世界よ、愛しています
*56
「マルスさン」
抑揚のない機械音が自分を呼び止めたのを聞き、マルスは振り返る。夜明けより少し前、タブーとの対峙に向けてハルバードに乗り込み、東の海に針路を取る戦艦の上で、どこか古めかしい意匠のロボット――もといエインシャント卿であった者が、遠慮がちに近寄ってくるところだった。
「やぁ、何か用かい?」
「エェ、アナタにお渡ししたいモノがありマス」
言ってロボットは自分の胸辺りに視線を落とした。するとロボットの胸に備え付けられた小さなシャッターが開き、中から手の平大の得体の知れないものが出てきた。マルスとしてはその中身よりもロボットの身体にそのような収納スペースがあることの方が驚きだったが、ロボットはその手の平大のものを取り出し、マルスに差し出しながら言った。
「投擲用亜空爆弾デス」
「へぇ。…ええ!?」
受け取ったそれをしげしげと眺めていたマルスは、盛大に仰け反ってロボットを見返す。が、ロボットは淡々と続けた。
「あの方よリ、自決用にと渡されマシタ」
「な、なんでそれを僕に」
「アナタなら、より効果的な使い道を見出してくれるト判断しまシタ」
ロボットは一拍おいて言った。
「…ハッキリ申し上げマスと、亜空でのあの方は神に等しい存在デス。イエ、神すら超越しているのでショウ」
ロボットの言に、マルスは表情を険しくする。タブーに最も近かったロボットのもたらす情報は貴重だ。マルスは頷き、ロボットに続きを促した。
「あの方…タブーは、亜空において神以上の力を持ちマス。アナタ方の力を疑う訳ではありマセンガ…戦って勝利する確率ハ、1%を大きく下回りマス」
「そうだろうね」
「それ故にワタクシは提案しマス。叩くべきハ、タブーでなく亜空そのものではないでショウカ」
マルスは真顔のまま、数瞬全ての動きを停止した。ロボットの言わんとするところを、彼はその瞬時に脳裏で展開していたのである。
マルスは受け取った亜空爆弾を見下ろした。冷たい金属質のボディーは見た目の割にずしりと重い。
「…この亜空爆弾で、それが可能だと?」
マルスがにやりと笑うと、ロボットは視線を落とし、頷くようにした。
「亜空とはすなわち混沌デス。只でさえ不安定なものガ、その上今は世界を切り取り無理矢理内包しようとしていル。僅かな衝撃にも耐えられないと考えられマス」
「亜空に歪みが生じれば、タブーに少なからず影響を与えられる…?」
「あくまで推測の域を出ませんガ…最悪の場合には、試す価値があるかト」
タブーを神以上の存在たらしめているのは、亜空というフィールドである。亜空においてタブーへの攻撃や防御はあまり意味がないことをマルスは身をもって知っていた。ダメージが通らない訳ではないが、向こうの体力ゲージに対し、こちらは圧倒的な火力不足。押し切る前に押し切られ、全滅してしまった。
だが、もしこの亜空爆弾でタブーを擁護する亜空自体を揺るがすことが出来るなら、或いは。
推測の域を出ない上に、万が一そうなったとして味方の安全も保障出来ない危険な賭だ。だが、とマルスは自分の身体が震えるのを自覚した。あらゆる可能性が彼の脳裏を過ぎる。勝利、敗北、痛み分け――無論これまでも様々なパターンを想定してきたが、これは全く予想しえなかったカード。初めて明確な道筋が見えた気がした。
マルスは亜空爆弾を腰に提げた革袋にしまい込んだ。
「ありがとう。全力を尽くそう」
「…どうか、我々の手に勝利ヲ。英雄王」
ロボットはいくらか感情の滲む声で、深々と頭を下げながら言った。
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