世界よ、愛しています

*25

「馬鹿かアンタは!!」

落下しながら、お互いに離れ離れにならないよう手を取り合い、しかしアイクはマルスを怒鳴った。マルスは軽く肩を竦める。自分の行動をそこまで非難されるいわれがなかったからだ。
戦艦ハルバードから彼らが身投げしてから、間もない頃のことである。

「そんなに怒ることないだろ。あの場所で、他に助かる道があったかい?」
「それは…そうだが」

アイクが口ごもる。メタナイトが仲裁に入ろうと声を上げかけたが、アイクはそれを遮って言った。

「だが、このまま落ちたところで結果は変わらんだろう!いや、寧ろ確実に死ぬだけだ」
「死なないよ、僕らはフィギュアだろう?」

マルスは首を傾げる。一方のアイクは唖然とした様子で固まった。そんな中で彼の背後で騒がしくはためくマントが滑稽である。マルスは同意を求めるようにメタナイトを見た。

「まぁ、僕とアイクはこのまま落ちて人形化してしまうかもしれないけど。卿には翼がある。それで人形化を免れて、僕たちを復活させてくれれば…」
「――ちょっと待て…お前、それ本気で言ってるのか…」

が、アイクは一層深刻そうな顔で、そう呟いた。珍しく顔色を失っている。マルスはますます訳が分からずにアイク、と問うように名前を呼んだ。メタナイトも同様に答えを促す風である。アイクはうわ言のように言った。

「知らないのか…マルス、お前は今まで知らずに――」
「アイク?君はさっきから何の話を」
「メタナイト!!」

アイクは突然鋭く叫び、マルスの腕を強く掴んだ。呼ばれたメタナイトは、うろたえたようにそんなマルスの反対の腕にしがみ付く。訳の分からない二人を置き去りに、アイクはなお焦りの色濃い表情で続けた。

「アンタの翼は、ヒト一人を支えられるか!?マルスだけは助けてやってくれ!!」
「…ア、アイク殿?」
「アイク、そんなことに何の意味があるんだ。僕は…」
「お前はフィギュアになれないんだ!!」

アイクが怒鳴る。マルスは訳が分からずに言いかけた言葉を呑みこんだ。

「…僕が、フィギュアになれない?」
「お前は俺たちとは“違う場所”から来ただろう。だから、お前はまだ人形じゃない!このまま落ちれば、死ぬんだ!!」

アイクの発言が呑み込めず、マルスは沈黙する。メタナイトが普段より低い声で問うた。

「何故そう思う」
「俺の考えじゃない。破壊神がそう言った」

破壊神?とメタナイトが繰り返す。ちょうどその時、分厚い雲が途切れて、荒涼の大地が彼らの眼下に現れた。朝日も遠い時刻故に、大地は暗い海のように沈黙している。だが地面に衝突するのは時間の問題であることは確かだ。
アイクは早口に続けた。

「そもそも俺が亜空に行けたのは、破壊神の力添えがあったからだ。無茶をする奴だから、しっかり守ってくれと――」
「君はクレイジーに会ったのか?いや、それより…クレイジーが、僕は人形じゃないと、確かにそう言ったのかい」

唐突にマルスが口を挟んだ。言葉は問いかけだったが、アイクの言を疑っている様子はない。念押しのようだった。
アイクは頷いた。

「ああ」
「…だったら、そうなんだろう…」

茫然とした様子で、マルスは囁く。何事かを考えている風にもみえたが、それが光明に繋がるものでないのはその表情から明白だった。
その表情を見、アイクはぞっとする。理由は分からなかったが、とにかく嫌な予感がしたとしか言いようがない。それはメタナイトも同じだったようで、二人は一際強くマルスの腕を握りしめた。はっと我に返った様子のマルスが、驚いたように彼らを見返した。

「よもや、このまま死んでしまった方がいい、等とは考えていまいな」

真っ先に口を開いたのはメタナイトだった。そうか、とアイクは妙に納得する。先の王子の表情は、生を諦めたものだった。マルスは笑った。感情に欠ける笑みだった。

「そうだとも。僕はこの世界に馴染む努力をしなかった。だから、世界の理に拒まれて死ぬ。お似合いだ」
「馬鹿を言うな」

思い留まらせなければ、とアイクは思ったが、こんなときに限って言葉が出てこない。落下の速度はいや増して、服も髪も千切れんばかりに気流に揉まれていたが、その一瞬がアイクには永遠に思われた。結局、「死ぬな」という酷く短い言葉が口から滑り出た。
マルスは首を横に振った。

