか眉を吊り上げたが、マルスが普段通りの温和な笑みで大丈夫だから、と念を押すように言うと、ネスもそれ以上その言葉を疑えない。

「変なことを言って、君たちを驚かせてごめんね。子勇者君の言う通り、緊張し過ぎてたんだ」
「…無理してるんじゃないの?」
「そんなことないよ」

ネスは困ったようにムジュを見る。恐らく、マルスは意地でも故郷を案内すると言って聞かないだろう。子供二人が何を言ったところで、寧ろ王子をむきにさせるばかりのはずだ。こんなとき、アイクがいれば…とムジュは溜息を吐く。付き合いは浅いが、彼がマルスに対して非常に大きな影響力をもつことを知っている。さて、どうしたものか、とムジュは口をへの字に曲げた。
そんな折、かさ、と草を踏む音がしてムジュの意識は現実に引き戻される。マルスとネスは気が付いていないようで、それが非常に微かな、気配を消したものであったことに気付く。即座にムジュは振り返る。その動きにつられてネスとマルスもそちらを振り向いた。
木々の影から何者かがこちらの様子を窺っていた。
敵か、とムジュは背中の剣に手をかけたが、即座にそれはマルスに止められた。何故、と振り向いたムジュには堪えず、マルスは大きく目を見開いて、掠れた声で囁いた。

「…シーダ」
「え?」
「マルス様」

木の影から顔を出したのは、青い長髪の女性である。機動性を損なわない軽装の鎧を身に纏っていることから、軍人であることが分かる。マルスの名を呼んだ彼女は、恐る恐るといった様子で歩み出て、警戒態勢のムジュとネスを遠慮がちに見つめた。
ムジュには全く面識のない人物である。が、ネスは一瞬首を傾げて、シーダ?と口の中で再度呟いた。女性はその声に目を瞬いたが、ネスは彼女を指して「あっ」と声を上げた。

「王子の奥さんだ!」
「えっ!?まぁ…!」

突然の指摘に、シーダは赤面して口元を手で覆う。あっ、とネスは己の失言に今更気が付いたようだったが、そんな失態も次に起きた出来事にかき消されてしまった。
マルスが立ち上がり、ムジュの横をすり抜ける。止める間もなく彼は立ち尽くすシーダの元まで歩み寄り、そのまま何も言わずに抱きしめた。きゃ、とマルスの腕の中でシーダが耳まで赤くして悲鳴を上げる。普段から並み居る屈強な男たちの中にいるといっそ華奢ですらあるマルスだったが、今目の前で抱き合う二人は絵本に出てくる王子と姫君そのもの。それを見守るネスとムジュは目のやり場に困って目を見合わせた。


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