世界よ、愛しています

*65

もはや誰に語り掛けているのかも分からない口上に、敢えてアイクは口を挟まなかった。亜空マルスの声は次第に消失していき、最後はふつりと黙り込む。
黙り込んで、息を整えるように数度息を吐き出して、ようやく落ち着きを取り戻した亜空マルスは、しかし誰が見ても悪い方向に振り切れたとしか思えない晴れ晴れとした表情を見せて顔を上げた。

「君の言う通りだよ」

彼は手にした剣を地面に突き刺して、ガチャガチャと甲冑を外していく。戦う気が失せたのか、そこにはもはや殺気らしいものの片鱗すら残っていなかった。

「僕は君に、他ならない君に殺されたかった。分かっていたならどうして、どうして殺してくれなかったのかなぁ」

呆れたように溜息を吐くその姿に既視感を覚えつつ、しかしアイクは緊張の糸を切らさない。彼の間合いに武器がある。それは自害の危険があることを意味する。追い詰められたマルスが何をするか既に身をもって知っているアイクは、慎重に言葉を選ぶ。

「…救えると思った」
「救うって、何から?」
「今の状況から」

亜空マルスはくつくつと肩を揺らして笑った。

「そうだとも、僕は今のこの状況が苦しい。僕の愛する君たちに、君たちが存在するこの世界に、仇なす存在たれとタブーに産み落とされたこの命が辛い」

亜空マルスの言葉の意味を汲めずにメタナイトとカービィが顔を見合わせるが、そんな様子すら愛しげに見つめて、彼は続けた。

「僕がなりたいのは、ホンモノじゃない。君たちに愛され、信頼されるマルスになりたい。でも、それは、この世界の彼だ。僕じゃない」
「え…?」
「だったら、こんな世界よりタブーの創る新しい世界で僕がマルスになればいいと思うかい?…でもね、新しい世界に君たちはいない。いるのは君たちの紛い物だ」

理由もなく向けられる親愛の情に、メタナイトとカービィは得体の知れない恐ろしさを感じる。つまり、彼はその申告通りマルスなのだ。記憶も思考も抱く情さえすべてがマルスのコピーである。かつてマルスが彼らの知らない過去の世界に縋り付いたように、亜空マルスもまた、今の世界に深すぎる情を向けている。
慄く二人から目を逸らし、亜空マルスはアイクを見やる。ひきずるように出された一歩が亡者のように重いのは、やはり影虫の詰まる身体があまりに苦痛だからだろうか。

「ねえアイク…僕を救ってくれよ。このままじゃ僕は愛した世界をまた失ってしまう」
「助ける、必ず。だから、待て…」
「お願いだ、たすけて」
「マル――」

縋り付くように伸ばされた手を取ろうとアイクが腕を伸ばすと、突然それに絡みつくように亜空マルスの腕が伸びる。不味い、と思う間もなく足払いをかけられたアイクはそのまま仰向けに倒れ込んだ。その上に覆いかぶさるようにして、亜空マルスの影が追う。
だが、この時アイクは決して自分の身を案じていた訳ではなかった。亜空マルスの狙いはアイクの命にあらず。その手に握られたラグネルに集中していた。

「やめろ!!」

倒れながらも剣の切っ先を逸らそうとするアイクだったが、彼が亜空マルスの意図に気付くのは遅すぎた。彼の腕は既にあふれ出した影虫に固定され、それに吸い込まれるように亜空マルスが倒れ込む。
神をも切り裂く神剣は、難なく亜空マルスの体を貫通した。
自らの腹を易々と貫いた神剣を慈しむように撫でて、亜空マルスは自分の下で倒れる剣の主を見下ろして笑った。

「君と喋ってると、生きたくなっちゃう」
「俺と生きろ!どうして、こんな…!」

深々と突き刺さった剣は、今更抜いたところで余計の出血を招くだろう。とはいえ、彼の本質は影虫であるから、創部からは血の代わりに影虫が溢れ、零れた端から霧のように消えていった。やりきれない思いでアイクは亜空マルスの胸倉を掴んだが、彼はにっこりと微笑む。

「ここは僕の世界じゃない」
「これからお前の世界になるかもしれない!」
「そうなったら良かった」

アイクの掴む亜空マルスの身体が、形を維持しきれずに影虫となって霧散していく。全てが本物と同じ中で、唯一違う金色の瞳でアイクを見据え、彼は囁いた。

「ここで待ってなよ。本物の僕が近くまで来てるから」
「待て、マルス…!」
「それは僕を呼んでくれているのかな?あはは…嬉しい…嬉しい……」

同じことを繰り返しながら、亜空マルスの姿はとうとう風に吹かれて掻き消えてしまった。血も涙も残らずに、最初からいなかったかのように緑の丘には穏やかな空気が戻る。
その空気を切り裂くように、アイクが吼える。救えたはずだ。助けを求めていた。手の届く距離にいながら、生かしてやれなかった。生かしてやることが、必ずしも彼の救いになるとは思っていない。だが、それを考える時間くらい作ってやっても良かったはずだ。死んでしまっては何も始まらないではないか!唐突に、アイクはこれまで自分が手にかけた仲間の影たちの姿を思い出した。そうだ、彼らも或は、救いを求めていたのかもしれない。共存する道があったのかも――

「タブーが生み出したのは、虚構の世界だ」

気が付くと、メタナイトがアイクの横に立っていた。カービィが、その反対側に立ってアイクの顔を覗き込む。

「ニセモノのマルスも、やっぱりマルスだった。でもね、タブーを倒したら、消えちゃう」

カービィの指摘にアイクははっとする。亜空に属する者共は、その主と運命を共にしているのだ。アイクらが創造神とその運命を共にしているのと同じように。
亜空マルスは、この世界を、そしてこの世界の住人を愛していた。それゆえに、彼は自らの命を放棄したのだ。愛した世界と共存できない命など要らない、と。

「先ほどのマルス…の偽者の言葉を信じるならば、ここで待つのも手だが、どうする」

いつまでも悔やんで立ち止まってはいられない、と仮面の下の厳しい眼が言っていた。アイクは起き上がり、亜空マルスにとどめを刺した己の神剣を見た。刀身は一切の汚れなく、神秘的な力に守られたように不思議な輝きを見せている。

「ここで待つ」

きっと彼は、真実終焉を望んでいたはずだ。彼の愛した世界が、その平和な時を取り戻すのを。


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