「僕はこの世界で異端だった。これでいい」
「駄目だ。死ぬな」
「もしかしたら、マルスのフィギュアをマスターが創ってくれるかもしれない。また会えるよ。“この世界”の僕に」

あの状態のマスターハンドがそんなことをするとは到底思えない。例えそうであったにせよ、この世界に新しく創られたマルスは、今までアイクが共に過ごした“マルス”とは別人であろう。気難しく、情緒不安定な、この青年とは。

「違う、それはお前じゃない。お前じゃなきゃ駄目なんだ」

情けない声がアイクの喉から絞り出される。マルスは苦笑を洩らす。先よりいくらか人間味のある表情だった。

「――貴殿らは、私を馬鹿にしているのか」

が、それまで黙っていたメタナイトは、二人の会話が途切れると、口を開くなり苛立ったような声を上げる。アイクとマルスは困惑したようにメタナイトを見たが、小さな仮面の騎士は、これまた小さな手のひらで二人の腕をそれぞれ掴み、言った。

「私が、貴殿ら二人程度を支えきれないとでも?」
「…そりゃあ――…」

マルスとアイクは一瞬状況を忘れて顔を見合わせた。メタナイトは彼らの膝程度の大きさしかない球体の生物である。翼を広げたとてその大きさは知れている。とても大の男二人を支えきれるとは思えない。しかし、メタナイトは仮面の下の金色の瞳を剣呑に細め、低く唸った。

「ならば、見るがいい!!」

メタナイトのマントが形を変え、一瞬で禍々しい翼へと変化した。蝙蝠のような骨組みに薄皮の張られたそれは、確かに力強くはあったが、人間二人を支えて飛ぶには些か頼りない。その上、片方の翼は先にエインシャント卿から受けた傷が癒えないで残っている。それでもメタナイトはマルスとアイクの手を握り、重力に逆らって羽ばたいた。小さな体に不相応な負荷がかかるのが目に見えるようである。翼が軋み、メタナイトの仮面の下から苦悶の声が漏れる。やや落下の速度が落ちたような気もしたが、しかしそれに勝る早さで地面は近付いている。

「無茶だ!」

マルスが叫ぶ。メタナイトは耳を貸さない。君もなんとか言ってくれ、とマルスはアイクを見たが、アイクもまた、今にもメタナイトの手を離してしまいそうな王子の痩身を抱き寄せてメタナイトを見上げた。

「ちょっ…」
「メタナイト、手伝えることはあるか!?」
「そのままこの“死にたがり”が手を離さぬよう見張っていてくれ!」

吹き荒ぶ風に乗り、怒鳴り声はあっという間に上空へと攫われていく。もう地面に落下するまで幾らもない。依然落下の速度は即死レベルだ。マルスはアイクの胸板を叩く。アイクは王子を抱く腕に一層力を込めたが、そうじゃない、と彼は喚いた。

「剣を!!」

アイクがやっとマルスを見た。マルスは叫んだ。

「剣を捨てろ!少しでも卿の負担を減らすんだ」

言って、マルスは迷いなく己の愛刀を鞘ごと腰のベルトから外し、地面に向かって投げ捨てた。慌ててアイクはそれに倣う。彼の愛刀ラグネルは、片手では扱えぬほどの大剣である。相当な重量のはずだ。剣を投げ落すに至り、アイクはちらと地面を確認したが、既に暗闇の中でも背の低い枯れ草が視認できるほどに地面は近い。
落下の速度は先より格段に落ちた。間に合うか、間に合ってくれ、せめて生身であるマルスだけでも助かってくれれば――アイクは庇うようにマルスの肩を抱く腕に力を込めた。

待ち構えた衝撃は、いつまで待っても来なかった。代わりに奇妙な浮遊感が訪れ、同時に胃の辺りがズシリと下に引っ張られるような鈍い感覚に見舞われる。ばさばさと羽ばたくメタナイトの羽音が、どこか遠くの方で聞こえているような気がした。
と、突然メタナイトが二人を支えていた手を離した。アイクとマルスは反応出来ずに横倒しに地面に倒れ込む。――その程度の高さしかなかった。その上にメタナイトが墜落し、ぜえぜえと肩で息をした。
着陸成功だ。
がばりと起き上がったマルスが他の面々の安否を確認するように辺りを見渡し、安堵の溜め息を吐く。メタナイトが切れ切れに「これも宿命だ」とぼやいた。

[ 37/94 ]

[*prev] [next#]


[←main]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -