世界よ、愛しています

*47

「マルス…お前は一体何を考えてるんだ!?」

絡み付くワイヤーを引き剥がしながら、アイクは吼えた。いかにいつでも王子の肩を持とうとしてくれる彼でも、自らこの窮地に飛び込んだ王子を庇うことはできなかったのだ。それでも見捨てずに付いてくる辺り、彼が王子に惚れていると告げたことは、あながち冗談でもなかったのかもしれないとぼんやりマルスは思った。
マルスを拘束するワイヤーは、ちぎられようと切断されようと無尽蔵に増殖して王子を逃がさなかった。ならばいっそアイクも捕らえてしまえばいいものを、とのマルスの考えを見透かしたように、彼らの頭上で運搬役に徹するエインシャント卿が口を開いた。

「アイクさん、いつまでも駄々をこねていないデ、少し周りを見渡してくだサイ」

貴方の愚直さは筋金入りだということはよく存じておりますケドモ、と続く言葉にアイクはむっとしたように動きを止めた。が、おとなしく指示に従うように首を捻って前後左右、加えて上下に視線を巡らせる。
彼らが進むのは、どこまでの水平線の続く海洋の真上だった。ハルバードの航行する高度より幾分低いのは分かるが、それでもここから飛び降りて無事で済むと考えられるほどアイクもおめでたくはない。加えてアイクは、彼らの後方を追従するように飛ぶ小さな物体を目視する。虫のようにひらひらと翅を動かして飛ぶそれは、不自然な虹色に発色し、生命感を感じさせない。
ほんの僅かに、アイクはその色に見覚えがあるような気もした。だが、それが何だというのか。その程度で俺の気を反らせるとでも思ったのか、とアイクの脳髄はふつふつと怒りに煮えていく。本当は今にでもラグネルを振り回してこの深緑のローブを纏う体躯を真っ二つに引き裂いてやりたいが、それではマルスともども広い海洋に叩き付けられてお陀仏だ。こうしてお荷物に甘んじているほかないことがもどかしい。

「マルスをどこに連れていくつもりなんだ?」

せめて抵抗の意思だけは見せようと頭上を睨み付けて唸れば、やはり感情の籠らない声が律儀に答えた。

「私の島ニ」
「島?」
「そうデス、私ノ、島」

無機質な声が、一瞬揺らいだように感じたのは、恐らく気のせいではないだろう。ちょうどその時、進行方向の雲が途切れて、その隙間から緑の島が姿を現した。小さくはない島影には、豊かな自然が生い茂る。唯一その島が普通と違っていることと言えば、それが島ごと宙に浮いていることか。雲と同じ高さに浮遊するその島は、悠然と、さも当然のように、空の真ん中に鎮座していた。

エインシャント卿は、マルスとアイクを連れて、島の内部奥深くへと進んでいった。自然豊かな外観とは裏腹に、島の内部は高度文明による機械化された建造物が地中に埋もれており、彼らは金属の箱のような廊下をひたすら進んだ。その頃には既にエインシャント卿の飛行する高度も通常以下にまで下げられており、拘束されているマルスはともかく、アイクならばいつでも飛び降りて交戦状態に持ち込める状況だった。アイクとて何度そうしようと思ったかしれない。事実、どれほど進んだか知れない地点で、アイクはマルスを捕えるワイヤーから手を離し、廊下に降り立った。
が、アイクの視線はエインシャント卿に向けられてはいなかった。刺さるような視線の先にいたのは、こんな場所にまでひらひらと付いてきた、虹色の蝶である。

「お前がタブーだな」

大股で床を蹴り、獣のように低い姿勢から地面を抉るように金色の大剣を跳ね上げる。掌に収まるほどの大きさしかない相手に向けるには、いささか大袈裟に過ぎる急襲に、当然ながら為す術のない虹色の蝶は呆気なく真っ二つに両断される。
鱗粉を散らしながら無機質な床に落ちる蝶の残骸を、アイクは容赦なく踏み躙る。

長い空中散歩のおかげで、アイクの頭は徐々に冷え、落ち着きを取り戻していった。
アイクは知っていた。世界の敵――そしてマルスの敵であるタブーが、どんな容姿をしているか、どんな攻撃をしてくるか。破壊神クレイジーの手によってタブー襲来の一部始終を見せられた彼が、蝶の虹色とタブーの背負う翅の虹色を関連付けるのに、空中散歩は十分過ぎる猶予を与えてくれた。

「首を洗って待っていろ。すぐにそちらに出向いて、斬ってやる」



「…これで満足か?」

振り返るアイクは、大儀そうに大剣を肩に担ぐと、背後のエインシャント卿を振り返って言った。その様子からは、直前までの敵意は感じられない。態度の軟化を感じ取ったか、エインシャント卿は緊張を解き、同時にマルスの拘束を解いた。

「…素晴らしい働きに感謝しマス。貴方のおかげデ…」
「…タブーの監視から逃れられた…か」
「ハイ」

エインシャント卿の理不尽な要求も、それを呑んだマルスの不可解な行動も、少し考えれば理由は明白だった。
エインシャント卿は何故こうも煮え切らない態度なのか。それは、あの虹色の蝶が彼の行動を監視しているからだ。手荒な誘拐とは対照的に、エインシャント卿はマルスを傷付けるような真似をしていない。マルスだけが目的なら、邪魔しかしない敵意剥き出しのアイクを振り落としても良さそうなのに、それもしない。
彼は――エインシャント卿は、知って欲しかったのだろう。ウォッチと同じように、不本意ながらタブーに従わなければならない己の立場を。
彼は考えたのだろう。ここまでタブーを欺き、抵抗するマルスの存在が、もしかすると自分を救う可能性があるかもしれないと。
そうして、マルスは敏感にその心情の変化を感じ取った。或いは、監視役として迂闊にもエインシャント卿の近くを飛んでいたこの蝶を発見したことも要因かもしれない。

「…なら、話が早い。どうしてこうなったのか、説明してくれるかい」
「仲間ヲ、人質に取られているのデス」

機械音から練り出されるとは思えぬほど、その声は切迫している。エインシャント卿はマルスに詰め寄った。

「逆らえバ、この我々の島ごと仲間を壊すト!都合がいいなど百も承知、どうか、どうか助けてくだサイ!」
「お、落ち着いてくれ。仲間というのは?」
「量産型のロボットたちデス。彼らのコアには亜空爆弾が。起爆装置は魔王の手に!」

それまでの平坦な声などどこへやら、エインシャント卿は捲し立てるように言う。マルスとアイクは顔を見合わせる。アイクの方は未だに手放しで信用する気にはなれない様子だが、マルスはすぐさま頷いてエインシャント卿に向き直った。

「大丈夫、タブーはきっと僕が…僕らが倒すよ。でも、起爆装置を取り戻す必要があるんだね。分かった、力になれると思う」


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